夢か現か
すたすたと歩き出した芙蓉を小夜子はあわてて追いかける。
これは夢なのだろうか。小夜子は歩きながら考えた。大ばあちゃんちの縁側で知らないうちに眠ってしまったのだろうか。
夢にしてはリアルすぎる気もするが、小夜子は元々リアルな夢を見る。人によっては白黒だったり、味覚や嗅覚が効かなかったりするらしいが、小夜子の見る夢はカラーだし、味も匂いもする。
夢の中で「ここは夢の中だ」とわかることがあるが、今のように夢か現実かはっきりしないのは初めてだ。
小夜子には眠ってしまった自覚がなかったが、夢としか思えない。なにしろ、ここの登場人物たちは現実離れしているではないか。だから、これは夢だ。夢にちがいない。
そう思いたかったが、はっきり言いきれないことに小夜子はもどかしさを感じていた。
「ねぇ、さっき説明してくれるって言ったよね?」
「ああ、そうね。でもなにから話せばいいかしら?」
ところどころ岩があるだけの殺風景な道を進んでいく。
「んじゃ、とりあえず、どこに行くのか教えて。あなたたちは笹の庵とか言っていたけど」
「そうよ。あ、あたしのことは名前で呼んでくれていいから。芙蓉よ。ふ、よ、う。あんたは?」
「わたしは小夜子。ね、芙蓉。笹の庵ってどこにあるの? そこにはなにがあるの? なんのために連れて行かれるの?」
「一度にずいぶん質問してくれるわね」
芙蓉は苦笑した。
「まず、笹の庵の場所だけど。あそこの山、見える?」
芙蓉は前方を指した。黒くゴツゴツした溶岩の固まりのような山が見える。そこにもやはり草木は生えていない。
「うん。あれね」
「ここからじゃ見えないけど、あの山の中腹に庵があるのよ。中腹って言っても、千百段の石段を登るから覚悟しといてね」
「うへーっ! 千百段!」
すっとんきょんな声を上げた小夜子を見て、芙蓉はくすりと笑った。
「次の質問は、そこになにがあるのか、だっけ? はっきり言って、なにもないわ。けれど巫がいる」
「かんなぎ?」
「神に仕えて、神託を述べる人よ」
「ああ。巫女さんのこと」
「まあ、そうね」
「その人に会いに行くの?」
「そう。それが三番目の答えね。なんのために小夜子を連れて行くのか」
小夜子はサンダルを履いた足が砂まみれでザラザラするのが気になってきた。芙蓉はよく裸足で歩けるものだ。足の裏が痛くならないのだろうか。
小夜子がそんなことに気をとられているなどと思いもしない芙蓉は、先を急いでいる。
見わたすかぎり砂と岩ばかりの荒地が続く。乾燥しきっているうえに、太陽はさんさんと照りつけるので、飲みこむ唾もないほどに喉が渇いていた。
「の、喉カラカラなんだけど」
心なしか声がかすれる。
「うん。そうね。あたしもよ」
芙蓉はさらりと答えて歩き続ける。目的の山はすぐ目の前に迫っている。しかし、こんなに喉が渇いていては足を動かす力さえ出ない。
小夜子は芙蓉の腕をつかんだ。そのまま芙蓉の腕にぶら下がり、体を半分に折ってゼエゼエいう。
「ちょ、ちょっと! だいじょうぶ?」
芙蓉はあわてて小夜子を支えた。
「だめ……み、水……ちょうだい」
小夜子は力つきて座りこんでしまう。芙蓉はしゃがんで小夜子の顔をのぞきこんだ。そして申しわけなさそうに眉を寄せた。
「……ないのよ」
風が吹き、砂ぼこりが舞い上がる。
「このあたりで水があるのは、
「そんなぁ……」
「ごめんね。急いでいたから水を汲んでくるのを忘れちゃって……」
「……いいのよ」
小夜子は力なく言った。芙蓉を責めるつもりはなかった。今ここで責めたところで水が手に入るわけではない。それどころか、ますます喉が渇くだけだ。それにどうせこれは夢なんだ。
「早く目が覚めないかなぁ」
そのつぶやきを聞いて、芙蓉は目を丸くした。
「なに? どうしちゃったの?」
「うちのクラスにね、サッカーしてる夢見て、起きたら寝る前より疲れてたって言ってた子がいたの。その時は、そんなばかな、って思ったけど、今ならその気持ちがわかるわ」
