第67話
聖域ならぬ性域に閉じ込められてしまった僕は戸惑いを隠せないわけだけど。
九条さんは悪戯の思い付いた子どものような笑みを浮かべたかと思いきや、僕の襟元に手を伸ばしてきた。
それをパシッ、と弾く僕。
今度は反対の手が蛇が絡みつくように伸びてくる。もちろんそれも弾き返すわけだけど、そうこうしているうちに組み手が争いが始まっていた。
ベッドしか置かれていない無機質な部屋でパチパチと手がぶつかり合う音が絶えず鳴っていく。
「ほう。魔法も使えない部屋で俺様と武術だけで競うってのか?」
ひたすら攻め続けながら、挑発的に言う九条さん。
一方、僕は冷や汗をかき始めていた。
捕食されるかも、という焦りもそうなんだけど、彼女の体術も申し分なかったからだ。
《感情嗅覚》《繊細聴覚》《危険察知遮断》など使える体術は惜しみなく披露する僕だけれど、それらをもってしても防戦一方。なんとこの僕が押されていた。
それもそのはずで九条さんは魔眼を開いていた。
おそらく僕が暗殺者として体術を会得しているのは同じ肩書きを持つ長官から色々と窺っていたんだと思う。まさかの対策済みだった。
楽しそうにしているにも拘らず、感情が嗅ぎ取れない。それだけじゃない。音を聞き分けようと耳を澄ますものの、全然拾えなくなっていた。
……匂いと音を転移させてやがる。
まさか魔法が行使できない状況で唯一の頼み綱である《
おかげでこちらは《絶無》(予備動作なしの高速技)を連発させられて、鎬を削ることに。
とはいえ《絶無》は無限に出し続けることができる体術じゃない。当然、限界というものがある。1〜10までの限界値で表すとすればすでに9に達している。
考えてみれば当然で向こうはSPから公安に人事異動が発令された女性だ。
肉弾戦はお手のものだろう。専門分野ともいっていい。
魔法を禁じられ、《
魔法と《第六感》を禁じられた場合は僕はただの学生と化すということだ。
異世界にも魔法を禁じる魔法――《
《
それでなんとか耐えて来れたのがあざとなったんだと思う。
本当にただの体術だけで勝負することになった場合、僕は弱い。
そんな当たり前すぎる現実にようやく今気が付いた。大げさかもしれないけど青天の霹靂だ。
……よし。源さんに頼んで例のアクション俳優さんに弟子入りさせてもらおう。
どうやら聞いた話、若手俳優が憧れる日本一のアクション俳優がいるらしい。
どうやら同じ事務所に属していたこともあるらしく(現在は独立しているらしい)、もし良かったら「一度会ってみなよ」と勧められていた。
あらゆる国の戦闘術を習得している人物らしく、両腕には刃物などの生々しい傷痕が残っているらしい。
……SPと組み手ができるぐらいには強くなろう。
そんなことを考えていた僕に、
「おいおい。後ろがガラ空きだぞ佐久坊」
手を弾き返すために必然的に後退せざるを得ない僕の足を後ろからかけるように足が生えてくる。
確認すれと九条さんは空間の狭間に足を突っ込み、それを僕の足首あたりに転移させていた。
「本来あるはずのないものが生えてくるんだから、そりゃガラ空きにもなるでしょうよ!」
「おいおい、男が弱音を吐くんじゃねえよ。よし決めたぜ。この組み手で勝った方が相手を好きにできる。いいな?」
「まったくよくありませんね!」
なんてツッコんだ後、僕はさらなる地獄を経験することになる。
なんと九条さんは魔眼にものを言わせて両手両足を自在に転移させながら組み手を続行してきたからだ。
おかげで僕は360度注意を配らないといけないという超鬼畜プレイ。
前方にいる九条さんだけでもいっぱいいっぱいなのに、後方や斜めからの蹴りや僕を転倒させようと手が伸びてくる。
えっ、怖! なにこの組み手!!
