第30話 ジャンポール・メジテ 1
「ほう、ピクシーの従魔とは珍しい」
その声に不快なものを感じて、俺は聞こえなかったふりで行き過ぎようとした。ところがさらに声が追いかけてきた。
「おい。お前!」
何だ、この高圧的な言い方は。さすがに気づかないふりは出来なくて俺は振り返った。
声を掛けてきたのは上等な服を着た若い男――20代半ばくらいだろう――だった。服装と袖口の刺繍が貴族身分であることを示している。尤もそれが貴族の印であることは知っていたが、この街に来て間もない俺は、それがどの貴族家のものかまでは分からなかった。ダンツィーノ爺さんが蒼くなっていたからかなりの上級貴族らしいという見当は付いた。
俺は振り返ったが、声を掛けてきた男に視線を当てるだけで何も言わなかった。
「そのピクシーの従魔、俺が貰ってやろう。金貨10枚でどうだ?」
何を言っているんだ、こいつは?金を払うからアリスを寄越せ?冗談ではない。第一従魔は奴隷ではない、売り物ではないのだ。それに酒臭いぞ、こんな時間から酒を飲んで、酔っ払った頭でアリスを譲れだと?この莫迦が。
「譲れない。失礼」
それでも一応礼儀を保って(俺はそのつもりだった)、断りの言葉をはっきり告げて背を向けた。
「待て!」
さらに呼び止められたようだが、俺は振り返りもせず、そのままその場を離れようとした。横でダンツィーノ爺さんがおろおろしている。
「あいつを止めろ!」
俺の前に3人の男が立ちふさがった。揃いの服を着、腰にこれも揃いの剣を吊っている。貴族の家人でこの若い男の従者だろう。どいつも俺より5cmは高い。よく鍛えられた身体を持ち、眼光が鋭い。護衛も兼ねているらしい。それにこいつらは酒を飲んでいなかった。
俺は隣でおろおろして、俺から少しずつ離れようとしているダンツィーノ爺さんに声を掛けた。わざと少し大声にした。周りを行きかう通行人に聞かせるためだ。
「この国の法では貴族が自分勝手に
離れかけていた爺さんがびくっとしたように足を止め、俺を振り返った。
「い、いや、そんな法律は……ない。ただ」
「ただ?」
「へ、平民は貴族様との諍いを嫌う。だから、……要求されれば従うことが、多い」
不穏な空気を感じて足を止めて遠巻きにしている通行人達の顔を見ると爺さんの言っていることは嘘ではなさそうだ。確かに平民と貴族の争いでは法的な正しさより、身分を考慮した解決が成されることが多いだろう。俺の元の世界でも貧乏人と金持ちの争いはよほどのことがない限り金持ちの勝ちになる。例え法的な争いでも金があれば優秀な弁護士が付く。弁護士の仕事というのは法律を最大限依頼者に有利なように解釈することで、優秀な奴ほどそれを尤もらしく見せることができるって訳だ。おっと話題が逸れた。
『記録する?』
アリスが訊いてきた。戦闘用A.I.の仕事の一つだ。持ち主の戦闘行動を記録するのは。
『当然』
『OK』
俺は前に立ちふさがった男達に、
「どけ、用事はない」
勿論、主人に命じられた家人達が俺の言うことなど聞くわけがない。一応こんなことを言っておくのは様式美だ。
「ジャンポール様の言われるとおりその従魔を置いて行った方が賢いぞ。金まで払って下さるとおっしゃっているんだ」
3人の中で真ん中にいる、一番年かさの男が言った。40歳はいってないだろう。3人の中で体捌きに一番切れがある。
「どけ、と言ったぞ」
俺は足を踏み出した。アリスは1mくらい浮いて、俺の頭の真上にいる。左端の男がつかみかかってきた。結構素早い、素手で来たのはつまり大げさにはしたくないと、そういうことだろう。その手を掴んで引っ張った。男が踏ん張った瞬間、念動をかけてはじいた。男は5mも後ろに吹っ飛んで地面に叩きつけられた。男が飛んでいった方にいた群衆が慌てて身を躱した。周囲を囲んだ人間達が吃驚した表情を浮かべた。ドシンと人間の肉体が落ちたにしては重量感のある音が聞こえた。グェーという人間のものとは思えない悲鳴も聞こえた。
「貴様!」
今度は右にいた男が殴りかかってきた。一人がやられてもまだ武器を使わない、ちょっと感心した。少し手加減してやろう。スピードはあるが大ぶりの拳を躱して顎の先を軽く打った。頸の骨が折れるほどの力は入れてない。それでも頭を強烈に揺すられた男は力なくうつぶせに倒れた。今度は悲鳴は上がらなかった。この方が静かで良いか。
「なるほど、腕自慢のようだな。だがこの街で貴族階級に逆らうというのは愚かだぞ。考え直さないか。いまならジャンポール様に取りなしてやるぞ」
残った男が言った。周りを取り囲んでいる群衆から、
「メジテ家のラフィン様だ」
と言う声があった。結構な有名人らしい。そしてけんかを売ってきた貴族家の名前も分かった。
「断る」
男がにやりと笑った。
「そうか。それなら力尽くになるな」
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