第115話 気にせず人を愛せよ

「ねえねえ、お母さん」


 わたしは、孤児院の台所で料理をしているユリミエラお母さんに話しかけた。

 コトコト煮込んでいる鍋を混ぜながら、お母さんがわたしに優しい笑顔を向ける。


「どうしたの? シエラ」

「お母さんはわたしに、見た目とかそういうのじゃなく、その人の本当の価値を見るようにって言ってたでしょ」

「ええ、そうね」

「もしその人が、思っていたのと違った時ってどうしたらいいの?」

「突然そんなこと聞いて、何かあった?」

「何かあった訳じゃないんだけど、わたしが信用していた人が急に態度を変えたりしたら、どうしたらいいのかなって思って」


 私は思いついた疑問を母に投げかけた。

 すると、火から鍋を降ろした母が料理の手を止め、目線を合わせるようにしゃがみこみ暖かい瞳をこちらに向けた。わたしと向き合ってくれる姿勢に、幸せな気持ちが沸いてくる。


「シエラがなんでそう思ったのか分からないけど、一度でもその人の良いところを見て思ったことは、それは間違いじゃなく真実なのよ。事情あったり心変わりがあって人は変わるかもしれないけど、自分が感じたことだけは何があっても変わらないの。だから、気にすることなく自分を信じて、人を愛していいのよ、シエラ」

「そうだよね! ……でも、もしその人が悪い人だったら?」

「そうねぇ……」


 わたしの質問に、頬に手を当てた母が首をかしげる。


「もし私が悪い人だったら、シエラはどうする?」

「えっ」

「もし、私が誰かから何かを盗んだりしたとしたら、シエラは見捨てる?」


 母の問いかけに、わたしは思いを巡らせる。

 お母さんがそんなことするわけないけど……


「……見捨てない。何か理由があるはずだから、どうしてそんなことをしたのか聞くと思う。そして一緒に謝りに行く。わたしのお母さんは、何があっても大切なお母さんだもん!」

「ふふふ。シエラは優しくて強い子ね。大事なのは、自分がどう生きていくかじゃないかしら。傷ついたり、惑わされたり、自分の力が足りなかったり、色んなことで迷うことがあるかもしれないけど、自分に胸を張れるよう人を大切にして誠実に生きていくの。私に対して思ってくれているのと同じくらい、人を大切にするのよ。私の大好きなシエラ」


 わたしは、おでこに寄せられた母のキスと、心地よいリズミカルな揺れを感じながら返事をした。


「……はい、お母さん」

「起きた? シエラちゃん」


 誰かに名前を呼ばれ、まどろみの中から意識を取り戻す。

 なんだかあったかくって安心する。

 それに、馬の蹄がカランコロンと心地よい音を奏でていて、とってもいい気持ち。

 どうやら私は眠っていて、昔の思い出を夢に見ていたらしい。


「んぅ……もう朝ごはん?」


 夢の中だけど、久しぶりにお母さんに会えた私は幸せな気持ちで目をこする。すると、誰かの手が私のお腹にふんわり巻き付いていることに気が付いた。まだ目が開かない私がぼんやりする頭で後ろを振り向くと、すぐ横に誰かの顔がある。

