第56話 舞踏会に舞う夜の葉 - 04 -
舞踏会はすでに、大変な賑わいだった。
学校から配られていた招待状を、魔法陣学の教師であるクイーシー先生に入り口で渡す。
クイーシー先生は今日、生徒のために執事役を務めてくれている。クイーシー先生はしっかりと頷くと、口元の髭を揺すって朗々とした声で名前を呼んだ。
「ヴィンセント・タンザイン殿、オリアナ・エルシャ殿、ご到着」
騒々しかった場内が一瞬、しんと静まった。場内の誰もが、たった今入り口から会場に入ってきた、二人のペアに注目した。
講堂は、ダンスレッスンのために貸してくれていた時とは、まるきり様子が違った。
天井からぶら下がるいくつものシャンデリアには魔法がかけられており、今日一日、決して消えることの無い火で輝き続ける。シャンデリアの周りには、地面に落ちることの無いシャボン玉がふよふよと漂い続け、シャボン玉に反射した光が更に講堂を明るく照らす。
壁際にずらりと並べられたテーブルの上には、できたての温かい料理がビュッフェ形式で並び、ダンスよりも食事に目が無い生徒らが皿を持って囲んでいた。
魔法容器の中に入った冷たいデザートも食べ放題だ。オリアナも、あとで必ず一口食べに行こうと胸に誓った。
また、会場内は魔法によって温度が調節されているため、肩と足がどれほど出ていても快適だ。ヴィンセントの上着は、早々に彼に返却してある。
自信に満ちた足取りのヴィンセントを、オリアナはちらりと見た。シャンデリアの下で、ヴィンセントは更に輝いている。まばゆいほどだった。
(夢みたい)
一度見た夢だった。
もう一度、こうして彼の隣に立てたことに、竜神様に感謝した。
(ヴィンセントが死んでしまったのは、舞踏会のすぐ後……今のところ、不調そうな姿も、誰かに付け狙われているのも、感じない)
表だって心配できなくなってからも、オリアナはずっと気になっていた。定期的な診査の結果は聞かせてくれるが、それだけで大丈夫なのだろうかという不安がオリアナの中でくすぶっている。
(舞踏会が終わったら――もう一度相談しよう。怒らせても、死なせるより、ずっといい)
一番美しいヴィンセントを見て、何よりも考えたくないことを思い出す自分が歯痒い。
「誰にも挨拶をしに行かなくていいとなると、何をすればいいのか迷うな」
ヴィンセントが、テーブルに並べられているシャンパングラスを手に取った。
オリアナの体のこわばりに気付いただろうか。慎重な手つきでグラスを渡される。オリアナはゆっくりと喉を潤した。
腕にかけたままだったオリアナの手を、ぽんぽんとヴィンセントが叩く。
舞踏会に圧倒され、緊張していると思ったのだろう。実際、他の生徒と同じく、オリアナに社交の経験はそれほど多く無い。
「じゃあ、ダンスまでおしゃべりしてようよ。それに私、あっちにあるデザートも食べに行きたいと思ってたんだ」
「食事の前に?」
「この格好で、麺すすってもいい?」
「デザートの案を採用しよう」
くすりと笑ってテーブルにグラスを返すと、ヴィンセントが足を進めた。優雅なエスコートだ。オリアナの体が、無理なく彼に導かれる。
壁の傍にある、食事の載ったテーブルの前は大盛況だった。しかし、ヴィンセントが近付くとサッと人が退く。学生姿の時よりも、その動きは顕著だった。皆、公爵家の嫡男の格好をしたヴィンセントに、いつも以上に緊張しているのは明らかだった。
ヴィンセントは学友達の様子ににこりと微笑むと、朗らかな声で言った。
「やあ。今来たばかりなんだ。どれが美味しかったか、教えてもらえるとありがたい」
優しいヴィンセントの声に後押しされた生徒達が、あれよあれよと集まってきた。あれもこれもと、我先に、美味しかった料理を教えようとしてくれる。
「オリアナ、どれがいい?」
手に持った皿いっぱいに食べ物を載せることになったヴィンセントは、苦笑しながらオリアナに尋ねた。みんなの厚意を無下に出来なかったのだろう。
テーブルから離れ、壁際に並べられた椅子に座る。隣同士で座ると、オリアナはバッグを膝の上に置き、皿を受け取った。
エビとアボガドとチーズ、そして薄く切った小さなバゲットを、細い串で留めてあるピンチョスを指で摘まむ。
そして、ヴィンセントの口元に向けて、ズイッと差し出した。
「ヴィンセント、あーん」
「……」
先ほどまで人好きのする笑顔を浮かべていたヴィンセントは、明らかに「正気か?」というオーラを纏った。
「あーん」
「……」
「あーん」
ほぼ睨み付けてくるヴィンセントに負けず、オリアナは身を寄せた。しかめっ面はするくせに、ヴィンセントが逃げない事が楽しかった。
オリアナ達の周りで様子を見ていた生徒達がざわめき出す。ヴィンセントはいつでも何処でも注目の的だ。
(これ以上は怒るかな)
引き際と見たオリアナは、ピンチョスを自分で食べようと、腕を引き戻そうとする。しかし、オリアナが手を戻す前に、オリアナの掴んでいたピンチョスを、ぱくりとヴィンセントが口に入れた。
細い串を持ったオリアナは、自分の指先の先っぽにヴィンセントの唇と、顔があることに一瞬息を止めた。
そして、ヴィンセントが顔を上げた。閉じた口を、もぐもぐと動かしている。串から、エビ達は消えていた。
オリアナは、目を見開いたまま、串を見ている。
(た、食べたー!?)
「た、食べたー!?」
心の中で思ったことが、そのまま口から出てしまった。
ざわざわざわっ――先ほどの比では無いざわめきが、会場中に広がった。オリアナはやはり、串を見る。
(結構大きかったのに……一口で食べた……口、おっきい……)
オリアナはヴィンセントの口を見た。
「ヴィ、ヴィンセント」
「なんだ」
咀嚼し、飲み込み終えたのだろう。平然とした顔でヴィンセントが答えた。オリアナは、ゴクリと生唾を飲み込む。
「も、もう一口、どう?」
「いただこう」
パァアアっと、オリアナの顔が輝く。
他のピンチョスから、スプーンを使う軽食まで、オリアナは満面の笑みを浮かべたまま、せっせとヴィンセントの口に運び続けた。
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