第3話

「あたしたちには賞味期限があるの」


 それが清香の口癖だった。

 清香はよく『女子高生』というブランド力について力説していた。学生であるということ、女子と呼ぶにふさわしい年齢であること、それから、若い女の肉体や精神についても……とにかく、胡桃には難しすぎる言葉を使って、細かく語っていたのを覚えている。


「若さって時間制限付きの才能なんだよ。十代の女の子はちやほやされるけど、ハタチすぎたらババア扱い。何歳までに結婚しないと行き遅れだとか、子供を産まなきゃ女としての機能が無意味だとか。そうやって周りにも政府にもせっつかれて――そいつらのお望みどおりに生きたとしても、最後は消耗品として食い潰される」


 窓の外に目をやる清香の怒りは、見えない敵に向けられていた。少なくとも、胡桃にはなんとなくでしか見えない敵。世の中に蔓延る、あまりよろしくない何か。


「女子高生って存在はね、この世でベストスリーに入るくらい貴重な才能なの。財産なの。だからこそ、それを狙って寄ってくるクソな大人が山ほどいるワケよ」


 放課後のファミレスでチョコパフェを食べる清香は、口の端にチョコレートをつけたまま熱弁する。


「で。たまにクソの中のクソが、泥棒がいるのよ。あたしたちの才能をタダ食いしようとするクソがっ。胡桃はそいつらに盗まれちゃダメだよ。味わわせてやる相手は、ちゃんと自分で決めなくちゃ」


 クソを連発しながら、清香はスプーンを容器の底に突っ込んだ。溶けたアイスとチョコレートソースが、どろどろに混じり合っている。声が大きかったせいか、窓際から子連れの女性に軽く睨まれた。あいつは気にもしない。己の本能のままに生きる動物みたいに。他人の目なんか気にしない。普段は気遣いのできる優しい子なのに、ひとたび熱が入ると我を忘れてしまう。


「あたしは、あたしを誰にも奪わせない。体とか心とか、そういう概念じゃなくてね……あたしの、そう。プライド」

「プライド?」

「女子高生であるというプライドよ」


 スプーンで底をぐるぐるかき回す。運ばれてきたときの可愛いパフェは見る影もないが、清香の頭は賞味期限のことでいっぱいらしかった。

 奪わせない。低くつぶやいた清香の目はどんより重たくて、いまいち焦点があっていなかった。唇は恐怖に震えていた。色のない顔。まるでこの瞬間も、女子高生というブランドを盗もうとしているクソに狙われているみたいに。


「あたし、敵に囲まれてるの。もうずっと前から」


 今にも倒れてしまうんじゃないか。店員を呼んだほうがいいんじゃないか。ぐるぐる迷うほど、清香の唇は血色がない。


「どれだけ戦っても、あたしはいずれ捕まってしまうのかもね」

「……その、ドロボーに?」


 恐る恐る尋ねると、清香は血が出そうなほど強く唇を噛んだ。


「あたし一人じゃ、さすがに駄目かも。――が、いてくれたら……」


 吐息のようにこぼれた名前はすっかりぼやけて聞き取れなかった。清香の大事な手がかりだったかもしれないのに。

 今からじゃもう遅い?

 だけどあんたを見つけたいの。もう一度教えてよ。

 それって誰のこと?

 ねえ、清香。

 清香……。



     *



 そりゃ、家に帰れない以上、どこか別の場所に行く必要はあったけどさ。

 胡桃と梓の奇妙な同居生活が始まって、早くも一週間が過ぎた。胡桃用にと片付けられた客間にスマホのアラームが響く。目を覚ました胡桃は、だるさを訴える体を慎重に起こした。


 アラームを止めて現状確認。今日も見事に掛け布団が壁際に追いやられていた。せっかく梓が客用の布団を用意してくれたというのに、申し訳ない。それもこれも、夜中に冷房のタイマーが切れたせいだ。梓は気にしなくていいと言うが、居候の身で一晩中冷房をつけっぱなしにするのはさすがに気が引ける。意識がはっきりしてくると、髪とシャツが肌に張り付くのを感じて憂鬱な気分になった。

 が、どんなに気が重くとも動かなくてはならないのだ。


(五秒で動く。五秒数えたら動く!)


