第5話 初デートと・・・
今年も見事に春を彩った桜の木々は、見渡す限り気付けばすっかり緑一色。
ふわりと風が吹くたびにその葉一枚一枚が擦れ合い、耳をすませば聴こえてくる音色は夏のプレリュードのように思えた。
一日の授業が終わりいつも通り帰路に就いた蓮だったが、今日は自宅とは逆方向へと歩いていた。駅のある方向だ。
駅に行くと言っても、電車に乗るわけではない。駅の中やその周辺にある商業施設に用事があるのだ。駅というのはあくまで待ち合わせ場所に過ぎない。
今頃駅で待っているその相手を思い浮かべるたびに落ち着かず、何度も左手の腕時計に視線を落とせば、その鼓動は速くなるばかりでなんとも言えない高揚感に襲われる。
今日の小鳥はどんな服を着ているだろうか。
どんな髪型をしているだろうか。
顔を合わせたらまず、何と言おうか。
小鳥は自分に、何と声をかけるだろうか。
校門を出てから、そんなことを何度考え、妄想したかわからない。
他人はこれを恋心と呼ぶんだろう。
恋をしたことのない蓮でもそれぐらいは何となく、嫌でもわかるものだ。
学校帰りに小鳥と会い、公園で談笑を交わすようになってから、気付けばひと月が経過していた。連絡先も交換して、たまに夜中までメッセージをやり取りすることもあるぐらいだった。蓮からメッセージを送ることもあれば、小鳥からメッセージが来ることも同じだけある。
これまで人付き合いに関しては常に悲観的な印象を抱きがちな蓮であったが、現状からして小鳥に嫌われているという可能性は少なそうだと、小鳥と言葉を交わすたびに安堵していた。
かといって、特別好かれているかと聞かれればそれはわからない。少なからず好意を抱いてくれているのは何となく自負できるが、それが恋愛感情かどうかと言われると、全くわからないのである。相手は女性だし、その女性にしても、数パターンの人種がいることだろう。
したがって、小鳥がどのパターンの女性かというのは蓮には全くつかめないところでもあるのだ。どんな男性に対してもああいう感じなのかもしれない。
何の気なしに一緒に写真を撮りたがったり、撮った写真をメッセージアプリのアカウントのヘッダーにさりげなく設定していたり、今日みたいに突然『二人で買い物に行きたい!』とメッセージを送ってきたり。そういうのを平然と、どんな男子相手にもやってのけるタイプの女子というのが存在するのも事実なわけで。
世間ではこれを『小悪魔系女子』と呼んでいた気がする。
いや、どこら辺が『小悪魔』なんだ、と蓮は顰める。むしろ『魔王』ではないか。
人付き合いを忌避して生きてきた蓮にとって、毎日当たり前のようにあんな絵に描いたような美少女と触れ合えているという現実はそもそも信じがたい現状である。
時々夢なのではないかと自室のベッドに顔を埋めては、何度も頬を捻り回すぐらいだ。
痛いのだ、それが。
不思議なことに、紛れもない現実なのだ。
人生で初めて『友達』と呼んで差し支えない間柄の人間ができたかと思えば、それは同時に初恋の訪れでもあった。
小鳥の一挙手一投足に、こんなに心を踊らされる毎日である。
もしもこれで、「あれぐらいのことは誰にでもやるけど」、と何食わぬ顔で小鳥に言われようものなら、蓮にとってそれは、やってくる明日を拒む理由にすらなり得るのだ。
言いそうだなと思い、チクリと胸に痛みが走る。
——いやいや、まだそうと決まったわけでは。ぶんぶんと頭を振って、浮かんだバッドエンドを振り払った。
歩きながらこんな考えに耽るのも、今になって始まった話ではない。
気づけばふと、考えてしまう。だからこれが、恋なのだろう。
そうこうしているうちに行き交う人だかりが多くなったことが目について、顔を上げる。
見慣れたシンボルの時計台はすぐ目の前で、思わず見上げてしまう。
足を止めると、駅だった。いつの間にか。
そうしてすぐ時計台の下を見回すと、まじまじと蓮を見つめてはぷくりと頬を膨らます車椅子の美少女が一人。
目が合うなり、ぷいっと顔を逸らされた。時計で言うなら、三時の方向だ。
これがまたどうしようもなく可愛くて、蓮は別の意味で視線を逸らす。
ドクンドクンと一層胸が弾んで、そこから歩いたあと数歩はびっくりするぐらいに軽かった。
「小鳥さんすみません……、もしかして、結構待たせちゃいました……?」
「初デートで待たされちゃったら女の子は怒ります」
「で、ででで!、デートぉ⁉」
「デートだと認識していたのは私だけだったみたいなので、もっと怒りました」
「……そ、そんな」
小鳥に会えたというだけでこんなにも心臓の音はうるさいのに、その小鳥にこんなにも愛らしい表情を向けられ、『デート』などと言われては、もう蓮の心臓は破裂寸前だった。
高速の太鼓のようにドンドンと響いて、小鳥にまで聞こえてしまっている気がした。
だから、ついつい後ろを向いてしまった。これも悪い癖だと思う。
しかし、すぐにくすりと笑みを漏らす声が聞こえ、結局蓮は視線を戻した。
この笑顔が、蓮は何よりも愛しく好きなのだ。背中を向けていては、もったいない。
「ふふっ。もう、ここまで車椅子走らせるの疲れちゃったから、今日も蓮君が押して? お姉さんをエスコートするのです」
「エスコートってそんな大げさなことはできませんけど、もとからそのつもりですよ」
