第66話 白い空と赤い炎 - 01 -


 台座の上に、紫色の宝石が我が物顔で座っている。


 あの日、付けることの出来なかったタンザナイトが、オリアナの杖の上でキラリと光っていた。




***




 舞踏会の翌日、翌々日の休日は、皆だらだらと過ごした。


 誰もが舞踏会の余韻に浸り、週明けから始まる本格的な就職活動前の、一時ひとときの平穏を享受していた。



「ヤナ~。ラーメン食べに行こうよ~」

「あら、今日はラーメンの日なの? シオ味はあるかしら」


 談話室と部屋に飽きたオリアナは、ヤナを連れて食堂に向かった。看板の前には人だかりが出来ている。皆、この日を心待ちにしていたのだろう。ラーメンは正義だ。


「今日はシオとミソの日かー。あーあ、トンコツ食べたかったのに」

「オリアナはどっちにする?」

「シオ食べたこと無いし、シオにしよっかなー」


 他愛も無い会話、いつもの光景。けれどそれが、ずっと続かないことをオリアナは知っている。

 シオラーメンを待つ行列に並びながら、オリアナはローブの裾に手を入れた。中にある物を指でなぞり、手触りを確かめる。


 オリアナは舞踏会後から、常に杖と、いくつかの魔法陣が書き込まれた魔法紙の束を携帯していた。


 授業時間以外の魔法の使用は認められていないが、舞踏会後は、そんなことを言っていられない。たとえ自分が叱られても、退学になってもかまわなかった。


 文字通り、ヴィンセントの命がかかっているのだ。


 とはいえ、ヴィンセントは現在ラーゲン魔法学校内にいない。そのことは、緊張に喘ぎそうになるオリアナの心に安堵を与えていた。


 ヴィンセントが死んだのはラーゲン魔法学校内だ。


 厳重な管理下に置かれているラーゲン魔法学校内に入り込める部外者は、ほぼいない。探偵も雇ったオリアナは、外部犯の犯行はほぼ無いと判断していた。

 ラーゲン魔法学校内でヴィンセントを殺した誰かが、街に出るという可能性もあるが、ヴィンセントは公爵家の嫡男だ。

 王族の次に、厳重に身を守られている人物である。


 ハインツ先生によれば、オリアナの見当もつかないような殺し方があるようだが、一介の学生でいるよりも、公爵家の嫡男として家に帰った方が、確実に彼の生存率は上がるに違いない。


 そしてヴィンセントは、自分の身に危険が迫っていることを知っている。いつも以上に気をつけてくれるだろう。


 花ノ日どようびに学校を立ったヴィンセントに、オリアナは「死んだ日が近くなってるから、重々気をつけてくれ」と言い含めておいた。


 彼の死に関与するなと言われていたが、オリアナの切羽詰まった表情を見て、ヴィンセントも反論はせずに受け入れてくれた。


 そのヴィンセントから手紙が届いていた。どうも会おうと思っていた公爵が急な用事で不在になり、帰宅が種ノ日げつようびの昼過ぎになりそうだという連絡だった。



――――――――――――――――――――――――


 放課後には帰る。約束通り待っていてほしい。


――――――――――――――――――――――――



 そう書かれていた手紙を、オリアナは受け取ってから何度も読み返した。





 食堂の一角でヤナとシオラーメンをすする。

 ヤナの隣に誰か・・がいないことに、慣れつつある自分が嫌だった。


「メンマ美味しい」

「私はこのネギが好きよ」


 レンゲで、スープとネギとごまを掬う。美味しい。トンコツ以外にも人権を認めるべきか、オリアナは悩み始めていた。


 最後のメンマをフォークで刺した時、食堂の入り口からぞろぞろと男の子達が入ってきた。全員で十名ほどはいるだろう。何故か皆実習着を着ていて、手に板のような物や大ぶりの手袋を持っている。


「まあ、何かしら」

「今年から始まった部活だよ。マホキューって言うんだって」


 前回の人生と同じ事ならば、オリアナにもわかった。

 今年の新入生がマホキューの熱狂的なファンで、ラーゲン魔法学校でも部活がしたいと校長に直談判したという話を覚えていたのだ。


「板についてる魔法紙で、ボールを遠くに飛ばすんだよ」

「昼休みに、ルシアン達がやっている玉遊びと似ているわね」

「あ、そうそう。ル……第二の子達がやってる板には魔法紙がついてないけど、一緒の球技。クイーシー先生が顧問になってるんだって。練習する場所で揉めてるって聞いた」

「大変ねえ」


 マホキュー部のトレイの上には、山盛りの料理皿が並んでいる。

「すごい食欲ね」

「運動すると、お腹が空くしね」


 オリアナはレンゲをスープに漬けた。もう麺も無くなっているのに、スープの止め時が見つからない。


(今、何食べてるだろう)


 誰のことを思い浮かべたかは明白で、オリアナはほんのりと頬を赤らめた。まさかこんな、恋人同士のようなことを、今回の人生で考えられる日が来るなんて、思ってもいなかったからだ。


(待っててって言われた……。私は、待ってたい)


 ヴィンセントと会うのは明日の放課後だ。

 明日一日、彼がいない間をどんな風に過ごせるのか全く見当もつかなかった。


(舞踏会が終わって、何日後だったのか――正確な記憶が無いのが、悔しい。恐ろしい。でもヴィンセントと一緒なら、きっと乗り越えられる)


 ――放課後には帰る。約束通り待っていてほしい。


 何度も何度も心で反芻する。ヴィンセントの筆跡まで覚え込んでしまうほどに読んだ一文。


 オリアナはレンゲを置いた。


 あんなに止められなかったのに、もう一口だって、この恋でいっぱいの胸には入りそうになかった。




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