第64話 舞踏会に舞う夜の葉 - 12 -


 その後なんとか髪の毛を枝から救出した頃には、誰もが疲れ切っていた。


 オリアナは不自然な格好のままじっと耐えなければならず、自由に動けるミゲルとヤナは灯りを探しに行ったり、細くふわふわとしたオリアナの猫っ毛を、ちまちまと指で解かなければならなかったからだ。


 ヴィンセントはずっと芝の上で打ちひしがれていたが、何故かヤナとミゲルがそれを責めることは無かった。


 綺麗にまとめ上げていた髪もくしゃくしゃにほつれ、イリスの花の髪飾りは取れていた。


 やはり切れていた背中のリボンは、ヤナによって応急処置を施された。なんとか人前に出られる格好にまで戻ったが、上着を脱ぐことは許されなかった。ちなみに上着は、ミゲルのものから、ヴィンセントのものに早い段階で変わっていた。

 ヴィンセントの匂いが、上着から香る。色々とあったせいで若干ぽわんとしながら、ヴィンセントの上着をすんすんと嗅いだ。


「もう会場に戻る元気は無いわ」

「私も。こんな髪だし、もう帰ろうか」


 ボサボサの髪に男物の上着を着ているオリアナは、まるで暴漢に襲われた後に見える。


 できる限りの手は尽くし、なんとか誰かに見られても平気な程度には整えられたが、舞踏会に戻るに適切なヘアーアレンジとは言い難かった。


「タンザインさん、送ってちょうだい」

「ああ、もちろん。ミゲル、任せて貰ってかまわない」


 ヤナの指名を如才なくヴィンセントが受ける。


「おう、気をつけて」

「ミゲル、またね~」

「ん。またな」


 手を振ってミゲルと別れると、オリアナとヤナ、そしてヴィンセントは、女子寮の方へ向かった。


 帰り道は誰とも会わなかった。

 まだそれほど遅い時間では無いため、皆舞踏会で羽を伸ばしているのだろう。もしかしたら、女子寮の談話室には、まだ大きなチキンが残っているかもしれない。


 先ほどまでの激動の時間が嘘のように、帰り道は穏やかだった。基本的にヤナとオリアナが話しているのを、後ろから付いてきているヴィンセントが聞いていた。


 本当に他愛のない――舞踏会で食べた軽食や、クラスメイト達の靴の色など――話をしていると、あっという間に女子寮に辿り着いた。


「じゃあ、私は先に上がるわね。オリアナ、上着を返し忘れないようにね」

「ほんとだ。ありがと」


 完全に上着を自分の部屋に持ち帰ろうとしていたオリアナは、慌てて脱ぎ始める。しかしヴィンセントがそれを制し、微笑した。


「もう少し話さないか」


 オリアナは顔を引きつらせ、隣を見た。

 先ほどまですぐ横にいたはずのヤナが、いつの間にかいなくなっていた。


 そういえば「先に上がる」と言っていた気がする。

 慌てて探すと、すでに女子寮の扉をくぐり、らせん階段を登り始めていた。ヤナの後ろ姿を見て、気を遣われたことにようやく気付く。


「えっと、うはい」


 頬が火照る。


(送って来てくれたのに、また連れ出される意味を、どうしても勘ぐりたくなる)


 差し出された手を見て、オリアナは着け直していた手袋を外し、指先を乗せた。ヴィンセントはオリアナの指先をきゅっと優しく掴んで、手を引いた。


 女子寮の壁沿いに歩く。

 寮内は賑わいを見せていた。特に談話室の窓の下を通った時は、楽しそうな笑い声が響いた。舞踏会待機組が開く、女子だけのお楽しみ会は盛況している。


 騒がしい窓を抜け、女子生徒達が育てている花壇まで歩くと、ヴィンセントは立ち止まった。


 オリアナも立ち止まり、所在なさげに壁に背を付ける。ヴィンセントも、オリアナの隣で、そっと壁に背を寄せた。


「話さないか」と言って連れ出したくせに、ヴィンセントは中々口を開かなかった。


(別に、いいけど)


 少なくともオリアナにとって、嫌な沈黙では無い。特別な今日、特別な相手に連れ出され、手を繋いだまま、二人きりで星を眺めている。悪く無い。全くもって、悪く無かった。


 ヴィンセントの上着の襟元からシダーウッドの香りがする。オリアナは肩をすくめた。背を壁に押しつけ、片方の手をコートのポケットに突っ込み、足を伸ばしてコートに鼻を寄せる。肺を、シダーウッドの香りが満たす。


(泣きたいくらい、幸せだ)


 もしもう一度、オリアナが人生を送ったとしても、この瞬間のことだけは鮮明に覚えていることだろう。


 風の流れも、土から香る匂いも、虫の鳴き声も、微かに聞こえる寮生達の笑い声も――何もかもを。





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