第108話 それはいわゆる、両片思い - 04 -


(なんてこったい)


 始業式を終えた後、オリアナは一人、図書室にいた。机の上に本を広げ、読む振りをしていたが全く内容は頭に入ってこない。


(最悪だ。まさか、ヴィンセント・タンザインを好きになるなんて)


 自分は中々自制心が強いと思っていた。近付いてはいけないとわかっていれば、好きになることもないだろうなんて気楽に構えていたのに。


 相手にしてもらえるわけがない。オリアナは貴族では無いし、ヴィンセントは遊びで女に手を出すような外道でもない。


(わかってたはずなのに、なんで自分だけ特別って思っちゃったんだ)


 違う。望んでいたのだ。


(私だけ、特別ならいいなって)





 あの後、しばらくシャロンとヴィンセントの親しげな会話を聞かされたオリアナは、ヴィンセントの好きな相手がシャロンだと確信を得ていた。


 一度破談になった婚約。

 距離を測りかねている、可愛い女の子。


(誰かを好きな人を、好きになるほど馬鹿だとは思って無かった……)


 シャロンに連れられ、ヴィンセントは男子寮に帰っていった。オリアナは二人がいなくなった後に、ヤナらが待つ食堂に一人でとぼとぼと行ったのだ。


(あのわびしさと言ったら、無い)


 一人になりたくて図書室を選んだはずなのに、もしかしたら無意識にヴィンセントが来るかもと期待したのかもしれない。


 あの時のフォローを何か聞きたくて、何か慰めの言葉をかけてもらうためにこんなところにいるのだとすれば、あまりにも情けない話だ。


(ちょっとだけ寝よう)


 昨日の夜は、全く眠れなかった。

 今頃になって襲ってきた睡魔に、オリアナは素直に身を委ねた。




***




「寝顔見てやろーぜ」


 小さな声が、嫌に耳に響いた。


 図書室の本棚から本を取っていたヴィンセントは、笑い合う二人の男子生徒をちらりと見た。


 二人は肩を寄せ、楽しそうに話している。雰囲気的に上級生のようだ。本を選ぶのを一旦止め、ヴィンセントは何の気なしに二人の目線の先を見た。


 本棚に阻まれた図書室の隅の、目立たない場所でオリアナが眠っていた。


 本を広げたまま、机に突っ伏している。

 腕の中に顔を埋めているため顔は見えなかったが、ヴィンセントがオリアナを見間違えるわけがなかった。

 ミルクティーのような甘い色合いの髪を、何度手で梳きたいと思ったことか。


「あれ四年のエルシャだろ? お前、前から気にしてたもんな」

「っせーな。壁になっとけよ」

「起きて騒がれたらどーすんの」

「大丈夫だって。ちょっと顔にかかってる髪、上げるだけだし」

「そのまま触る気だろ」

「ちょっとだけって言ってんだろ」


 男子生徒が寝ているオリアナに手を伸ばす。ヴィンセントは足早に近付いた。


「すみません。退いていただけますか?」


 男子生徒の指先がオリアナの髪に触れる直前に、ヴィンセントは声をかけた。男子生徒はびくりと肩を揺らし、振り返る。


「……あ、タンザインさん」

「その席、僕が座っていたので」


 オリアナの隣の席を指さし、ヴィンセントはにこりと笑った。男子生徒らは慌ててオリアナから手を引っ込め、隣の席の椅子に手をかける。


「そうですか。知らずに座ろうとしていて……」

「いえ。そういったことは往々にして、ありますから」


 だから、退け。


 言外の意味を受け取ったのだろう。男子生徒らは挨拶にもならない言葉を残し、すすすっとその場から離れた。


「やべっ。今日は一緒にいねえって思ってたのに」

「まじでやめろよ。うち睨まれたらお前のせいだかんな」


 離れた場所で言い争う二人など目にもくれず、ヴィンセントはオリアナの隣に座った。


 肘をつき、オリアナの方に体を向けた。

 今まさに男に触られようとしていたことなどつゆ知らず、オリアナはのんきに寝ている。なんだか無性にやるせなくなり、ため息がこぼれた。


 オリアナは、よくモテる。


 贔屓目で無く可愛いし、気が利くし、顔が広い。分け隔て無く異性とも快活に話すし、どんな学年の生徒にも人懐っこい笑みを浮かべるから、受け入れられる。


 また、花嫁候補として最大の条件ともいえる莫大な持参金もある。この学校に通ってる半分は平民だ。出自が平民の学生にとって、オリアナはすごく好条件な花嫁候補とも言えた。