 なんでこんなところに人の顔が……


「ぅわっ、龍人……? 私どうしたんだっけ……って、天井が!」


 風通しが良いことを不思議に思って上を見上げると、あるはずの天井が無くなっている。

 そういえば、私は龍人とイーヴォにさらわれて、馬車に乗せられていたのだった。

 そして、どうやら私は龍人に抱えられたまま寝てしまったらしい。


 頭がはっきりしてだんだんと状況を思い出してきた私は、あることに気が付いて青ざめた。

 手を後ろで縛り、膝と足首もロープで拘束されている人が、ボロボロになって横たわっている。


「サミュエル⁉」


 顔には布が巻かれているが、それでもなぜかすぐにサミュエルだと分かった。

 頬から流れた血が固まっている他にも、あちこち小さな怪我が沢山あるようだ。

 サミュエルの隣には小さなカゴがあり、小人のポッケがこちらを見て「ぴ……」と力なく泣く。


「一体……何があったの……」


 青ざめる私とは逆に、龍人があっけらかんと答える。


「サミュエルにはちょっと眠ってもらってるんだ」

「眠ってるって、どう見てもただ眠ってるだけじゃないでしょ! 龍人、すぐに縄をほどいてあげて! ポッケも出してあげて!」


 駄々っ子をなだめるように、龍人が優しく私を注意する。


「だめだよ。野放しにしたらサミュエルが何をするか分からないでしょ。今僕の計画を邪魔されたら困るんだ」

「計画って、龍人が言っていた、ジュダムーアと私を結婚させるってやつ? それとも……私をベニクラゲにするやつ?」

「はははっ、覚えていてくれたの?」


 楽しそうに笑う龍人が私の首に顔を寄せ、髪の毛と息にくすぐられたむず痒さで自然と体が縮む。


「ちょ……く……くすぐったいよ、龍人」


 身をよじる私を逃さないかのように、お腹にまわされた龍人の手に力がこもる。

 そして、私の耳の下でつぶやくように言った。


「シエラちゃんとサミュエルの手に、ブレスレットをつけた」

「ブレスレット?」

「魔力を感知したら作動する爆弾を仕込んでいる」

「ば、爆弾⁉」


 私の大声に、サミュエルがわずかに動いたのが分かった。

 とりあえず生きていることに安心して名前を呼ぶと、サミュエルの顔がこちらを向く。


「……シエラ⁉ 無事か?」

「私は無事だよ、サミュエル! 右目でも見えないの?」

「何も見えない。龍人の仕業か」


 どうやらサミュエルは声だけで私だと分かったらしい。

 そして、手と足の拘束を無理やり引きちぎろうとしているのか、縄が食い込んだ皮膚から血が滲み始める。

 即座に、ちぎれない縄を燃やそうとしているのが感覚で伝わってきたので、私は慌てて止めに入った。


「サミュエルだめだよ、魔力を感知したら爆発するブレスレットが手首についてるの!」

「爆弾だと? 龍人のやりそうなことだが、たった腕や足の一本や二本。この命をくれてやったって構いやしない」


 何のためらいもなく言うサミュエルに、龍人が体を小刻みに揺らして楽し気に笑いだした。


「ははははっ! サミュエルならそう言うと思ってたよ!」

「……何がおかしい」

「実は、サミュエルのブレスレットとシエラちゃんのブレスレットはつながっていてね。サミュエルの魔力を感知したらシエラちゃんのブレスレットが爆発するようにしたんだ。サミュエルなら、シエラちゃんを助けるために簡単に命を捨てると思ったから、わざと、逆に、ね」

「なんだと……!」


 私はとっさに自分の手首を見た。

 これと同じ細くてシンプルな銀色のブレスレットが、サミュエルの手首にもつけられている。


「それと、僕の意思で爆発させることもできる。だから二人とも、良い子にして僕の言うことを聞いてね」

「ひどい……龍人……」


 これでは、手も足も出ない。

 私はやっと、自分達の命を龍人が握っているということを理解する。それが分かると、逃げ場のない絶望と、龍人が私とサミュエルの命を物のように扱うことに喪失感を感じ、込み上げる感情を押さえられなくなった。

 涙が頬を伝っていく。体を震わせる私を抱えたまま、龍人が後ろから私の目を手で覆った。


「あぁ、泣かないでシエラちゃん。君に泣かれると胸が痛むんだ。大人しくしてくれたらサミュエルの命は助けてあげるから。ね?」

「シエラ、俺のことは気にしなくていいから、お前だけでも逃げろ。殺せるなら俺ごとこいつらを皆殺しにしても良い」

「ばかだなぁ、サミュエルは。君と違ってシエラちゃんがそんなことするわけないだろ。君はこの子に一生消えない心の傷をつけるつもりかい?」

「お前が言うことか!」


 怒りをにじませたサミュエルの悔しそうな声が聞こえてくる。

 呼吸を乱して涙を流していると、愛おしそうに「よしよし」と言って私の頭をそっと引き寄せ、自分のおでこをくっつける龍人。


  ————自分を信じて、人を愛していいのよ


 お母さん、こういう時はどうしたらいいの?


 母の言葉を思い出した私は、心の中ですがるように語りかける。

 しかし、言動が一致しない龍人、そして自分とサミュエルの置かれた状況に、ただうろたえるだけで答えは出ず、黙って身を任せるしかできなかった。


「さあ、そろそろ到着だ。エルディグタール城が見えて来たよ」


 そう言うと、龍人は私の顔から手を離して外を指さした。

 まだ感情は落ち着かなかったが、ひくひく息を引きつらせながら指をさされた方に目を向ける。

 すると、お城の壁に何かが括りつけられているのが見えた。


「あ……あれは……何?」

「あぁ、あれ? ジュダムーアの妹、カトリーナだよ」

「妹⁉」

「ジュダムーアの機嫌を損ねたらああなるから、くれぐれも気をつけてね」





 エルディグタール城に戻ってきた私は、龍人と共に馬車を降ろされ、サミュエルと引き離されてしまった。名残惜しく何度も振り返るが、イーヴォが進める馬車はどんどん遠ざかっていく。

 私が大人しくしていれば、とにかくサミュエルだけは無事のはずだ。今私にできることはそれしかないと思い、足を引きずるように龍人の後を追って歩みを進めた。


 サミュエルの身を案じつつ、促されるままふかふかの絨毯を歩いて最上階に来た。目の前にそびえる重厚な扉。今まで通り過ぎてきた扉の中でも一際大きい。


 ……もしかしてここにいるのって。


「あまり王様を怒らせないようにね」と忠告し、余所よそ行きの笑顔に変わる龍人。その代わり身の早さに驚いていると、龍人が重厚な扉に手をかけた。

 気分の悪さに何かがのどに込み上げてくる。


 扉の向こうは、見たこともない豪華な部屋が広がっていた。


「大変お待たせしました、ジュダムーア様。お加減はいかがですか?」


 龍人が声をかけた人物は、純白の髪の毛をまとう赤い目の男。

 ジュダムーアが冷たい目で私を見た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る