第29話
一体これから僕にどんな受難が待っているのだろう。
そんな思いはすぐに消えてなくなることになる。
突然僕の手を握ってきた鳴川さんの手がとても震えていたからだ。
何事かと思ってすぐに周辺を確認する。
僕が鳴川さんに連れて来られたのは中央病院。
《導の魔眼》を開くまでもない。
僕はしっかりと鳴川さんの手を握り返すことにした。
「ごめんなさい佐久間くん……もう少しだけこうしてていいかしら」
緊張か、はたまた恐怖か。鳴川さんの声は震えていた。
何をさせるつもりだろうと思っていた。けれどようやく彼女の意図が読めた。
おそらく勇気が欲しいんだ。過酷な現実と直面しなければいけないことに対する勇気が。
僕の同行が背中を押すことになるのなら、いくらでもウェルカムだ。
だって僕は鳴川さんの友達なんだから。
「ううん。大丈夫。僕のことは気にしなくていいから、鳴川さんのタイミングで入ろう」
「……ありがとう」
三十分後。僕たちは鳴川さんのお母さんが待つ病室へと足を踏み入れた。
☆
「あらやだ……友達を連れてくるというから楽しみにしていたら、まさかの彼氏さん? 凛の母、直美です。娘がいつもお世話になっております」
「佐久間龍之介です。突然お邪魔して申し訳ございません」
「やーね、お邪魔なんて。二人きりの時間を死に損ないの看病をさせている私こそ邪魔者でしょ?」
「お母さん!」
真剣な表情で釘をさす鳴川(凛)さん。おそらく彼女が反応したのは『死に損ない』の部分だと思う。
言動こそ元気そうな直美さんだけれど、魔法を行使せずとも分かる。
間違いなく衰弱していっていることを。
直美さんには点滴と鼻カニューレ。
鼻カニューレとは患者の鼻から酸素を供給する細い管だ。
患者衣に身を包んだ彼女は痩せこけて、無理やり肉が削ぎ落とされている印象を受ける。
きっと重たい病気だろう。
鳴川(凛)さんが病院に足を入れる覚悟を固めるまでに時間がかかったことからも容易に想像することができた。
そんな直美さんを視認した僕はナイフで胸を抉られたような痛みが走る。
これは異世界にいたときからずっと経験していることだった。
結論から言って僕は《治癒魔法》の類が一切、行使できない。
努力を怠ったわけでもなく、逃げてきたわけでもない。
僕は転生されてすぐ《呪い》にかけられている。
衝撃的な告白をすれば僕は《勇者》じゃない。
実はそれが密接に関わっているのだけれど、今はそんなことはどうでもよかった。
異世界から帰還しておきながら――魔法という非現実的な異能を行使できるにも拘らず、友人の母親を治療できないことが悔しくてたまらなかった。
正直に言えば
けれど僕はその度に運命を呪うことしかできなかった。
その悪夢が頭に蘇ってきた僕は、鳴川さん
「……凛ちゃん。私、蜜柑が食べたいわ。下の売店で買って来てくれるかしら?」
「はぁっ⁉︎ メッセでリンゴがいいと言ったのはお母さんでしょ? 最初から言ってくれれば一緒に買って来てたのに……」
と言いながらも腰を上げようとする鳴川(凛)さん。
せめてお使いぐらい……そう思った僕は、
「あっ、なら僕が買って来ますよ」
「いいのいいの。凛ちゃんは優しい娘から老ぼれのわがままも聞いてくれるわ」
「……はぁ。わかったわよ。りゅ――佐久間くん、申し訳ないけれど、少しの間待っててもらえるかしら」
「うん。それは全然いいけれど……」
「私が蜜柑を買いに行っている間に変なこと言ったら許さないわよお母さん。それと――老ぼれとか死に損ないとか、私の前で二度と口にしないで」
悲しみと怒りが入り混じった強い目で注意する鳴川(凛)さん。
「怖い怖い。助けて佐久間さん」
揶揄うように僕の手を握ってくる直美さん。
不甲斐ないことに僕の心臓がドクンと跳ね上がる。
想像していた以上に温もりを感じられない手だったからだ。
異世界での壮絶な過去のフラッシュバックとあいまって、涙腺が緩む僕。
馬鹿野郎……ここで男の僕が涙を見せてどうする⁉︎
辛いのは悲しいのは、彼女たち二人なのに!
やいやいと親娘でじゃれあいながら、やがて病室を後にする鳴川(凛)さん。
「ごめんなさいね佐久間さん。凛ちゃんが初めて友達を連れて来てくれたことが嬉しくて、年寄りが騒いじゃって」
「いえ、そんな……」
なんて言っていいか、わからない。
魔法を行使することができても、こういう場面で何もできない自分が本当に情けない。僕は非力だ。
「突然こんなところに連れて来られてただでさえ戸惑っているでしょうし、烏滸がましいことも承知しているけれど、少しだけ話を聞いてもらえるかしら?」
嫌な予感がした。悲しいかな、こういうときだけ僕の勘はよく当たる。
「凛ちゃんには絶対に秘密にしておいて欲しいの。約束してもらえる?」
直美さんの手が震えていた。彼女の心境や覚悟なんてさっきまでの仲睦まじい光景を見ていれば痛いほど伝わってくる。
僕は偽善者だ。ここで耳を背けるようなことはしない。
「はい。聞かしてください」
その返答に一瞬、驚いたような表情を見せた後、にっこりと笑みを浮かべる直美さん。
端がつり上がった口を開き、
「私はもう半年ももたない身体だと先生から診断されているの。だからこそここへ初めて娘が連れて来た貴方にお願いしたいことがあるの」
肺に溜まった重たい空気を吐き出した僕は真剣な表情で、
「僕にできることならなんでも」
「ありがとう。佐久間龍之介さん、どうか私があの世に旅立ったら凛に後を追わせないよう、そばに居てあげて欲しいの」
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