結論から言うよ? 僕はこの組み手に負けて転倒し、九条さんに馬乗りにさせることになる。
まあどう考えても無理ゲー、詰みゲーなわけで、僕に軍配が上がる可能性が1%でもあったのか、疑問ではあるのだけど、九条さんはとんでもない隠し球を披露してきたからだ。
このままではジリ貧しか待っていない僕は反撃に出ることを決意する。
勝った方が相手を好きにできるなら、『この部屋から出してください』と命令もできるからだ。
九条さんの手を弾き返したあと、手を伸ばし返す僕。
するとすぐさま違和感を覚えた。
「んっ……」
と九条さんから熱のこもった息が漏れたかと思いきや、僕の指先から柔らかい。それはもう本当に柔らかい感触が。
嫌な予感がした僕はすぐに手の先を確認する。当然というか、予想を裏切ってこないというか、僕が伸ばした手は転移させられていた。
攻めにも使えるとなれば当然、守りにも使えるだろう。それは理解できる。
けれどその使い方が容赦なさすぎる。
九条さんの襟に手を伸ばしたはずのそれは、豊満な乳房へと転移させられていた。
チカラいっぱい鷲掴みしてしまっている状況。異世界でも貞操を守ってきた僕が冷静でいられるわけがない。
「……変態」
「いやいやいや! 今のは不可抗力というか僕が加害者じゃないはず!」
すぐに手を引っ込めて後ずさる僕。胸を掴んでいることを理解した瞬間に指先が捉えた重量とマシュマロ感はこの部屋に閉じ込められた以上の衝撃があった。
すると今度はその感触が背中に押し当てられるように襲ってくる。
魔眼を使ってわざわざ豊満な胸を僕のせなかに転移させてきた⁉︎ 無駄使いにもほどがある!
凄まじい弾力により前方に弾き返される僕。
思わず「うひょっ!」とみっともない声が漏れてしまいそうになるそれを必死に抑える。もちろんそんな状態で隙がないわけがなく。
僕の視界が見事に一回転した。
背負い投げ。
綺麗な一本だったことだろう。
こうして僕は関節を押さえられながら、馬乗りにされてしまう。
まさしく絶体絶命。
現実世界に帰還してからそれらしい危機はあったものの、まさか本格的な危険がセ○クスしないと出られない部屋編だと思わなかった。
というかセ○クスしないと出られない部屋編って何さ! そんなエピソードは絶対に要らない! お呼びじゃないんだけど!
「俺様の勝ちだ」
勝気な笑みを浮かべながら僕を見下ろす九条さん。燃えるような真紅の髪に素直に綺麗だ。
けれど僕は脳をフル回転させていた。
この状況から逆転させるためにはどうすればいいのかを。
異世界で命を落としかけたことなんてそれこそ山のようにあったわけで。
もちろんそこには僕の甘さもあったわけだけれど、今こうして生きながらえていられるのは、最後まで諦めなかったからだ。
一発逆転。
相手の色で塗りつぶされた盤上をひっくり返せるような一手。そんな奇跡を脳内で模索する。
なにか……なにかないか?
たしかこの聖域は《転移魔法》が行使できるんだっけ? それで脱出?
いや、不可能だ。《転移魔法》を行使するためには準備が命。転移元と転移先の座標設定から《転移陣》を敷くまでに《賢者》の入念な演算が必要だ。
僕はそれを《導の魔眼》ですっ飛ばすことが出来るとはいえ、この世界から帰還してから《転移陣》を敷いてない。
というのも現実的じゃないからだ。座標設定や《転移陣》を敷き、
さらに距離が離れていれば離れているほど消耗する魔力量も大きくなっていく。
このことからそれらを一切無視し、術者を自由自在に転移させるだけでなく、視界に入れた対象まで別空間に飛ばすことができる《空間転移の魔眼》の凄さが分かると思う。
その証拠に数ある魔眼の中でも《空間転移の魔眼》がよく魔法使いの中でも話題に上がる。
「なあなあ。好きな魔眼が一つだけ手に入って適合するとしたら、何にする?」みたいなif話。こういうのは向こうの世界でも健在だ。
……あれ、ちょっと待てよ。
今この瞬間、魔女たちはどうなっているんだろう?
魔力が熾らない聖域。だから魔法はもちろん魔眼も開かない。それは分かる。たぶんこの部屋は九条さんの独壇場だ。
かの英霊のように言うなれば、
「認めよう。今はお前が強い!」だ。
けれど魔女たちから応答がなくなるのはおかしくないかな?
いや、彼女たちの存在は魔力と切っても切り離せない関係にあるから、契約者である僕からパスを通じて《魔力》が流れないとなれば応答がなくなるというのも理解できる。
けれど僕とのパスが切り離されたところで彼女たちがすぐに消失するほど貧弱な存在じゃない。彼女たちは魔眼に魂が宿ってからもその辺の魔法使いよりも《魔力》を蓄えている。
僕が自分の《魔力》を熾して魔眼を開かなくとも魔女たちから《魔力》を借りて魔眼を開くというようなこともできる。
……つまり、えっと、まとめるとどういうことだ?
この聖域は僕の《魔力》が熾らないから魔眼を行使できないんじゃなくて、魔女という存在が僕から切り離している、とみた方がいいのかな?
