第19話 もしも、あの時に

 翌日、悩んだ末にロードは、シンに貝殻のレイを借りて沖合いの小島に行った。

 島には焼け焦げた跡は無く、石組みに杭が立っているだけだ。

 そこにレイをかけて、向かいの島の入り江に戻って待つことしばし。そう時間を置かずして、島の沖合いに大きな白い鯨が姿を現した。

 「…何の用だ」

人の姿に戻ったハルは、相変わらず無表情なまま、波打ち際まで来て足を止める。

 「星、見つけたよ。」

そう告げると、わずかに表情が変わる。

 「条件はクリアした。いつでも代われる。」

 「……。」

ハルは、じっとロードの眼を見つめている。疑うような素振りは見せなかった。ただ、しばらく考え込むような間があった。

 「…"賢者"を継いで、それで、どうする」

 「とりあえず世界を修復する」

 「一人では無理だ。」言いながら空を見上げる。「この亀裂は、いったん呪文を全て展開して、再実行しないと元に戻せない」

 「最低二人いれば、なんとかなるんだろ? おれのほうの世界ではそうだった」

言いながら、ロードも少し、自信の無い口調になっていることに気がついていた。

 「今、レヴィが塔に向かってるはずだ。あいつが"風の賢者”を継げたら、一応、二人揃うから…」

 「成り立ての賢者二人でどうにかなると? そもそも、お前は魔法を使えるのか」

 「うっ」

 「呆れたな、創世の呪文は創世の魔法を実行するための呪文の塊だと知らないのか? まともに魔法も使えないのに、扱えるはずがない」

 「……自分だって、ろくに教わりもせずに引き継いだくせに」

 「何?」

 「前任者が何も教えてくれなくて、分からないとこはランドルフさんに聞いたんだろ? 知ってるんだぞ」

 「…こいつ」

ハルは、いきなり手を伸ばしてぐいとロードの頭を掴んだ。だが、それは傷つけようとするほど強くはない。乱暴に髪をぐしゃぐしゃとかき回すと、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 「何すんだよ、子供かよ!」

 「子供はお前だ。何だその、取り合えずやってみたっていうの」

 「元はといえばハルが何もしようとしないからだろ?! あんたどうしてそう、すぐ諦めて引きこもろうとするんだよ。向こうでも、こっちでも!」

 「……。」

こちらに背中を向けたまま、ハルは腕組みして黙っている。しばしの沈黙。

 「…本気で、"賢者"を継ぐ気があるのか?」

 「あるよ」

むっとして言い返す。

 「なら最低限のことは教える。まずは、その貧相な魔石だ。そんな初心者用をいつまで使ってる」

 「なっ」

ロードは思わず、自分の左腕に嵌めた腕輪に手をやった。

 「言っとくけど、これ作ったの、あんただからな?!」

 「ああ、そうか。成程、どおりで見た感じだと思った」

無表情なうえに抑揚の無い声だったが、逆に、驚きもしないのが意外だった。

 「他に魔石は持っていないようだな」

 「え? いや、使えるかどうかは分からないけど、一応ここに…あれ?」

上着のポケットに手をやった彼は、そこに何も入っていないことに気づいて慌てた。

 「やばっ、どっかで落とした?!」

いつから無かったのだろう。そういえば、こちらの世界に来てからすっかり忘れていた。ポケットの奥の、小銭などを入れておく場所に入れていたから、落とすはずなどないと思っていたのだ。

 「…やれやれ。」

溜息まじりに、ハルは小さく首を振った。

 「明日までには用意しておく。明日また、ここに来い」

 そう言い残すと、ハルは返事を待たず、再び波間に姿を消した。ロードには、従うしかなかった。けれど、翌日から一体何が始まるのかは、ロードにも良く判っていなかった。




 次の日、心配するシンに見送られて再び訪れた島の浜辺には、誰もいなかった。だが、見上げると切り立った崖の上に呪文の欠片の輝きが見えた。よじ登っていくと、ハルが島の上に立って海の方を眺めていた。