「あっきれた! 夢の中のできごとだと思ってるわけ? あたしたちはあんたの作り出した架空の存在だって言うの? さっき会った多々良村の子たちもみんな!」
「そうよ。なに怒ってるのよ?」
あくまでも冷静な小夜子に、芙蓉はわなわな震えた。
「これがあんたの夢だって言うなら、あたしが怒ってるのもあんたが作り出した感情ってことねっ!」
「知らないわよ、そんなややこしいこと。もうしゃべらせないで。喉がヒリヒリしてきたわ」
「そうね、あんたは口を開かない方がいいわ。どうせろくなこと言わないんだから」
小夜子は無視することに決め、芙蓉の言葉に従って口を開くのをやめた。夢とはいえ、これ以上のどの渇きが増すのは勘弁してほしい。
けれども芙蓉は構わず一方的にしゃべり続ける。
「あたしたちが待っていた異形なる者が、こんなに頭の堅い人だったなんてがっかりだわ。あたしや多々良村が作り物ですって? あたしたちだって生きてるのよ! その存在を否定するなんて!」
さすがに芙蓉の声もかれてきている。芙蓉は軽く咳払いすると、今度は感情をおさえた低い声で言った。
「でも笹の庵には行ってもらうわよ。あんたがどう思っていようと、この世界は存在しているし、くやしいけど、あんたを必要としているのよ」
小夜子は芙蓉に手をとられ、引きずられるように歩き出した。やがては抵抗することに疲れ、おとなしく芙蓉についていった。
山のふもとに着くと、芙蓉が「あっ」と小さく声を上げた。碧落が石段に腰かけていた。頬をふくらませ、ななめににらみつけてくる。
「姉ちゃん、おそいぞ」
「ごめん、ごめん。まったく、このわからんじんがさぁ」と、あごで小夜子を指す。
「なんだか知らねえけど、行くぞ。あんまりおそいから迎えに来てやったんだ。感謝しろ」
碧落は立ち上がって、おしりをパンッパンッとはたくと、さっさと石段を登り始めた。千百段の石段はまっすぐ伸びている。
小夜子はまだ続く階段をちらりと眺めただけで、大きなため息をついた。
「無理。こんなの登れるわけないじゃん」
「小夜子、あんた、しゃべらないんじゃなかったの?」
芙蓉は意地悪く言った。小夜子は聞こえないふりをした。代わりに、石段を登り始めている碧落に声をかけた。
「ねぇ、ちょっとぉ! わたし、喉カラカラなんだけど!」
「はあ? なんだよ、姉ちゃん。水持ってこなかったのかよ」
碧落は芙蓉に向かってあきれた顔をして見せた。
「忘れたのよ。急いでたから」
「ふぅん」
碧落は再び下まで降りてきて、小夜子の背中を押した。
「笹の庵の水がめにまだいっぱい入ってたよ。上まで行きゃあ、水飲めるぞ。ここにいたら、いつまで経っても水なんか飲めないからな」
「んもう。わかったわよ」
小夜子は水につられて、しぶしぶ石段を登り始めた。百段おきに踊り場があるので、そのたびに休んだ。そうでもしないと、この長い石段を登って行けないのだ。休む時は体の向きを変えて、遠くの多々良村を眺めた。
五百段を越えたあたりからは、眼下を見下ろすと足がすくみ、吸いこまれそうになるので、進行方向を向いたまま、まだまだ続く石段を見つめながら休んだ。
「小夜子、気をつけないと転げ落ちるわよ」
芙蓉はさっきまでの怒りを胸の奥にしまいこみ、足がもつれ始めた小夜子に注意をうながした。手すりのないこの石段では、気を張っていないと真っ逆さまに転落してしまう。
「登る気はあるんだけど、ひざがガクガクするの」
小夜子は今にも泣き出しそうな声で白状した。つかまるものはなにもなく、石段はずっと下までまっすぐ続いている。わずかに風が吹いただけで、バランスを崩して落ちてしまう気がしてならない。疲労と恐怖で足がいうことをきかない。
「下を見ちゃだめ。上だけ見てて。ほら、あと少しじゃない。あそこに屋根が見えるでしょ? もうすぐ水が飲めるわよ」
芙蓉が小夜子の後ろに回っておしりを押した。
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