第33話 アビゲイル・メジテ 1

 私はちょっとうきうきした気分で下町を歩いていた。やっと仕事に一段落付いた。年に2回の竜騎兵の行進パレードは一仕事だ。部下達の練度を上げて、きちんと飛ばさなければならない。できれば行進毎に新しいフォーメイションを試して見たい。でもそれをやると調整が大変だ。行進のためだけに竜騎兵が存在しているわけではないのだから。その辺りはお父様も分かってくれない。ルーチンワークなど片手間でできると思われている。


 竜騎士は街の顔だ。市外のパトロール、魔物の討伐、要人の護衛、外国からの使節への儀仗など外に向かっては常に万全の姿を見せなければならない。いつでも好調なんてそんな訳はないのに、体調が良くないことを外部に見せるのは竜にも竜騎士にも御法度だ。竜の体調維持も結構骨が折れる。見かけよりずっと繊細な生き物なのだ、竜というのは。例えば食い物は自分で狩ったもの以外は、ペアーを組んでいる竜騎士の手か馴れた飼育員からしか受け付けない。まあ竜の食事は地竜も飛竜も3日に1度だから何とかなっているが、人間のように毎日などと言うことになれば手に余る。


 その上、私は竜騎士全体の指揮官ということになっていた。地竜のことなんかほとんど知らないのに。地竜隊のことに関しては副長で地竜騎士隊隊長のエラン・カーナバスに任せなければならないのだが、彼は特に書類仕事で詰めの甘いところがある。だから最終チェックは欠かせない。私はいつも思うのだ、何故22歳にしかなってない私が、40歳過ぎのおじさんの書類仕事にまで気を配らなければならないのだと。

 でも取りあえず今日の仕事は終わった。“明日出来ることは今日するな”というのがエランのモットーだと言う。最初に聞いたときには大人の悪ぶった冗談だと思った。すぐに冗談ではないことに気づかされた。なにしろギリギリまで書類を出してこないのだ。余裕を持って請求すると本当に嫌な顔をする。私がチェックするための時間も残しておいてほしいのにそんな気はないようだ。

 私もそんな風に思えたら良いのに、といつも思う。しかし今出来る仕事を先延ばしにすることがどうしても出来ない。だから目の前から書類が全て消えてくれたという開放感と安堵感は貴重だ。


 それで私はうきうきと街へ出かけた。お酒は好きじゃないので美味いものを食べるためだ。勿論家に帰れば手の込んだ、高級食材を使った料理が供される。メイドの給仕つきで。でもこんな時にはほっとする料理が食べたい。お母様などいい顔はされないが、強く駄目出しはされない。と言うわけで、おなじみの『暁の仔馬亭』に私の足は向かった。


 目的の場所に近づくに従って何か不穏な空気があるのに気づいた。街を歩いている人たちが一定方向に流れている。私が行くのと同じ方向だった。『暁の仔馬亭』に近づくとますます人が多くなる。『暁の仔馬亭』の前に分厚く群衆が集まっていた。その中心から何か声が聞こえる。


「ご覧の通りだ。俺は何もしていないぞ。ジャンポールとか言う奴が勝手に転んでいるだけだ」


 ジャンポール?三の兄様と同じ名前だ。背の低い私には人の背中しか見えなかった。だから飛行魔法でふわっと浮いてみた。群衆の一番前に警備兵がいる。そして警備兵の後ろに従者を従えたジャンポール兄様がいた。兄様の顔が真っ赤だ。


「なっ、何をしている、さっさとそいつを捕まえろ!あんなのは作り物に決まっているじゃないか!」


 三の兄様が大声を出した。いや、喚いた。兄様の指さす方向に男が一人立っていた。酷く冷たい表情をしている。まるで自分が見ているのは普通の人間ではなく、猿の群れででもあるかのような目だ。男のすぐ上にピクシーが一人浮いていた。そのピクシーと目が合った。人形のように整った容貌の何という冷たい眼――これが私の印象だった。ピクシーはすぐ私に興味をなくしたように視線を外した。私は視線を男の方に移した。

 ジャンポール兄様に叱咤されて、警備兵の指揮官が男を捕らえるように命じた。男がすーっと浮いた。吃驚した。こんなスムーズな飛行魔法は見たことがない。ためもなくいきなり身体を廻らせた魔力の循環も見事なものだ。飛行魔法に特化した循環であることも分かる。

 飛竜騎騎士は任務の性質上飛行魔法が必須だが、この男ほどスムーズに使える飛竜騎士は私の部下にはいない。正直、私もあのレベルには追いつかない。

 警備兵が足を止めた。飛行魔法の遣い手は少ない。それだけに飛行魔法が使える人間は魔法使いとして腕が立つ者が多い。警備兵が警戒するのも当然だ。


「もう一度よく見ろ、俺に非があるかどうかわかるだろう」



 

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