 ロードが登ってきたのを振り返りもせず、彼は、一言だけ言った。

 「どれでも選べ」

見ると、側の岩の上に色とりどりで大きさも様々な魔石が並んでいる。

 「どうしたんだ、これ」

 「その辺りの海に沈んでいたものだ。難破船の落としもの、水死体から落ちたもの、陸から流れてきたもの。海には何でもある」

 「…さすが、千里眼なだけはある。」

見回して、ロードは、中程度の大きさの透明な石を取り上げる。

 「これがいいかな。今使ってるやつに輝きが似てるし」

 「…もしかしてお前、魔法の基礎を誰にも習ったことがないのか?」

 「そうだけど。」

 「……。」

ハルが額に手をやるのがわかった。

 「な、なんだよ。一応、レヴィに聞いてそれなりのことは知ってるし、素人じゃないと思…」

 「…自分の魔法特性は何だ?」

 「えっ…」

僅かな沈黙。

 「…そこからか。」

大げさに溜息をついて、ハルは、ちらりとロードのほうを見た。

 「得意な魔法は? 使える魔法でもいい。そのナイフをどう使う」

 「どうって」

ロードは、腰からナイフを引き抜いて、側の木に向かって力いっぱい投げた。そして、腕輪で力を加えてわざと木を外させ、ぐるりと宙で弧を描かせて手元に引き戻す。

 「…こんな感じかな」

 「物体制御、か。よくある特性だが、使い方が珍しいな」

言ってから、ちょっと間を置いて独り言のように付け加える。

 「…なるほど、僕自身の使い方に似せてあるのか」

そして、体ごとロードのほうに向き直る。

 「その腕輪とナイフは取り合えずそこに置け。それは力の使う方向性を限定して、何も知らない素人でも魔力を込めれば魔法を使えるように作られた道具だ」

言われたとおりにすると、ハルは、足元の石を指した。

 「それをナイフだと思って動かしてみろ」

 「ええ? いきなりそんなこと言われても」

 「出来るはずだ。イメージすればいい。形が違うだけで、それはナイフだ」

 「…そんなこと言われても」

渋々と足元の石を拾い上げると、ロードは、左手の透明な魔石と、右手のふつうの石とを見比べた。石は手の平サイズで投げるには丁度良さそうな大きさではあるが、どう見てもナイフには見えない。

 「物を投げるとき、お前は何を考えている?」

ハルの声が、後ろの方から響いてくる。

 「思考言語。魔法を使うための頭の中の言葉だ。お前は多分それを、実際の体の動きでイメージしているはずだ。ナイフを投げているつもりで石を投げる。そして引き戻す。」

 「…うーん、…石をナイフにして…」

半信半疑のまま、ロードはいつもするように石を宙にむかって投げる。そして、放物線を描いて落ちていく石に向かって、引き戻すイメージを与えた。その途端、目の前で石の確度が変わった。

 (え?!)

戻って来た石が、足元にぼとりと落ちて転がる。

 「…出来た」

ロードは呆然としたまま呟く。そして、慌ててハルのほうを振り返った。

 「何で?!」

 「何でも何も、どうして今までやってみようと思わなかった?」

ハルは、今までの無表情とは違う、明らかに判る呆れ顔になっていた。

 「ナイフが動かせるなら、石でも木でも動かせる。当然だろう。体で覚えるのも、脳内でイメージするのも結果は同じだ。魔法の基礎となる”思考言語”とは、まさに、体でする動きを思考の中で再構築する行為なのだから。

 ナイフ投げの命中度はどのくらいだ? おそらくお前なら、並の魔法使い以上の確度で的を狙える。技としては完成されたものだな」

 「……。」

 「残る課題は、本人の”出来ない”という意識を解消すること、か…」

そう言って、手を顎にやりつつ、ハルは、じっとロードを眺めた。

 「…いや、もう一つあるか。力の上限にあわせた制御…」

 振り返って、石の上に並べられた魔石に視線をやる。

 「今度はそこの、一番大きい青い石を使ってみよう。ここある中では、一番魔力が強い。」

 「そんな出力の高いやつ、使えないと思うけど…」

 「上限値を計るには限界一杯までの出力を見るのが一番だ。心配するな、倒れたら介抱くらいはしてやる」

 「うっ」

有無を言わさぬ眼差し。またも渋々と、ロードは、示されたほうの魔石を取り上げる。

 (案外キツいんだな、ハルの魔法訓練って…)

以前、元の世界でフィオがしばらくハルに魔法の使い方を教わっていたことがあったが、短期間でずいぶん上達していたのは、こういうことだったのか。

 「石を持ったら、あの海の中の岩を動かす」

 「岩ぁ?!」

 「…動かせなくてもいい。あれをさっきやったように投げるイメージで力を加えてみるんだ」

ハルが指差す眼下の岩は、白い波に洗われて海の中に立っている。どのくらいの大きさがあるのか、上から見ている限りでは分からない。

 「いや無理だろ、どう考えても!」

ロードが悲鳴を上げると、ハルがじろりと睨んだ。

 「やる前に出来ないかどうか決めつけるな。今まで散々生意気な口を利いておきながら、自分のことになると逃げるのか?」

 「…あーもう! ダメでも笑うなよ?!」

半ばやけくそのつもりだった。左手に魔石を握り締めたまま、ロードは、崖の縁に立って目標の岩を見つめた。

 (投げるったって。この距離だし…ナイフって感じの見た目でもないし…ええと…)

宙に差し出した右手を、岩を掴むように動かしてみる。

 (…重たそうだな…)

無理だ。けれど、動かすくらいは。

 岩を押しやる。

 それなら辛うじて、イメージがつきそうだった。反動をつけて、勢い良く。魔石に力を込めながら、ロードは、右手を勢い良く突き出した。

 (思い切り、…押す!)

