~side 真弓エリカ 2~
『……漫画だと、この後どうなるのだったかしら』
ゴクリと生唾を飲み込んだ音は私じゃなければ彼の出した音だ。ここには2人しかいないのだから。
彼の顔を、彼の瞳を、こんなにもまじまじと見ることなんて今まであったのだろうか。
私が見ているだけではなく、向こうも見ているので正しくは見つめ合っている、そんな状態。
『こう、だったかしら』
伸ばした手の先に触れる頬はしっとりしていて柔らかい。読んでいた漫画の展開と同じ行動だけれど、そうでなくても手を伸ばしていたと思う。
『その後は…、まだ読んでないわ…』
嘘。本当はページをめくっていた。
漫画での展開は、私にとって都合の良い展開だった。
『どうなるのかしら……』
強欲な私は、それ以上を望んだ―――
開きっぱなしのノートに垂れたよだれをすぐに拭う。他の人にこんな姿を見られたら幻滅されてしまうわね。彼以外には…。私の駄目な部分を知っているのは彼くらいだもの。
どうやら夏休み明けの予習をしている途中で寝てしまったようだ。6人でプールに行ったのだから疲れるのは当たり前よね。楽しすぎて私もはしゃぎすぎたみたい。
「また夢か…」
あの日から時々夢をみるようになった。それくらい深く私の頭にこびりついているのだろう。寝ても覚めてもあの日のこと、彼のこと。
唇に指をあててみても、そこに欲しかったあの感覚はない。あと少し、ほんの数センチの距離だったのに。
「柔らかいのかしら…味は…やっぱり甘いのかしら…」
あれからずっと後悔している。あの時、伸ばした手を首に絡ませて強引に引き寄せてしまえばよかったと。褒められるやり方じゃないのだけれど、あの場のムードなら何もおかしいことではないでしょう。私に勇気がなかっただけ。
この夏の彼は良い方向に変わったと思う。それは彼が部屋に入れてくれたことが証明している。今までそれとなくお願いしてみたことはあったけど、その度にはぐらかされていた。今回も強気で言ったものの、正直断られると思っていた。根負けしたような感じではあったけれど、以前なら違っていたと思う。
「マコトは別として、部屋に入ったのは私が初めてじゃない?……これはもう…」
早とちりしてはいけないのはわかっているけれど、実際に雰囲気を体感してしまうと自惚れてしまう。あの雰囲気は私だけが意識しているのではなく、向こうも…。
望んでいた関係には至らなかったけれど、漫画に近い展開にはなったと思う。欲を言えばあと一歩踏み込むことができたらよかったのだけれど、私にしては十分に頑張った。うん、悪くない。
そのおかげか今日のプールでも嬉しいことが沢山あった。
「まさか小さいことを喜べる日が来るなんてね…」
Tシャツの襟をつまんで覗き込んでみたが、やはり私の胸は小さい。
私はスタイルには自信があったけれど、胸に関してはコンプレックスを抱いていた。主に周りにサユリやマコトがいたせいなのだけど。でも彼は小さいほうが好きと言っていた。何回も確認したし、彼が慰める為に適当なことを言う人ではないのも知っている。その彼の一言だけで私は報われた。これからは無い胸を張って堂々としていられる。他の人の好みなどどうでもいいのだから。
彼は外見に左右されるような人ではないけれど、好みであればそれに越したことはない。この強みはこれから使っていくべきね。
「フフッ…私のためにスライダー乗らなかったんでしょ。バレバレよね」
彼はとぼけていたけれど、お見通し。何故なら以前にも同じようなことがあったからだ。
中学の頃の遠足でテーマパークに行った時、絶叫系が苦手な私は退屈していた。他の子に気を遣われないように小さいジェットコースターに挑戦もしてみたけれど、駄目だった。割り切った私は1人でずっと座って待っていた。そんな時に隣に座ったのが彼だった。「疲れたー」と言いながら腰を掛け、いかにも私の為に一緒に休憩しているわけではないように振舞っていた。その手段として私でも乗れそうな乗り物を「あれ乗りたいんだけど1人だと寂しいから一緒に乗らない?」と誘ってくれた。本心は見え見えだったけど、彼には気を遣うこともないし、甘えられる。他の人は露骨だし、そもそも彼くらいしか自然に振舞ってくれない。だから好きなのだけど。