「ふふっ。いつもありがとね、蓮君。今日もわざわざ来てくれてありがと!」
「いえいえ、俺の方こそ。じゃぁ、行きましょうか」
蓮はいつも通り後ろに回って、車椅子を掴んだ両手にゆっくりと力を込めた。
路上のタイルの隙間をタイヤが踏むたびに、小鳥の小さな頭がぴくんと揺れて、思わず気を取られる。
一連のやり取りを終えて、少しだけ鼓動が落ち着いて、ようやく気づくこともある。
いつもはブラウスにカーディガンか、パステルカラーのスウェットがほとんどなのに、今日はベージュのニットにデニムジャケットを羽織っているのは……。
いつもは髪を降ろしているのに、今日は編み込みのハーフアップスタイルなのは……。
加えていつもとは違う甘いいい匂いがして、なんだか頭がくらくらしてくるのは……。
——これが『デート』、だからなのか。
そう捉えてしまい、余計な期待に胸を弾ませている自分がいて、少しだけ目を逸らしたくなった。
なんにせよ、小鳥にとってはわからないし知る由も無いが、今日は蓮にとっての初デートであることに変わりなはい。
小鳥の唐突な提案に辟易した結果、行き当たりばったりのノープランではあるが、楽しまなくてはもったいない。それに、楽しませなくてはならない。
そう思うと、やはりその足取りは軽くなって。
しかし、あまりその足を速めれば、今度は小鳥が窮屈かもしれないと、一度冷静になる。
ふと視線を落とせば、口許を緩ませキョロキョロとあたりを一瞥する小鳥の表情が窺えて、その桜色の頬に思わず触れてしまいたくなる。
もっとよくその表情が拝みたくて顔を近づけたくなるが、強く甘い匂いに脳の奥まで擽られてしまい、くらくらしては自分の頬に熱が帯びて、思い留まる。
歩くスピードは速くないか。
見たいお店があれば、言ってほしい。
あそこのクレープ屋さんは美味しいらしい、クラスの女子が話していた。
寒くないだろうか、疲れていないだろうか。
「駅前、始めてきたかも! お店たくさんあるね!」
「とかいだね」、なんて最後に付け加えた小鳥は、恐らく今笑っているし、楽しんでいるのだろう。その声はまだ訪れない夏の太陽みたいに明るくて、軽やかだ。
車椅子を押していると顔なんてあまりよく見えない。あくまで蓮の想像、というか妄想に等しい部分もあるだろう。
話すことなんていくらでもあったはずのに。思い浮かべていた言葉は結局出てこず、透き通った声色が蓮の脳内を何往復も跳ね返り、そう簡単に消えてなくなってはくれやしない。
故にこの位置は、ひたすらにもどかしくむず痒い。
小鳥を好きになってしまった以上、蓮にとってこの車椅子を押すというだけのことがどうにも難しく思えてならない。
小さな頭に視線を落とせば甘い匂いに誘惑されて撫でたくもなるものだし、「ねぇねぇ蓮君」と身をよじらせて見上げてくるその表情を見下ろせば、柔らかそうな頬を少しだけつついてみたくもなる。
やろうと思えば、できるのだ。それ以上のことだってそうだ。
「ねぇねぇ蓮君、甘いの好き?」
「へ? あ、あぁ、割と好きですよ?」
「じゃあ、クレープ食べよう? あそこ、蓮君と同じ制服の女の子が並んでるとこ!」
「そういえばあそこ美味しいって、噂になってました。せっかくだし並びましょっか」
しかしながら、「する」と「できる」では意味が全然違うだろう、と再び暴れだした鼓動を沈めながら、蓮はまた妄想に耽る。
蓮が望むのは、前者の方だ。
触れてほしいと言われて、そう思われた上で、小鳥の頬にそっと手を伸ばしたいのだ。
十数メートル先のクレープ屋さんは最近できたらしく、クラスの女子がきゃっきゃと話し込んでいる喧騒に、蓮は日々狸寝入りで耳を澄ませていた。
さっきそんなことを小鳥に話そうとしていたような気もするけどまぁいいか、と思考があっちこっちに飛び回る。
クレープ屋さんの列に並ぶと、店員と思しきエプロン姿の女性にメニュー表を配られた。
小鳥が愛想よくそれを受け取って、車椅子の背にもたれかかるようにして蓮にもメニューを見せて、ちらりと見上げてくる
「蓮君は何にする? 私はねー、んー。んー……」
小鳥が決めあぐねているうちに、自分がサクッと決めてしまいたい。本心ではそう思う。思っていても、今の蓮にはそれが恐ろしく難しい。
「しゅ、種類多くて悩みますね」
「確かにー。蓮君は優柔不断そうだね」
「バレましたか」
「お見通しです——、ふふっ」
正直なところ、蓮にはメニュー表などあまり見えていないのだ。
小さな字が読みづらくて近くで見ようと身を乗りだしたが、気付けばすぐ真横に小鳥の顔があった。
艶やかな桜色の頬と唇に目を奪われ、ドキンッと一層強く心臓が飛び跳ねる。
耳元で響く小鳥の声はなんだか異様に甘ったるくて、終始蓮の思考を鈍らせた。
蓮が優柔不断なのは事実だったが、今ここでそれを発揮している要因はクレープにはほぼ無いのだ。
きっと今ここで何を食べても、経験したことのない甘さが口と脳と、心と、その全てにべったりとこびりついて、結局生涯離れないのだろう。
一生離したくないからなのだろう。
「じゃあ私は、このいちごデラックスっていうのにする。蓮君は?」
「あ、あぁええっと、まだ決めてないです……」
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