信じられないことが起きたのは、その瞬間だった。目の前で、岩が勢い良く折れたのだ。

 (えっ?…)

 「えっ…」

後ろで同時にハルも小さく声を上げていた。思わず振り返り、二人の視線が合う。

 「今…ハル、何か、した?」

 「するわけない。ロードが…」

 「あ」

ロードは思わず声を上げた。

 「やっとおれの名前呼んだ!」

 「え? いや、そういう話じゃなくて、そっちの岩…」

言いかけたハルだったが、ロードがにやにやしながら見ているのに負けて、自分も思わず苦笑いしていた。

 「…何なんだ、お前は。魔法が使えるのに使えない気になってるし、実際の出力はケタ外れだし」

 「っていうか、今の本当に、おれがやったのか?」

 「そうだよ。間違いない。」

振り返って、真っ二つに折れて波間に断面をさらしている大きな岩を見下ろした。それから、左手を開いて魔石の輝きに視線をやる。

 強い光。純度も高い。こんな魔石を使っている魔法使いは、今までに数人しか出合ったことがない。

 「方針を少し変えたほうがよさそうだ。お前の場合、力の制御と方向付けはもう出来ている。ただ、力のが巧くいっていない。通常と順序が逆だ」

 「つまり?」

 「次は、いま折った石を浮かせてみようか。で、そのまま一時間耐久かな」

 「……。」

ロードが青ざめたのが判ったのだろう。ハルは、口の端を僅かに持ち上げた。

 「人間の筋力を鍛えるのと大差ない」

 どうやら、この訓練は楽には終わりそうにも無かった。




 それからの何日かは、同じような特訓の繰り返しだった。

 毎日、倒れるまで岩を投げ飛ばす。最初は動かすのでやっとだったのが、一週間も経つ頃には、しばらく浮かせたままにするとか、思い切り遠くへ投げるとか、意図した動きもさせられるようになった。

 そして、最初はほとんど感情を見せなかったハルの態度にも、少しずつ変化が現われていた。まるで、忘れていた表情を少しずつ取り戻していくかのようだった。


 本当は冷たいわけでも、何も感じていないわけではないのだ。ただ、あまりにも長い時間、一人で多くのことを感じすぎてしまったために、本来の自分の気持ちを心の奥に押し込めて、うまく表現することが出来なくなっていただけなのだ。


 夕陽の射す頃、ロードは、息も絶え絶えになってヤシの木の木陰に横たわっていた。体がだるくて、動くことも出来ない。崖下には、毎日のように投げ飛ばされて角の欠けた岩が転がっている。

 今日も朝からずっと訓練させられていたのだ。一日で一体どのくらい魔法を使わされたのだろう。初心者相手にあんまりのしごきだ。

 「使える魔力の上限は、大半が遺伝要因によるものだ。」

もう首を動かす元気もないロードの耳に、ハルの声が遠くから聞こえてくる。

 「それに対して魔法特性は、育ってきた環境によって決まる。だいたい十歳から十二歳くらい…、個人差はあるが、魔力が扱えるようになるのは、思春期の始まる少し前。魔法特性も、そのあたりで固定される」

 「おれが最初に腕輪とナイフが使えるようになったのも、そのくらいだよ」

 「君の特性、”物体操作”は、その言葉の通り物体の動きを制御することに長けている。動かすことも止めることも可能だ。ただし、一般的に影響する対象物の大きさや数に比例して必要な魔力の量が上がる。」

 「へえ…。じゃあ、毎日岩なんて持ち上げてたら、そりゃ疲れるわけだよな…。」

頭上の夕焼けに染まっていく空に、星たちが現れ始めている。


 風に吹かれながら、ロードは眼を閉じた。疲れているせいで、今夜は、気持ちよく眠れそうだ。

 「限界を越えると蓄積された疲労は翌日まで残留する。筋肉痛のようなものだ。その先に死に至る限界がある。…君は、今まで一度も意識を失わなかった」

 「今、失くすとこだよ。」

 「…普通の人間なら、初日が終わった時点で次の日には立てなくなっているんだがな。」

遠ざかる意識の片隅で、ハルの小さな呟きが聞こえる。

 「遺伝要因…この桁外れの魔力の原因は、やっぱり…」

 静かに闇が訪れる。


 その夜、ロードは一度も眼を覚まさず、ヤシの木陰に大の字になったままで朝まで眠りこけていた。




 「…くしゅっ」

 寒さで眼を覚ます。世界はまだ薄暗く、しかも風が強い。夜明けかとも思ったが、どうもそうではなさそうだ。


 起き上がって周囲を見回すと、ベルトとナイフの上に、見慣れない腕輪がひとつ置かれていた。今まで使っていた魔石をはめこんだ腕輪と同じつくりで、真ん中にあるのは、ここ何日か魔法の訓練に使っていた、青い大粒の魔石だった。はめてみると、ロードの腕にピッタリだ。

