41.瀕死の黒百合は微笑む


 翌日から、月彦つきひこと私は枕を並べておりました。

 思う存分、さえずり合います。


 ♪ミレミレミシレドラ♪

 ♪ドミラシ・レドシラ♪


 ひとりきりの個室から、ふたりきりの相部屋へ。

 同じ部屋に月彦が居るという安心感から、私は信じられないぐらい、目覚ましく、回復への途上みちを歩き始めます。


 一緒に食べてくれる人が居ると、病院食も美味おいしく感じられるものですね。

 規則正しい生活の平穏の中、私の脈拍は落ち着き、高カロリー輸液は不要になりました。




 数日後、すべては園田そのだ医師の策略であったと分かりました。


「策略だなんて陥れたみたいで人聞き悪いなぁ。治療と言ってほしいね」


 園田医師は、長期間のせを維持して病態をも維持している月彦よりも、短期間で劇的に痩せて心をとざしている私に、危険を感じておられました。


 心の治療を優先させてほしい。循環器内科の医師たちを説き伏せます。

 月彦には瀕死の黒百合を演じるようねがい、彼は美事みごと、要望に応じました。


 月彦は、あの病床で完璧な瀕死の黒百合でした。

 もう未来がない状況を作り出し、患者の本心を引き出そうとした園田医師。


 何というギャンブラー。何という荒療治でしょう。


「園田監督がシナリオを手掛けた『メメント・モリ』の実演、上手うまくいって良かったよ。キャッチコピーは『死を想え。今を楽しめ』だ。日芽子ひめこさんは確かに言った。私を助けて、かくまって、閉じめて。日芽子さん、アクトレスだね。僕はアクター。観客は心の中で拍手喝采はくしゅかっさいさ」


 微笑ほほえむのは、二十四時間で千二百キロカロリーの病院食を吸収する月彦。

 彼がアクターに成り、私の本音を吐き出させた場所には、ご丁寧にオーディエンスが呼ばれていたのです。それは私の家族でした。


せつけたよ。僕たちの愛のカタチを。ドン引きしても良さそうなものなのにね、さすがは日芽子さんの御家族。涙ながらに応援するって、どれだけ愛が深いんだよ」


 娘のハッピー・ウェディングをのぞんでいた両親と、結婚をゲーム感覚でクリアしたがっていた妹は、そろって反省の色。家族の一員を、過保護な愛と一般的な常識で追い詰めてしまった。そのようにかえりみたのです。


「日芽子には世間一般の幸福を勝ち取ってほしくて、プレッシャーばかり与えてしまった。ヴァージンロードを歩かせておくれだの、白無垢でもドレスでも着せてあげようだの、すべて日芽子を追い詰める言葉だったね。こんな父を許しておくれ」


「ヒメちゃん、お母さんの常識を押し付けた数々の発言、悪かったと思っているわ。ヒメちゃんを病ませた原因は、私たち櫻井家さくらいけふるい常識だった。なのに、舘林たてばやしさんの御家族に責任転嫁しようとしていたのだもの。恥ずかしい話ね。月彦くんとヒメちゃんの舞台を観て、正直、すべて分かったとは言いづらいのだけれど、お母さんの想像力が欠けていた点は認める。御免ゴメンなさい」


「お姉ちゃん、色んな意味で、おめでとう。あっ、世の中、御正月だから。そして世の中、異性愛がすべてではないわ。お姉ちゃんの場合、同性愛って言うか、無性愛って言うか、そのふたつが純粋に混ざり合った末に、おめでたい。完全に私、負けちゃった」


 両親のみならず妹までもが、月彦と私の愛のカタチを肯定しました。


 自分を殺して飾って両親の理想の娘で在ろうと演じていた私。

 家族の中で物分かりの良い理想の姉で在ろうと無理していた私。

 もう頑張って演じなくてもいいのだと思うと、肩の荷が下りました。


 私は月彦との恋愛を成就させると同時に、本当の私自身を勝ち取ったのです。




 二十四時間で千二百キロカロリーの病院食を月彦と共に受け入れ、吐き戻すこともなく、体重を増やしました。こんなに順調で良いのでしょうか。良いですよね。もう充分、苦しみましたもの。私は苦しむために生まれたんじゃない。


「過食嘔吐という行為は、積もり積もった過度のストレスと、吐き出したいが吐き出せなかった本心の表現だと思うんだよ」


 月彦を死の床にキャスティングした監督は、分かり切ったように言うのです。


「現代人は過度なストレスにさらされている。そんなストレスから身を守るすべとして、メタ認知という方法がある。ストレスに直面している自分を見詰める客観的な自分を作り出すんだ。通常、安全な場所に居て、防護壁として働いてくれる自分だ。けれど、ストレスが限界を超えて、客観的な自分をも侵し始めることがあるんだね。それはどういう状況かと言うと、疲れ果てているということだ。

 饒舌じょうぜつな人はね、ストレスをLINEやSNSで吐き出したり、目の前に居る人間に吐き出したりして発散できる。しかし、日芽子さんは寡黙だった。幼いころから潜在意識に刷り込まれた良いお嬢さんの人格のまま、不平不満を口にすることなく年齢を重ね、徐々に社会と同調できなくなっていく。何かに当たり散らしたい気持ちをおさめてくれるのが食べもので、おさめた本心を吐き出さずにはいられず嘔吐していた。違ったかい?」


 園田医師は、疲れ果てた私の状況を、第三者の目で客観的に見抜きました。

 もはや、否定する気も起こらない医学的見解です。




 園田医師の見解を肯定した今、私は真に自由でした。ストレス・フリーの生命体です。生きることに疲れ果てていた自分を休息やすませたあかつきには、ふるい殻を破って、羽ばたけそうな希望に充ちています。


 月彦は、私の治療にアクターという形式スタイルで寄り添ってくれたばかりか、入院生活にも付き合ってくれました。枕辺まくらべで『エリーゼのために』を歌うのが日課です。お互いのために歌う日々。それは、とても穏やかで透明な夜明け。


「退院する場所は舘林家たてばやしけで、いいよね。荷物、僕の分と一緒にまとめ始めよう」


 帰り支度を始めるのです。私には退院許可が下りていました。

 私たちは約四十日、羽を休息やすめて、晴れてかえるべき場所に還っていきます。

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