テーマパークも今日のプールも、楽しかったな。
「……今日も中途半端になっちゃったわね…」
2人きりの時間があったなら話そうと思っていたことがあった。それが夢の続きの話。正しくは彼の部屋での、もしもの話。しつこいと思われるかもしれないし、彼からすれば何とも思っていないのかもしれない。でも私にとって意味のある大きな出来事で、簡単に終わらせたくなかった。
ようやく、彼の心に触れることができた気がしたから…。
「…偶然…よね」
私の切実な思いはマコトによって妨げられた。
タイミングなんてものは結果論であって、あとから考えてみればどのタイミングでも良くも悪くも捉えることができる。でも、マコトという人物を知っている人であれば、限りなく低いが偶然ではない可能性も考えてしまう。普段は天真爛漫、それでいて悪戯っ子のようだけれど、時折計算しているように見えることもあるのよね…。
マコトは小さい頃から私が欲しいものを全部持っていた。容姿も器量も性格も、私にはなくてマコトには備わっているものだった。今でこそ彼のおかげで身についてきてはいるが、ずっと羨ましく思っていたし、嫉妬していた時期もあった。けれども、その嫉妬の気持ちすらも包み込んでくれる人柄がマコトにはあって、だからこそ人としても尊敬しているし大好きになった。それは今も変わらない。
そんなマコトと彼の関係はよくわからない。幼馴染と言ってしまえばそうなのだけれど、それは私たちにも当てはまる。あの2人ならではの空気感は確かに存在する。昔は付き合っていると思っていた。そう思うくらいに2人の距離は近かった。でも実際はそうではないらしい。大きくなるにつれて一言で表現できる単純なものではないということがわかってきた。
今の私はそんなこと気にしていない。付き合っていない、という事実だけあればそれ以上は関係ない。今まで彼に恋愛経験がなかったのもマコトのおかげという部分もあるからね…。
「…というかサユリとくっつきすぎでしょ…」
マコトよりも最近マークしているのがサユリのこと。今日のプールでもマンツーマンで教えていたし、ベタベタと触られていたし…。私も泳げなければよかった…。
割って入ろうかと思ったけれど、サユリのあんな顔を見てしまったら不可能だ。私もつくづくサユリに甘い…。
向こうがどう思っているかは知らないけれど、勝手ながら私はサユリのことを良きライバルであり一番の親友だと思っている。あの子と張り合うのも遊ぶのも、何をしていても本当は楽しい。
彼とのことも私と張り合っているからではないということも知っている。負ける気はないけれど、私の次くらいにはお似合いかもね…。
…私の次にね。
2人だけで映画を観に行ったという話も納得していないのに、プリクラまで撮っていたのには驚かされた。なんてことのない話に聞こえるけど、彼が撮るという意味は非常に大きい。しかもチラッと画像を見せてもらったけど、近過ぎだし、カ、カップルにも見えなくもないし…。動揺しているのが伝わらないように取り繕うのが大変だったわ。
まあ私も負けてないのだけれどね…。部屋に入ったってだけじゃなくて…その…押し倒されて…その…まあ引き分けにしといてあげるわ。
聞いた話だとこの夏に進展があったのは私たちだけではないようね。焦る必要はないけれど、うかうかしていて万が一他の誰かにとられるなんてあってはならないわ。
「新学期…彼に接近している今を逃す手はないわよね…」
新学期からすぐに文化祭の準備にとりかかると聞いている。この期間こそが最大のチャンスだ。同じクラスという点において、私は誰よりも有利なのだから。
学校のイベント事において男女の仲が進展するというのはよくあることだけれど、それは当日だけの話ではない。
「待っているだけでは駄目よね…」
同じ学校、同じクラス、今一番エツジ君に近いのはサユリでもマコトでもなく私よ。私は私の利用できるものは何でも利用するわ。文化祭までに私の気持ちを少しずつ伝えてあげる。そして、
――――――文化祭当日に勝負よ!
「でも…最後の一言はエツジ君から聞きたいな…」
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