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「アイビー様、疲れてるんですか? 」
イベリスと出会ってから3日ほどが経過した頃、放課後げっそりした顔でベンチに座っていたアイビーは、誰がどう見ても体調があまり良くなさそうに見えた。
「ああ……。ちょっとな」
「……イベリス様が、原因ですか? 」
躊躇いがちにメリアが聞くと、アイビーはこくりと小さく頷いた。
「ずっとくっついてきてな。遂には朝寮を出た瞬間扉の前に立っているようになった」
「それはさすがに……。そういえば、カルミア様は? 」
「3日ほど前からずっと、授業が終わるとすぐお部屋に引きこもっているわよ。勉強が忙しいからイベリスには部屋に来るなと言っておいてくれ、と」
「そ、そうなんだ……」
朝、寮を出た瞬間。
授業が終わった後の休憩時間。
昼食はもちろんのこと、放課後だって毎日のように2人を追いかけ回している様子のイベリスは、傍から見ればもはやストーカーのようになってしまっていた。
ずっと追いかけ回されていてよほど疲れたのか、アイビーは「少し寝る……」と言ってベンチに座ったまま寝てしまった。
こてんとヤナギの肩にふわふわした赤い髪が当たる。
寝ると言って1秒も満たない間に寝てしまったアイビーは、すやすやと気持ちよさそうな寝息をたてていた。
「よっぽど疲れてたんだね……。今日はこのままお喋りでもしてよっか? 」
「そうね」
4月特有の暖かな風に晒されて、メリアと2人世間話をする。
授業が難しいことや、新しい教師のこと。
食堂のオススメメニューやオススメの本について話すこと15分経った頃。
「あっ! アイビー様やっと見つけました〜! 」
この3日間だけでもう何千回と聞いた声に、閉じられていたアイビーの目がカッと見開かれた。
「イベリス、何故ここに……。俺は今空を飛んでいたはずでは……」
「何寝ぼけてるんですか? それより、何か手伝えることありませんか? 僕何でも手伝うんで! 」
「今日は特に何も無いよ。だからイベリスも俺なんかにかまってないで何か他のことを……」
「じゃあ学園を案内してもらっても良いですか? 僕、まだあんまり慣れていなくて……」
ああ言えばこう言う、といったふうにどんどん自分のペースに巻き込んでいくイベリスに、アイビーは断ることも疲れたのか、はたまた彼の優しさがそうさせてしまうのか、仕方なさそうに了承した。
「それじゃあ1階からまずお願いしまーす! 」
「わかった……」
そこでアイビーは、チラリとヤナギとメリアの方を見た。
何かを訴えるようなその瞳に、メリアが察したように手をポンと叩く。
「一緒に来てくれ、ってことかな? 」
こくこく頷くアイビーに、「分かりました」とヤナギは言った。
メリアも「いいですよ」と承諾して、学園の案内について行くことになった。
因みに、空を飛ぶ夢は疲れている証拠らしい。
「ここが作法室。マナーの勉強や、社交ダンスの練習をしたりする時に使われる」
「わぁー! 広いんですね! 」
「ここが図書室。静かにな」
「見たことない本が沢山……。凄いですね」
「ここが大広間。歓迎パーティーの時に使った場所だ」
「おお〜! 」
1階から4階まで、諸々の教室を紹介し終えた所で、最後に医務室へと向かった。
「それで、ここが医務室。ただ、体調が悪い人がいるかもしれないから、そんなに長居はできないんだけど……」
医務室の扉を開けると、そこには1人の女性とシードが、身体を寄せあっていた。
扉の音に気がついたシードがこちらを振り向くなり、顔が固まる。
数秒間、時が止まったようだった。
「……シード? 」
アイビーが声をかけると、シードは手に持っていた絆創膏をひらりと落とした。
「また女遊びか? 」
「違います! 違いますからヤナギ様! 」
「……何故そこでヤナギが出てくる」
「いや、アイビー様にはどう思われても良いですけど、ヤナギ様だと問題が……」
「問題? 」
何が問題なのかは分からなかったが、シードが慌てているのだけは伝わってきた。
「シード様? 」
「あ、すみません。今貼りますね」
女性に呼ばれたシードは、何やら思い出したように机の上の箱から新しい絆創膏を出して彼女の足の膝に貼った。
「ほら、これで大丈夫」
「ありがとうございます! シード様! 」
「お礼ならいいですって! お姉様、もう怪我しないようにしてくださいよ? 」
「はい! 」
そう言って、女性は医務室を出ていった。
どうやら身体を寄せあっていたのは、絆創膏を貼るためだったらしい。