となると当然、彼女たちは現在、どこかに彷徨っている――宙に浮いていることになる。この聖域がどういう時間の流れなのか、どういった法則が働いているのかは分からないけれど――少なくとも僕から強制的に引き剥がされた魔女たちは戸惑っているはず。
契約者の消失って割と洒落にならないもんね。ということはシルあたりが今、懸命に僕の居場所を探ってくれているんじゃ……。
よって、この場における最適解は王道の時間稼ぎだ。
このままじゃ多分食べられる。それも性的に。
もちろん僕だって男。据え膳食わぬはなんちゃらだ。
聖女さまの手紙に『無理やりはやめて』と記されていたわけだけど、僕だって本気で嫌というわけじゃない。
嫌よ嫌よも好きのうち、というやつだ。
言動では嫌がっているそぶりをしているけれど、仮にも美女でスタイル抜群、犯罪者を根絶やしにするために一生を捧げる生き様、そういったものに惹かれないわけがない。
さらに言えば《
なんなら応えてもいいかな、とも思っていて。年上の綺麗なお姉さんに食されるのは男の夢だし。最初の相手が彼女なら申し分ないと思う。むしろ、僕にはもったいないぐらい。
だから最後には覚悟を固めて九条さんで卒業させてもらおう。
彼女の性格からして肌を重ねることは愛を確かめ合うというよりスポーツ――ストレス発散に近い感じがしていた。
たぶん、僕と甘い恋人になりたい、というよりは
だから束縛するようなこともないっていうか……むしろ彼女のシたいときに僕が使われるというか、あれ、これって僕の方が都合の良い男になっちゃうじゃ……。
「安心しろ。佐久坊の表の生活を邪魔するつもりはねえよ。恋愛だ恋だの、そういうのに憧れる年頃だからなてめえは。俺様が求めたときに応じてくれれば、それ以上は求めねえよ」
《思考盗視》いや、今のは覗かなくても十分読めるか。
最後の最後には彼女と一線を越えよう。当然だけど僕にだってシてみたいという欲求はあるわけで。
ただ、腹を括る一方でこのままやられっぱなしというのはやっぱり癪だった。
言うまでもなく僕は負けず嫌いだからね。
性交渉の有無云々を抜きにして、現状に悔しさが込み上げてくる。
まだだ。まだ諦めるのは早い。
魔女たちの仮説がある以上、僕にはまだ手が残されている。
最後の逆転で一矢報いたい。
「……あの九条さん!」
「なんだ?」
「その、非常に申し上げにくいことなんですが――ナース姿の九条さんが見たいかなー、なんて?」
彼女の瞳の奥が『変態』と蔑んでいる気がした。
そりゃそうだ。僕の口からこの言葉が出ると言うことはテロリスト撃退時、彼女のコスプレは満更でもなかったと告白したことと同義。なんなら性癖を暴露したとも言える。
……時間を稼ぐための演技だとしても恥ずかしすぎる。
「あのとき俺様に向ける目がどことなくいやらしいとは思っていたが……もしかしてそういう癖があんのか? コスプレしてやりたい、みたいな?」
九条さんは見るからに呆れ顔になっていた。
……うぐっ!!!
なんという屈辱! いや別にコスプレが嫌いってわけじゃないけどさ。
なんというか男って本当に馬鹿だな、みたいな目で刺されているのが耐えられないというか……恥ずかしい!
「まっ、まあそうですね……」
なぜに声が裏返った僕!
「…………チッ。しゃあねえな」
九条さんはジト目で僕を睨め付けたあと、ゆっくりと僕から離れて指パッチン。
次の瞬間にはもう純白の天使Verになっていた。
ああ……時間を稼ぐためとはいえ、またしても魔眼の無駄遣いをしてしまった。それも今回は僕の発言のせいで。
予想外だったのは僕が求めたことがそんなに嫌じゃなかったらしく、というか満更じゃなかったらしく。
僕がポーズと台詞、さらにはコスプレショーを今ここでやって欲しい依頼に応えてくれるとのこと。
まずはナース服で、
「……おっ、お注射の時間だぞ♡」
玩具の注射器まで転移させて言う九条さん。
なんというか見ているこっちが恥ずかしかった。それと同じぐらい鼻息も荒くなっていた。ギャップ萌えというやつだろうか。
悪くない、というか、おもわず襲いかかりたくなる衝動が湧いていた。いや、信じられないんだけど、やばいなこれ!
……頼むよシル! リゼ! 早くこの聖域を見つけ出して
色んな意味で僕の貞操はみんなにかかっているからね⁉︎
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