第17話 シジミちゃんのお城

「本当、サミュエルって料理が上手だね」


 わたしはジャウロンのデミグラスシチューに舌鼓を打っていた。

 何時間もコトコト煮込まれた肉が、ホロホロと口の中で崩れる。一緒に煮込まれた野菜も、味が染みてホクホクしている。それに、パンが抜群に合う。お母さんが焼くパンに似ていて美味しい。

 串焼きもサンドイッチもステーキも全部美味しかったが、このシチューが一番わたしのお気に入りだ。


「いっつも一人ぼっちだから、二人に美味しそうに食べてもらえて嬉しいのよね?」


 トワがいたずらな顔をして、クスクス笑いながらからかった。


「あ? 馬鹿にしてるのか」


 サミュエルは左目でギロっとトワを睨んだ。

 トワは「おーこわっ!」と肩をすくめたが、その様子は全然怖がっているように見えない。それを見ているこっちの方がヒヤヒヤする。


「サミュエルの作ったご飯、本当に全部美味しいよ。孤児院ではこんなにお腹いっぱい食べたことがないから、すっごく贅沢!」


 わたしはシチューを口いっぱいに頬張り、モゴモゴさせながら言った。本心だ。美味しいご飯は世界を平和にすると思う。


「お母さんたちにも食べさせてあげたい……」


 その時、シジミちゃんが飛んでくるのが見えた。小さな白い翼を一生懸命パタパタ羽ばたかせてサミュエルの手の甲に止まった。そしてサミュエルがシジミちゃんの顔をじっと見る。きっと記憶を覗きながら話をしているのだろう。

 わたしは食べる手を止め、その様子を固唾かたずを飲んで見守った。


「とりあえず、昨日と様子は変わらないようだ」

「よかったぁ……」


 お母さんたちの無事にほっと胸を撫で下ろした。

 しかし、「ん?」と呟いてサミュエルの顔が少し曇ったので、再び緊張が高まる。


「……あれは、奴隷商人だな。書類を交わしている」

「奴隷……商人⁉︎」


 物騒な言葉に、わたしはユーリと顔を見合わせた。


「日付けが見えた。3日後だ。ファ、ネルラ?」

「ファネルラ⁉︎」

「ああ。多分、その子の売買の書類だろう。人質をずっと置いておいても仕方がないと思ったのか」


 ファネルラは十歳の女の子だ。おでこが広くて、ハーフアップの髪がとても似合う。孤児院の中ではユーリの次に歳が近い。よくわたしと一緒にお母さんの手伝いをしていて、女の子同士というのもありとても仲が良い子だ。


 そのファネルラが、売られてしまう!


「絶対止めなきゃ……!」


 家族の危機に、またしてもわたしの気持ちが怪しく揺らいだ。

 ユーリが隣で震えているわたしの背中をそっとさすってくれる。


「大丈夫だシエラ。俺が強くなったの、見ただろ? 次は絶対負けないから。俺を信じろ」


 見上げると、真剣な眼差しのユーリがわたしを見ていた。ユーリは嘘をつかない。いつも通り頼もしいユーリに「うん」と答えると、ニコッと笑顔を返してくれた。


「そ・れ・に! 私がいるのも忘れないでね」


 トワがウィンクした。弾むような声に、気持ちが少し明るくなった気がした。


 なんだか、わたしだけ弱いまんまみたい。もっとしっかりしなきゃ。ユーリだって一生懸命訓練したんだもん。わたしも魔力の使い方を習ったし、前回とは違うんだ!


 わたしは首を振って不安を払拭ふっしょくした。


「わたしも負けない! ……主一無適しゅいつむてきぃぃ!」


 わたしは魔力を手に集め、立ち上がると同時に空を指差して飛ばした。青い光が細く伸び、空に打ち上がる。


「んー! 上手!」


 トワが手を叩いて喜んでいる。

 ユーリは驚いた顔をしてから「本物の鉄砲みたいだな」と言って苦笑した。

 サミュエルは……相変わらず無表情だ。


 今日の夕食は、このまま決起会になった。

 救出は明日の夜。

 いつもは自宅に帰っていたトワも、今日はここに泊まるようだ。




 すっかり暗闇に包まれた小屋の前。

 わたしは窓から漏れる明かりと手元に置いた灯花の光をたよりに、シジミちゃんの餌代の続きを作り始めた。明日、みんなを助けに行く前に仕上げてしまいたかったのだ。

 なぜなら、一度出てしまえばここに戻ってこれるかどうか分からない。救出が終われば、わたしたちと関わりたくないと思っているサミュエルとは、もう会えないかもしれない。それに、万が一ということも……。


 作業をしているところに、ユーリが様子を見にやって来た。


「シエラ、まだ眠れないのか?」

「ユーリ。先に寝てていいよ。もう少しだけ作りたいの」


 ユーリが隣に来て座った。


「うーん。なかなか個性的な作品になったな」

「もー、下手くそって言いたいんでしょ? 下手でもなんでも、シジミちゃんが気に入ってくれれば良いんだもん」


 確かにあちこちいびつで、最初の設計図とはだいぶ形も変わってしまった。でも大切なのは、シジミちゃんへの感謝の気持ちと、餌が乗る台があるかどうかなのだ。

 しばらく無言が続き、虫の声と釘を打つ音だけが響いていたが、おもむろにユーリが話し始めた。


「……俺、シエラがいてくれて本当に良かったって思ってる」

「え?」


 突然の言葉に、わたしは驚いて作業の手を止めた。

 ユーリはそっぽを向いたまま話を続けた。


「俺一人だったら、きっと頑張れなかったと思う。お前がいるからしっかりしなきゃって思えたんだ。お前には俺がいなきゃって。母さんと別れた時も、なんとかお前を守りたい一心で走れたんだ。じゃなきゃ、最初に盗賊に襲われた時、諦めてたかもしれないなって、そう思ってさ。だから、一緒にいてくれてありがとう」