 頭の中できっちり五秒。いち、にー、さん、しー、ご……! さあ、今!

 弾かれたように立ち上がった胡桃は、まず邪魔なシャツを脱ぎ捨てた。ここでシャワーを浴びたいところだが、ぐっと我慢。通学鞄に突っ込んでいた汗拭きシートで適当に体を拭いて、ハンガーに掛けられた制服を手に取る。ばっちりアイロンがけされた美しいセーラー服は、もちろん胡桃の功績……ではない。梓が昨日の晩に用意してくれた。

 着替えていると、リビングからコーヒーの匂いが流れてきた。梓は今朝も律儀に、胡桃のぶんまで朝食を用意してくれているのだろう。


 胡桃だって水も電気も使うし、ご飯も作ってもらうのだから、生活費は払うと言ったのに――梓は断ると言ってきかなかった。高一から去年の年末まで働いていたファストフード店のバイト代と、男相手に稼いだを合わせれば、胡桃にはそれなりの貯金がある。同級生に言えば引かれる自信があるくらい。それでも梓は「気にしないでください」「お金は将来のためにとっておいたほうがいい」と言うばかりだ。以来、胡桃もお金の話題には触れないことにしている。


 お金は払わなくていいし、身の回りのことはほとんど梓がやってくれる。警察にも通報しない。素晴らしい環境ではないか。

 しかし全部が胡桃に都合の良い条件ではなかった。一応、守るべき三つの契約がある。

 学校にはちゃんと行くこと。

 自分の部屋は自分で掃除すること。

 このあたりはまあ、許容範囲だ。学校は面倒だけど、それで衣食住と身の安全が保障されるならなんの問題もない。掃除だって、あまり得意ではないが、自分の部屋くらいなんとかなる。

 問題は最後の一つだ。


(夜七時以降は一人で出歩かないこと、って……小学生かよ!)


 こんな決まりを真面目に守っていたら、清香を探しに行けない。事実、ここ一週間の胡桃は、自分でも驚くほど規則正しい生活を送ってしまっている。これではなんのために必死になっているのやら。

 このまま甘えているだけでは何も進展しない。どこかで梓の目を盗んで外へ出なければ。

 決意を胸にリビングダイニングへ行くと、やはり梓が朝食を用意していた。


「おはよう、新藤さん」

「……はよざぁーす」


 寝起きで雑な挨拶をしながらダイニングテーブルに着く。時刻はちょうど七時。まだうとうとしている胡桃と違って、梓は早起きだし笑顔でテキパキ動く。ぼうっとしているだけで全部が用意される広々とした快適空間は、いるだけで胡桃にこれまでの暮らしとの差を感じさせた。


 梓の自宅は3LDKのマンション。リビングダイニングはバルコニーに面していて日当たりが良く、七階だから眺めもいい。建物自体も新しいし、家族三人で窮屈に暮らしていた築三十年のアパートとは色々違いすぎた。


 何より今までの暮らしと違うのは、マンションのどこを見ても清潔で整っているところ。

 胡桃が想像する男の一人暮らしというのは、もっと散らかっていて臭そうな印象があったが、梓のマンションは正反対だ。殺風景といっていいほど余計なものは一切なし。一人暮らしだからというのもあるだろうが、物で溢れ返る胡桃のアパートとは大きな差だ。

 この空間で唯一生活感があるとすれば、壁付のキッチンくらいか。梓は自炊派で、料理のあとはシンクに調理器具や食器が雑に置かれている。それも朝食終わりには綺麗に収納されるし、水気も丁寧に拭きとられて汚れを感じさせなくなるのだが。

 向かいの椅子に座った梓は、片手でコーヒーを飲みながら、もう片方の手でパソコンを操作する。


 梓は基本、いつも家にいる。初めて会ったときは大学生かと思ったが、れっきとした社会人らしい。たしか、在宅でシステム開発がどうの、とか言っていた。最近はスマホアプリなどにも携わっているらしいが、説明されても胡桃にはちっともわからなかった。とにかく、普通のサラリーマンのように毎日会社へ出勤! とは違うようだ。