「今ので分かったでしょう? 彼女、僕の目の前で盛大に転んで……。放っておけなかったから、医務室に絆創膏を貰いにきたんです! 」
アイビーにそう主張すると、アイビーは申し訳なさそうに「そうだったのか、すまん……」と謝った。
「全く……。確かに、前までは女の子大好きでしたけど、今では女遊びなんてしてないんですからね? 本命の子ができたので」
シードの言葉に、アイビーが少し驚いたような顔をするも、すぐに口元に笑みを浮かべた。
「そうか。その恋、実るといいな。応援してるよ」
「……本気ですか? 」
「何がだ? 」
「いえ。なんでも、ないですけど……」
と、完全に置いてけぼりになってしまっていたイベリスが、「あの……」と声を上げた。
「あ、すまないイベリス。じゃあ、次は外の案内を……」
「あ、いえ。そうではなくて……。あの、シード様は女の子が好きだったのですか? 」
「うん。昔ね」
「昔といっても、去年ですけどね」
メリアがそう追加して言うと、イベリスは何か考えるような素振りを見せた。
「……なんで、絆創膏なんか貼ったんですか? 」
「え? 」
イベリスが何を言ったのか、シードだけでなく、アイビーとメリア、ヤナギにもよく分からなかった。
「だって、もう女性には興味がないのですよね? でしたら、シード様はわざわざ自分の時間を割いてまで赤の他人に絆創膏を貼ってあげる義務はないはずでは? 」
「いや、義務ってそんな……。それに、目の前で転んだ人がいたら、誰だって絆創膏くらい……」
「でも、シード様が絆創膏を貼ったところで、シード様には何も得るものはありませんよね? 」
「……は? 」
「絆創膏を貼れば、得をするのは女性の方だけ。それって、すごく不平等というか……。フェアじゃありませんよね? 」
「……はぁ? 」
シードが少し怒ったように語気を強めた。
「僕は別に得をしたいから女の子を助けたわけじゃないよ? ただ、助けたいと思ったから……」
「シード様は全然知らない赤の他人に時間を割いた。それだけでもうシード様側には損しかありませんよね? シード様は、ご自分に損しかなくても、女の子を助けたいと、そう言うのですか? 」
「……まぁ、そうだけど」
「何故ですか? 」
「……」
シードは、苛立ちを隠そうともしないでイベリスを睨みつけていた。
2人の様子を見て、メリアがあわわわと戸惑いを見せる。
「お、おい。その辺で……」
アイビーが止めに入ろうとするも、先にシードが口を開いた。
「あのさぁ、それだったら君にも同じことが……いや、アイビー様にも同じことが言えるんじゃないですか? 」
「は? 俺? 」
急に自分に振られたことに驚くアイビーに、シードが同意を求めるように圧をかける。
「入学してきて早々、アイビー様とカルミア様にずっと付き纏ってるそうじゃないですか。君の理論でいくとそれ、アイビー様とカルミア様は君なんかのために時間を割いてるってことになるよね? アイビー様とカルミア様にとっては、損しかないってことになるけど大丈夫なの? 」
「それは違います」
「はぁ? 違うって何が……」
「だって、アイビー様とカルミア様も、僕の面倒をみられるなんて、光栄でしょう? 」
「……は? 」
今度は、間の抜けたような、思わず口から出てしまった様な、そんな声がシードから出ていた。
「僕にいろいろ教えることによって、アイビー様とカルミア様にも学べることは沢山あると思いますし。教える人が教わる人から学ぶことも、沢山あるでしょう? 」
本当に意味が分からない、というふうにシードは唖然としていた。
「身分って、知ってます……? 」
それでも何か反論しようとシードが言うと、イベリスは「もちろん知ってますよ? 」と当たり前の顔で答えた。
「シード様は男爵でしたよね? あ、もしかしてあまり教育を受けてこられなかった方なんですか? 貴族とはいえ、1番下の階級ですし」
「っ……! もういい! 僕帰ります! 」
「はい! さようなら、シード様! 」
身分のことを言われて怒ってしまったシードにも、イベリスは最後まで笑顔だった。
あまりに突然のことだったので、イベリスが口を開くまでは誰も何も言えなかった。
「それじゃあ、次は外を案内してくれるんですよね? 」
「え? あ、ああ……」
シードの様子が気になるのか、アイビーは曖昧な返事を返した。
だが、そんなアイビーにも気がつくことなく、イベリスはさっさと歩き出す。
「なら、外に出ましょうか! 」
怖いくらいの微笑を、口元に浮かべながら。
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