罪を詫びる愚者の手紙

夏樹なつき!」


 そう軽く叫びながら飛び込んできたのは、この部屋の主である夏樹の、姉に当たる人物であった。夏樹は他の住人に迷惑になるという旨をやんわりと姉に対して伝えようかどうか迷ったが、結局は目の前の姉の何とも穏やかではない様相に気圧され、当たり障りのない返事をするに止めた。


「どうしたの、姉さん。何かあった?」


「何かじゃないわよ。手紙よ、て・が・み!」


「手紙なんて――珍しいじゃない。誰から?」


「忌み子よ……あの『裏切り者』の!」


 そういう言い方はないでしょと零しそうになって、また夏樹は口を噤む。姉は確かに悪い人物ではないし、彼女があの子に対して良い感情を持つのが難しいということも痛いほどわかる。わかるのだが――夏樹はどうにもならない理不尽の前に、沈痛な面持ちを隠すことができずにいた。


「手紙くらい、別にいいじゃない。出しちゃいけないなんて決まりはないし」


「良いもんですか、まったく……信じられない」


「――まさか姉さん、中を見たの?」


 夏樹の言葉に、「アナタに悪いとは思ったけど」と口を濁しながら俯く姉。その仕草に小さく苦笑してしまう。何だかんだで姉もやはり人の子だという当たり前の事実に、夏樹は何故か安堵していた。


 彼女の手に握られていたのはごく一般的なサイズの茶封筒で、開いた口から白い紙が覗いている――おそらくあの子の手紙だろう。夏樹が姉に目線を送ると、彼女は渋々といった表情でその茶封筒を渡す。夏樹は緩慢な動作でその三つ折りされたルーズリーフの紙を取り出すと、まるで典具帖てんぐじょうでも扱うかのような優しい手つきでそれを広げた。




 ***




前略

 私は日の出の時間に、この拙い文をしたためています。そちらはいかがでしょうか。おそらくは黄昏時でしょうか。そちらの窓辺から一望できる夕日はさぞかし美しいかと存じます。こちらはまだ仄明るくなったばかりで、道行く彼は誰かもわからぬ有り様です。

 今すぐにでも参上し絶景の御相伴に与りたいところではありますが、なにぶん道に昏きところが多うございますゆえ、馳せ参じることができません。つきましては私が一足飛びに拝眉することが叶いますよう、お手廻しいただけると幸いにございます。

 略儀ながら書中にてご挨拶申し上げます。 草々


  古知屋冬華




 ***




 夏樹は一通り文面を読み終えると、そのまま手紙を元通りに閉じる。やけに皺が目立つその薄紙をしばらく茫とした装いで眺めていたところ、姉の無遠慮な喝声で我に返った。


「アナタを寄越されて何とも思わないの⁉」


「何とも、って言われてもなぁ……」


「わかるでしょ? が同時に来るわけがない……どこまで性根が曲がったらこんな手紙を書こうって気になるのかしらね」


 姉のその言葉で、夏樹はようやく得心がいったようだ――なるほど。日の出と黄昏、一足飛びに拝眉、そして書中にて。要するに彼女はこの手紙の内容を、「見舞いに来てほしかったら交通費を出せ。まぁ出したところで来てはやらないけどな」と、そんな風に解釈したわけだ……。


「姉さん、悪いけど外のコンビニで便箋を買ってきてくれないかな?」


「え――う、うん。わかったわ」


 姉は一瞬きょとんとした顔になったが、すぐに普段通りに戻って病室を後にした。その間に夏樹はペンを用意しつつ、あの子と姉に関するただ空しいばかりの思案に耽る――あの子はもちろんのこと、姉だって決して悪くはないのだ。悪いのは、姉が掛けている「眼鏡の出来の良さ」にある。


 誰もがそれぞれ自分に合ったレンズを備えているし、確かにそれは生きていく上で必要なものだ。けれどあまりにも高性能に過ぎるソレは、時として見る必要のない虚像までをも映し出してしまう――皺くちゃになった上質紙の向こう側にだって、「お前への手紙などこれで十分」というありもしない悪意の幻影を、姉は見て取ってしまうのだろうか……そう思うと夏樹は、言いようの無いやるせなさに襲われる。


 程なくして姉が戻ってくると夏樹はすぐに便箋を受け取り、文を書く準備を整える――空咳が二つ。決して紙面を汚すまいと、咄嗟に下を向いた。


「ねぇ、何をそんなに畏まってるのよ。アナタのそういうところ、わからないわ」


 それまでずっと訝し気な顔をしていた姉が、とうとう我慢し切れずに口を開く。承服しかねると言わんばかりに眉をひそめる彼女に対し、夏樹はただ軽く微笑むのみに留め――その疑問に答えてみせた。


「そりゃぁ畏まらないとダメだよ。今から私は、『ラブレターへのお断りの手紙』を書き綴らないといけないんだからね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る