背中合わせの二人

 一説によると。かの厩戸王うまやとおう――後の世で聖徳太子と崇められることとなる人物は、大和発展の礎を築く第一歩として、東方における時の覇権国たる隋王朝と対等外交を結ぶべく尽力したと言われている。それを端的に表しているとされるのが、『隋書倭国伝』に見られる記述である。


「日出ずる処」と「日没する処」――その表現は、当時権勢を誇った隋王朝に対する挑発だとも言われ。またそれとは別に大和と隋の両国の君主を同じく「天子」と称したのも、かつては外交の必然とされた冊封体制からの脱却の志を仄めかすものであるというのが、有識者間における主流の見解のようである。聖徳太子なる人物が現実に存在したか云々の話はともかく、いずれにせよ七世紀初頭における大和王朝が並々ならぬ野心でもって独立国家への道を進もうとしていたことは、疑いようも無い事実なのである――だがそれは、どうも物事の一面だけを浮き彫りにしたに過ぎないのではないか。


 聖徳太子はまた蘇我氏らとともに、当時最先端であった隋の文化を積極的に取り入れたことでも有名であり、その中にはシルクロードを経て伝わった、仏教思想も含まれる。「日出ずる処」と「日没する処」の両者を仏教的視点から捉え直してみると、もう一つの姿が顔を出す。すなわちそれは、「娑婆世界」と――「西方浄土」である。未だ俗世の苦しみに喘ぐばかりの未開の地の首長の代理人としての彼の、真如の法に立脚した統治(無論、全く事実無根のことだが)が為されている異郷への崇敬の念が、世に廣く知られる国書の一節に表出したものだとも、推察が可能なのである――


 ――愚説だ。所詮は愚説に過ぎない。仏教思想を取り入れて間もない大和の一公人に過ぎぬ太子がすでに浄土思想に対する深い習熟を得ていたとする説は、よくて半信半疑といったところがせいぜいであろう。されど――大和の人々の在るべき姿の「象徴」としての彼の人柄をいみじくも描出しているのは、果たしてどちらの説なのであろうか――




 ***




 冬華は静まり返った夜のアパートの一室にて、自らに宛てられたその配達物の封を開ける。凡そ返事の手紙を届けるにしては些か大仰な厚さの包みの中からは、想定通りの書簡と、想定外の書類の束とそして――通帳と印鑑が。否、想定外というのは、少しばかり事実とは異なる。「こういうこと」が近いうちに起こる可能性について、冬華はでき得るかぎり目を背けていたかったのだろう。しかし今眼前に突き付けられた彼女は……意を決して、丁寧に折り畳まれたその書簡を開く。


 文字に目を通す間、何度も天を仰ぐ冬華。まだだ、まだ早すぎる――様々な想いがあやめ模様を成して去来するが、まだ前を向く。彼女は懸命に、あの人の――「日の出」と「日の入り」のを教えてくれた、その人の筆跡を辿る。どうしてただの字の羅列に過ぎないのに、こうも自分という存在そのものを揺さぶるのだろう。何度も挫けそうになるが、負けない。彼女は確かに頑強なる心こそ持ち合わせてはいなかったものの……その心は、程良くしなる柳の形をしていたから。


 最後まで読み終えたとき……雨が降っていた。季節外れの霙交じりの驟雨しゅううの中、冬華は一言――ありがとう、お義父とうさん。本人の前で一度も口にしたことの無いその言葉を……彼女は胸の内で、そっと、囁いた。




 ***




冬華へ


 誰そ彼ともわからぬ時に、この紙上へ徒に文字なんぞを書き連ねております。

 先ず以て君には謝らねばならない。如何に君の頼みとはいえ、私には泉に映るばかりの黄色い天道への切符を渡すことはできない。今彼処へ赴かんとする私とて道昏きことには変わらず、卑劣漢たる私の業を呪ってくれて構わない。

 君が夕日を愛づる風流を解する性質を持つことは、私にとって大変喜ばしいことではある。だがそれでも君が些か過剰なまでにその偏向を強めてしまうのは、うら若き乙女たる君が持つ美点を損ねてしまう気がしてならぬ。斯様な物言いが今日差別的であると罵られる類のものであることは委細承知だ。それに普遍的美を嗜むのに、老いも若きも無いのは確かなことであろうとも。然しそれでもだね、君。早い。早すぎるのだよ。

 急がずとも必ず日輪の際が水平線を撫でる時はやって来るのだから、君にはまだ明るい内にその目の前に広がる雄大な景色を焼き付けてほしい。ひょっとすると君は、あらゆる事物が灰色にしか見えぬと嘯くかもしれぬが、それは思い込みというものだ。まことの道に照らして無色無形、一切即一というのが理想ではあろうが、君がそのような背伸びをする必要はないのだ。もっと見たまま、感じたままを受け入れる悦びを君自身に与えてやってほしい。賢しらばかりの愚物と共に斜陽を眺めてくれるのは、ほんの須臾の間だけで良い。その刻が訪れるまで、私は君と背中合わせの処にて待とうではないか。


 最期に。斯様な見え透いた嘘を並べ立てる痴れ者をどうか許してほしい。いや、できればあともう一つだけ。此度不思議の縁に依って椿の君と巡りあえた私は、誠に果報者であった。左様ならば 淙淙


  新宅 夏樹 

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世界を跨ぐ手紙の行方は 律角夢双 @rikkaku-muso

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