 オリアナが男子生徒に興味を持たれている現場を見るのは、今日が初めてでは無い。そのたびにヴィンセントは臍を噛んでいた。


 傍にいない間は離れた場所から妨害することしか出来なかったが、こうして”お友達”になった今、先ほどのように堂々と牽制出来るようになった。


「……君がモテていたなんて、前の僕は知らなかったな」


 いや、知ろうともしなかったのだ。


 いつもオリアナが全力で向かってきてくることに、胡座をかいていた。

 仮に、オリアナがモテていたと知っていても、優越感すら感じたかもしれない。二巡目のオリアナが好きなのは、ヴィンスであり、ヴィンセントだったのだから。


 髪をかけあげ、耳にかけたかった。少しでも顔が見たい。けれど先ほどの男子生徒と同じく、三巡目のヴィンセントにも、眠るオリアナに触る権利など無い。


 肘をついたまま、二の腕に頭を乗せる。眠るオリアナと同じ目線になった。


 オリアナの誕生日にオペラ劇場でようやく会えた時、ヴィンセントは世界中の神という神に感謝した。ローブ姿のオリアナも可愛いが、ドレスに身を包んだオリアナはそれはそれは可愛かった。


 最終学年の最後の定期試験前に、父にオリアナとの仲を勘ぐられることを避けたヴィンセントは、その時の立場で出来る限りの祝いの言葉を渡した。


(ふて腐れて、焼き捨てろとまで言っておいて、笑える)


 書状をきちんと保管してくれていたマルセルには感謝しきりだ。結局ヴィンセントは、オリアナの心もまだ近付いていないというのに、父と交わした約束に必死でしがみついている。


(今の僕には、これしかオリアナと共にい続ける手立てが無い)


 先日、勝手にシャロンが元許嫁だった事をオリアナに言い出した時、ヴィンセントはいつになく焦った。


 自分の口から言うのと、人の口から聞くのでは、印象が違う。だからこそ、一巡目のヴィンスも、二巡目のヴィンセントも、自分からオリアナに告げた。


(婚約をしていたのは昔の話だと伝えたが――出来ればもう少し仲良くなってから、自然に伝えたかった)


 婚約者がいたと知っても、オリアナは何も意識しないかもしれない。


 だが、婚約者がいた男――今後も婚約者が増える可能性がある公爵家の嫡男――として、彼女の目に映りたくなかった。出自が違うことを意識させたく無かったし、オリアナに恋愛対象外だと閉め出される前に、少しでもヴィンセントとの未来を考えてほしかった。


(まさかシャロンが、あんな態度を取るとは)


 あろうことかシャロンがオリアナに婚約者だと名乗り出た時、ヴィンセントはシャロンに厳しい態度で接した。

 婚約破棄の事実を、そして何故そうなったかを思い出させるためだ。


 これまでに無いヴィンセントの冷ややかな言葉に、シャロンが内心たじろいだのはわかった。しばらくは大人しくしているだろう。


 残念なことに、これ以上強く言うことは出来無かった。

 ヴィンセントは、シャロンに対して負い目がある。


(シャロンがネックレスを盗むと知りながら、僕は、僕の事情のために彼女を止めなかった。事前に盗ませない方法は、いくつもあったのに……エルシャ家と縁を持ちたいがために、幼く、何も知らないシャロンを利用した)


 彼女の罪は、ヴィンセントのせいでは無い。


 そうとわかっていても罪悪感は消えなかった。せめて親戚同士の付き合いくらいはと、できる限り普通に接し続けていた。


(婚約破棄の理由を把握しているのかまでは知らないが、僕にまだ、何かを期待しているとは思っていなかった……この間までは)


 シャロンの行動を、ヴィンセントは牽制だと思った。ヴィンセントがオリアナに惹かれていることに、気付いたのだろう。


(ただの親戚に、そんな権利も無いだろうに)


 そう思って苦笑する。先ほど、自分に対しても同じことを考えていたからだ。


「……オリアナ」


 二の腕を乗せている方の手のひらで、自分の髪を掴んだ。拗ねたような、幼い顔になっている事が自分でもわかった。


(いつ、僕を好きになってくれる?)


 二の腕に顔を伏せる。

 声には出せなかった。




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