 ユーリが「へへへっ」と照れ隠しのように笑った。


 わたしはその言葉を聞いた瞬間、ユーリはお母さんの子どもなんだなと思った。

 真っ直ぐに人を見て、嬉しい時には相手に感謝し、間違った時には素直に謝罪をする。それは、小さいころからのお母さんの教えだった。血の繋がらないわたしや他の孤児たちも我が子同然に育ててくれた、わたしの大好きなお母さんの教えだった。


 それに引き換え、わたしは自分のことばかりを考えて不安になって、いつも支えてくれているユーリにきちんとお礼すら言えていない。それなのに、ユーリはわたしなんかがいて良かったと思ってくれている。それを理解もせず、自分はいない方が良いんじゃないかなんていつまでも捻くれたりして。

 自分が情けないのに嬉しい気持ちも同時に込み上げて、また涙が出てきそうになった。


「ユーリ……!」


 わたしは持っていたとんかちを落としてガバッとユーリに抱きついた。


「わ! シエラ!」

「わたしの方こそ……! すぐに泣いたり不安になったりするわたしを見捨てないで、いつも隣にいてくれてありがとう。ユーリがいなかったらもっと昔に絶望していたよ。わたしが自分を嫌いにならないで済んだのは、お母さんとユーリのおかげ。だから、家族にしてくれて……どうもありがとう!」


 これは、ずっと言いたかったけど、なかなかチャンスがなくて、恥ずかしくて言えなかった感謝の気持ちだった。

 わたしの心の声が届いたのか、ユーリも目を潤ませて笑った。


「なんだよ、大袈裟だな。俺がお礼を言おうと思って来たのに。これじゃ逆じゃないか」


 ユーリはわたしの目尻を優しく人差し指で拭ってくれた。


「わたし、実はまだ言っていないことがあるの」

「なんだよ、急に」


 改まった私に、ユーリが背筋を正す。

 今日、サミュエルが気づかせてくれた気持ちを、今言わないともう言えないかもしれない。だから、まっすぐに自分を受け止めてくれるユーリには、嘘のない自分を見せたかった。それが、ユーリの気持ちに応えることだと肌で感じたから。


「本当はわたし、自分がいらない子なんじゃないかって、心のどこかでずっと思っていたの。本当の親がいなくて、自分だけみんなと見た目が違って、村のみんなからも嫌がられて。だから、せめて優しくしてくれるユーリやお母さんの負担になっちゃだめだって、無意識に思ってた。わたしの居場所は、ここしかないからって」

「シエラ……」

「だから、孤児院が襲われて自分の居場所を失うかもしれないって思った。トワに遺伝子の異常があるかもしれないって言われて、異常なわたしはやっぱりこの世に必要ないって感じた。それが不安で不安でたまらなくて、今はそんな場合じゃないってわかっているのに、怖くて押しつぶされそうだったの。でも我慢しなきゃって。ユーリはいつも優しくしてくれるのに、わ……わたしは」


 ここまで言うと、突然洪水のような感情が溢れ、こらえようとしていた涙が抑えられなくなった。


「いつまでもそ……そこから、抜け出せ……なかった。ご……ごめ、んね……ユーリ」


 途中から息が上手くできなくなったが、ひくひく言いながらも一生懸命に思いを伝えようとした。子どものように泣いているわたしを見て、ユーリが泣きながら笑う。


「なんだよシエラ、様子が変だと思ってたら、そんなこと考えてたのか? バカだなぁ。シエラは俺の大切な妹だって、まだわからないのか? お前が何色だって関係ない。なにが起きても、俺も母さんもシエラが大事だよ」

「わかっ……ご、ごめ……ユーリ」

「もういいって」


 ユーリが大切に思ってくれてることを実感して、涙でぐちゃぐちゃになった。そんなわたしを、何も言わずにユーリが撫でてくれる。

 詰まっていた気持ちを吐き出して、十三年間ポッカリ空いていた胸の穴が、静かに閉じて満たされていくのを感じた。やっと、人としてこの世に生まれたみたいな、心地よいけど恥ずかしい変な感覚だ。


「ありがとう……」 

「さあ、仕上げちゃおう。俺もまた手伝うから」


 涙で濡れながら夜更けまで二人で作業し、なんとか歪な餌台と歪な鳥の巣箱のお城が完成した。


 良かった! 出来た!

 ………………。





「あら? ふふふ! 二人ったら」

「なんだ、どうした」

「見て見て、あれ! 二人で寄りかかって寝ちゃってる。かーわいい!」

「……あいつら、一体何をやってたんだ?」

「シジミちゃんにプレゼントを作ってたみたいよ。あなたが欲しい物が無いって言ったから」

「はぁ? なんでそうなるんだ」

「あなたに喜んで欲しかったんでしょ? コミュニケーションが下手くそなあなたに合わせて、二人なりに気を使ってくれたのよ」

「…………」




 あれ、いつの間に寝ちゃったんだろう。


 気がついたらいつの間にか布団で寝ていた。隣にはユーリも転がってる。


 わたしのお手製プレゼントがどうなったのか思い出せず、あわてて外に出た。

 昨日作業していたあたりを探したが、それらしいものは見当たらない。使っていた道具もきれいに片付けられている。


「おかしいなぁ。確かに昨日ここで作ってたはずなんたけど……」


 小屋の周りをぐるっと周り、あちこち探してみたが見当たらない。

 小屋の前に戻ってくると、ふと顔を上げて正面の木を見た。

 そこに、針金で括り付けられたわたしのお手製プレゼントと、餌をつついているシジミちゃんを見つけた。

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