世界を跨ぐ手紙の行方は
律角夢双
裏切り者への手紙
〈日出ずる
『隋書倭国伝』
***
「あー、この『遣隋使』に関しては、非常に有名なエピソードがあってだなぁ……」
日本史教師のお世辞にも耳心地が良いとは言えない
「西暦六〇七年、第二回の遣隋使においては、推古天皇の命を受けた小野妹子らが数名で渡航したわけだがぁ……その折に小野妹子は、当時の隋王朝の第二代の皇帝であった煬帝――かの悪名高い『暴君』だな。その煬帝に宛てた国書を携えて赴いたんだが、この国書の内容が彼の激しい怒りを買ったとされている」
――私は何をしてるんだろうと、冬華はわりかし真剣にそう思う。傍目から見れば、彼女はどこにでもいる普通の高校生。しかしそういう枠組みで捉えられる存在であるということに、他ならぬ冬華自身が到底信じられないという心持ちであった。
「では何故怒りを買ったのか……わかるか、
「――」
「……古知屋冬華!」
「ハ、ハイ……わかりません」
しょうがない奴だなぁ、という教師の声とほぼ同時に、冬華を控えめな朗笑が包む。決して悪意が籠められているわけではないのは彼女とて承知しているのだが、それでも彼女の繊細に過ぎる心には硬い魚の鱗のように刺さる。骨ではなく鱗で済んでいるのは、ひとえに周囲の同世代の仲間達が彼女に対してある種の畏怖にも似た感情を抱いているからであり――とどのつまり冬華は、孤独であった。
「要するにだなぁ、『日の出』が倭国で、『日没』が隋というのが問題なんだ。日の出――つまりこれから上り調子なのが日本、そして日没――落ち目なのが中国、という意味合いなわけだな。ただでさえ皇帝としての寛容さに欠けた煬帝にとっては、この内容は大変屈辱的だったに違いない――」
大人は信用できない――冬華は平素から苦々しく思っているその「事実」を、またこの場で自らの脳の表層にまで浮上させていた。不覚にもその浮上させてしまった意識が、彼女の内に眠る憎悪の感情をも呼び覚ましてしまったのだろうか。彼女は唐突に姿勢を正すと、それまで真っ白だったルーズリーフにシャープペンシルで何かを書き付け出した。
「――もっともこの説は信憑性が薄いと言われており、実際には『天子』という言葉を日本と中国の双方の君主に対して用いたこと、すなわち両者が対等の立場であるという態度を表明したことが真の原因であるとする説の方が有力であって――」
もはや冬華の耳には、教師の雑音は届かない。一心不乱に書いては消し、書いては消しを繰り返すその中身は、当然ながら教室の前方にある黒板の内容の写しではない。それは「手紙」――彼女が最も「憎む」相手に対する。自分と言う存在を差し置いて、この度は厚かましくも抜け駆けしようと企む裏切り者に対する、怨嗟の言葉。薔薇の棘のごとく尖った字体でコツコツとペンと机の表面による摩擦音を響かせる冬華の表情は、さながら般若の面のようであった。
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