 一日のほとんどは自室――胡桃がいる客間の向かい側――で仕事をしているため、部屋の出入りは筒抜け。胡桃が夜こっそり抜け出すのは難しい。胡桃が外へ出られない一番の理由はこれだ。

 梓の監視は予想より厳しかった。一週間のうちに何度も脱出を試みたが、どれも「こんな時間にどうしました?」の笑顔と、手に持ったスマホ――という名の警報装置――によってあっけなく阻止された。

 が、このままではなんの進展もないまま。それは困る。


(とにかく来月――次の七夕までに、ちょっとでも何かわかれば……)


 眉間にしわを寄せて水を飲み、ありがたく朝食をいただくことにする。今日は梓お手製のエッグベネディクト。両親が海外出張に行ってから、朝食は食パン一枚で、それすら抜く日も多かった胡桃には慣れないメニューだ。朝から謎にオシャレな気分を味わいつつ、フォークとスプーンを掴む。ポーチドエッグにフォークを通すと、最高な半熟具合の黄身が溢れ出た。ソースと絡めた瞬間、確信する。これは間違いなくウマい……!

 といっても、特に味の感想を伝えるわけでもなく、胡桃は黙々と食べ進む。梓はコーヒーを置いて淡々とキーボードを打つ。


 基本的な挨拶以外、胡桃と梓にこれといった会話はない。

 梓は胡桃にあれこれ世話を焼く一方で、胡桃が戸惑うくらい全く干渉してこない。学校はどうだとか、どんな勉強をしているんだとか、大人が高校生に振る話題の王道を、梓は一切しない。梓から胡桃への質問といえば、連絡先交換の可不可と、食事の際にアレルギーの有無を確認されたことくらいだ。


 だから一週間たつ今も、胡桃にとって梓は謎の男のままだ。

 職業を教えてもらったからといって、よく知らない人に変わりはない。どうして無償で赤の他人の世話を焼いてくれるの、とか、若く見えるけど実年齢いくつ、とか、なんでこんなに料理が上手いんだよ、とか。

 ていうか、今気付いたけど――社会人ってこと以外、私はこいつのこと何も知らないまんまじゃん!


(そもそも出会いからして変なんだよ! 不審者撃退するためにカレーのレシピを叫ぶ変人! 深夜にママチャリで徘徊する怪しい男!)


 ……そういえば、考えたことなかったけど。

 どうしてあんな夜中に、梓はひとりでいたんだろう。

 あのときは動揺して、気にもしていなかったけど。梓は手ぶらで、スマホや財布すら持っていなかった。持ち物といえば、錆びたママチャリ一台だけ。

 梓はどこへ行こうとしていた……?


「――時間、大丈夫?」

「えっ?」


 パソコンを閉じた梓が話しかけてきた。なんともお優しい笑みを浮かべたまま、スマホの画面を胡桃に向ける。

 七時四十五分。家を出ないと電車に乗り遅れる時間だ。


「大丈夫、じゃ、ない!」


 残ったマフィンを可能な限り口の中に押し込んで、頬袋に水を投入。目の前にそっと用意された、これまた梓お手製の弁当を鞄に入れて、玄関まで猛ダッシュ。


「いってらっしゃい。気をつけて」

「……いってきまーす!」


 玄関まで見送りに出る梓に、まだ半分膨らんだ頬袋をもごもご動かして返した。

 梓が胡桃に干渉しない以上、胡桃も梓の事情を聞くのは駄目な気がした。だって、他人を詮索しないってことは、自分も詮索されたくないってことじゃないの?


(わかんないけど。単に私に興味がないだけかもしれないし。けど、興味関心ゼロの女子高生にここまでする大人もいないだろ……)


 ぐるぐる、ぐるぐる回転する。いつかのチョコレートパフェみたいに、ぐちゃぐちゃに混ざり合う思考。梓のことなんか考えてる場合じゃない。考えなきゃいけないのは清香のことだ。七夕の日――清香がいなくなってしまったあの日。七夕の謎を解けば、胡桃は愛すべき親友にもう一度会える気がした。

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