第95話 追蹤

(馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な)


 監督官は、その衝撃的な現実に驚きを隠せずにいた。

 汗が止めどなく流れ、あまりの衝撃に身の震えも止まらない。


「なかなかいい顔をするわね。ツクヨミの言ってたことも分かるかも」

「でしょ?あの今にも泣き出しそうな顔が良いわよね」

「先程までは、奴隷たちに偉そうな顔をしていたくせに、今では連れて来られたばかりの【玉ウサギ】みたいね」

「あらあら、アビちゃんまで変な趣味に目覚めてしまったみたい」


 三人がそんな会話を交わしている。


(嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ)


 監督官は、完全に現実から逃避してしまう。


 呆然と佇む監督官。

 歓喜にうち震える奴隷たち。


 その両者の相対する表情が、場の趨勢は明らかになったことを物語っていた。


「おい。これはどうしたことだ!」

「テメエ、何してやがる!」


 だが、突如響き渡った怒声によって、その雰囲気が一変する。

 信号弾を見た奴隷の主や、護衛の面々が次々と集まって来たのであった。


 その様子を見て青ざめる奴隷たち。


 そこに、ツクヨミが手招きをしながら声をかける。


「みんな、こっちにおいで。大丈夫だから」 


 奴隷たちに呼びかけられた言葉に、彼らは一瞬たじろぐ。


 だが、グルックがフランシスを引っ張ってツクヨミの方に駆け寄ったのをきっかけに、残りの奴隷たちも我先にと集まっていく。


「なっ、何をしてやがる。おい、待て!」


 奴隷たちの様子に慌てたその主が、ひとりの奴隷の手を掴む。

 それは、エリザベートに癒やされるまでは片耳だった兎獣人の少女だった。


「痛いっ!」

「何をしてる!誰がそんなことを許した!それよりも、首輪はどうした!お前のその耳はどうした!」


 矢継ぎ早に問い質す主に、兎獣人の少女は恐怖を抱く。


 このままでは、教育と称してまた暴力を受けるのだろう。

 そう少女が考えた瞬間、彼女の拘束が解けてふわりと身体が浮かび上がる。


「えっ?」


 少女が驚いて見渡すと、先程まで離れた場所にいたはずの黒装束の女に、横抱きされて宙を飛んでいた。


「えっ?えっ?」


 一瞬でツクヨミが、兎獣人を主の手から助け出したのであった。


「ぎゃぁぁぁ!手っ、手がああああああ!」

  

 ツクヨミに兎獣人を奪われた奴隷の主は、自身の右手首を押さえて転げ回る。 

 見れば、右手首から先がスッパリと無くなっており、血がとめどなく流れ続けていた。


 主の叫び声は気にせず、宙を舞う羽根がゆっくりと地面に着くように、優しく降り立ったツクヨミと少女。


 驚いている兎獣人の少女をゆっくりと地面に降ろすと、ツクヨミは優しく問いかける。


「大丈夫だった?怖かったよね。飴ちゃん食べるかい?」


 そうしてツクヨミは、どこからか取り出した飴を兎獣人の口に放り込む。

 これは、ツクヨミが作った丸薬。

 滋養強壮栄養補給の他に、精神を安らげる効果を持つ。

 怖い思いをした彼女には必要だろう。


「……ありがとう」

「ん。ちゃんとお礼が言えたね。いい子だ」


 その飴の甘さに、思わず頬が緩む少女。

 ツクヨミは優しく笑い返す。


「畜生、やるしかねえ。いくぞ!」


 そんな会話をしていると、護衛たちが腹を括る。

 自分たちが生き残るためには、目の前の三人を葬り去るしかないと考えたのだった。


 それぞれが手にした武器を振り上げて、ツクヨミたちに殺到する。



「ちょっと、待ちなさいよ」


 そう言ってアビゲイルが無詠唱で炎の壁を立ち上げる。


「なんだ!」

「いきなり壁ができたぞ!」

「誰も詠唱なんてしていなかったぞ……」 

「無詠唱なのか……」

「馬鹿な!それじゃ……」

「あっ、あの黒ローブは【聖魔】なのか……」

「【聖魔】だとぉ?」

「あああ……」


 一瞬にして意気消沈する護衛たち。


 いくら【始王の十聖】あるいは【勇者の十翼】の一翼と言えど、暗殺を主とする【隠聖】と、攻撃手段を持たない【癒聖】、正体不明の女ならば、一斉にかかっていけば何とかなるとの算段だった。


 だが、正体不明の女があの【聖魔】アビゲイルだとすれば話は別だ。


 広域殲滅魔術を使いこなす、魔術界の頂点。

 

(首輪が壊されたのはコイツのせいか!)


 監督官は、隷属の首輪が破壊された理由に思い至る。

 世界最高の魔術師ならば、【迷宮遺物アーティファクト】と呼ばれる魔道具すら、簡単に無力化も出来るのであろう、と。


「もうダメだ!」

「逃げろ!」

「炎の壁で逃げられねぇ!」

「魔術師ども、何とかしろよ!」

「こんな強力な魔術をどうしろって言うんだ!」

「うわあああ、もうおしまいだあああ!」


 そんな阿鼻叫喚の様子を見ていて、【癒聖】エリザベートがポツリとこぼす。


「あっ、ツクヨミちゃんの言ってたこと、少し分かるかも……」

「そうでしょ?あれほど偉そうにしてた悪人が、泣きそうな顔をしてるのは、見ててスカッとするわよね」

「そうね……」

「それが『ざまぁ』の境地よ」


 そんな会話をよそに、アビゲイルは炎の壁に捕らわれた奴隷の主たちに告げる。


「アンタたちには、特別なゲストを用意してるから待ってなさいよ」

「えっ……」


 アビゲイルが意地の悪い笑みを浮かべたとたん、山の奥から地面を揺らすほどの断末魔の声が聞こえてくる。


「ひえええっ!」

「何だ!」

 

 主たちがその声に怯える。


 奴隷たちも同じく驚くが、こちらはツクヨミやエリザベートか優しく言い聞かせて安心させる。


「ほら、噂をすればってやつ」


 アビゲイルがそう言ったのと同時に、空からひとりの男が、轟音とともに奴隷の主たちの前に降り立つ。


「ああああああああああああ」

「ぎゃぁぁぁ!」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」


 奴隷の主たちは、その男の姿を見るなり半狂乱になる。

 その男が誰であるかが、すぐに分かってしまったのだから。


 2メートルを優に超える筋骨隆々な体躯。

 見る者を圧倒する覇気。

 鋭い眼光はそれだけで人を射殺せる程。


 明らかに尋常ではない雰囲気の【白虎族】の


 それは、【拳聖】バルザックその人に他ならないからだ。


 魔王領域軍の軍団長を一対一タイマンで屠り、強大な竜種ですらその拳で叩き潰す。

 敵対する者には等しい死を与える暴力の権化。


 それがバルザックという男であった。


「おう、ロリババア。トカゲだったぞ。あとで収納しといてくれや」

「誰がロリババアよ!」

「で、コイツらが例の奴らか?」

「はぁぁぁぁ、全然、人の話を聞きやしない……。そうよ、『獣人は人にあらず』って豪語していた連中」

「ほおおお、そうかい」


 バルザックの虎の顔が、歯をむき出しで凄むと、何人かの者はへたり込んでしまう。


のバルザックだ。ちょっと話をしたくてやってきた」


 このとき、散々奴隷たちに辛く当たってきた監督官は、自分の寿命が尽きたことを悟るのであった。






 

 

 

 

 

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