 (ハルが作った…のかな? どこに行ったんだろう)

島の上から周囲を見回す。海の方にも、入り江の側にも、どこにも見当たらない。


 海は、天気が悪いせいか波が逆立ち、灰色に濁って見えた。ベルトを巻いてナイフを確かめ、島の斜面を滑り降りていくと、ちょうどシンが、小舟でこちらに渡ってくるところだった。

 「あれ、シンさん」

 「おお良かった。生きていたか」

小舟を浜に乗りつけながら、男は、ほっとした表情になる。

 「帰ってこないから、心配していた」

 毎日、訓練のあとは夕方にはシンの家に戻って寝床を借りていたからだ。

 「昨日は疲れて島で寝ちゃって…ハルは?」

 「いないのか」

シンのほうが驚いた様子だ。

 「…そうか。海がこの状態だから、探しに来たんだが」

 「何かあったんですか」

 「嵐が来るかもしれん。そんな季節でもないのに」

大きな波が押し寄せ、小舟が大きく揺らめく。

 シンは舟の上でバランスを取りながら、心配そうに自分の家のほうを眺めやった。昨日までの、穏やかで透明だった海は一変している。空を流れる灰色の分厚い雲は太陽の光を完全に遮り、真昼だというのに夕方のような暗さだ。そして、やけに肌寒い。

 ――こんな風景は、以前も体験したことがある。

 (世界の終わり…)

背筋にぞくりとする感覚が走った。


 慌てて振り返ったロードは、視界の端に、弱々しく輝く青い光があることに気が付いた。

 「どうした? 戻らないのか」

 「シンさん、おれ、ちょっと行ってきます!」

 「行く? 待て、どこへ…おい!」

ロードは、脱いだブーツをシンの舟に放り込み、ズボンの裾を引っ張りあげて浅瀬を走り出した。

 潮は引いているはずの時間だったが、今日は波が高く、砂州を越えて波が内海まで届いている。小島に生えるヤシの木は大きくたわみ、今日は釣りの老人もいない。

 「ハル!」

一番外側の、海に近い砂州の上にうずくまっていた人物が、ゆっくりと身を起こす。伸びるままに伸ばした白い髪が風にあおられて、肩の辺りに散らばっている。

 「大丈夫か?」

 「…何のことだ」

 「いや、だって」

顔色が白いのは、気のせいではない。それに、――胸の辺りに見えている呪文の欠片の輝きが、いつもより不安定だ。


 ロードの視線に気づいたのか、ハルは、自分の胸のあたりに手をやって隠すようにした。

 「限界のようだ。この世界も、呪文も」

言いながら、視線を空に向ける。同じ方向を見やったロードは、思わず息を呑んだ。

 空に大きく、上から下まで黒っぽいヒビが走っている。

 その表情を見て、ハルは俯いて小さく笑った。

 「…あれが、視えているんだな。やっぱりそうか。その眼、…僕に似てると思ってたんだ。」

何と返していいのか分からない。言葉を捜そうとしたが、咄嗟に思いつかないまま、ロードは、ただ黙って横顔を見つめていた。

 「ずっと考えていた。誰も助けられなかった、二十年位前の難破船のことだ。あの時、死んだ船員の中に一人だけ女の人がいた。きれいな人だった…、傷ひとつなくて、きれいな顔のまま浜辺で死んでいた。あの人は、…君によく似ていた」

 「…ハル。」

 「ねえ」

顔を上げたハルの頬に、一筋の涙が零れ落ちる。

 「あのときもう少し頑張っていたら、僕は、この世界でも君に会えていたのかな?」

 「………。」

その表情だけで、ハルは答えを察したようだった。ロードが言葉を選ぶより早く、青い瞳から大粒の涙が零れ落ちた。

 「ごめん…ごめんよ」

 「泣くなよ…。」

ロードは、目の前の白い肩を抱き寄せていた。


 どうして、いつもこうなのだろう。元いた世界でも、ハルとの初対面は泣かれて、怒鳴りつけて、ひどいものだった。

 (でもしょうがないよな。…同一人物なんだから)

違っていると思えたのは、見えていた表面の部分だけだ。中身は同じだ。


 大きな波が打ち寄せて、しぶきがぱらぱらと降って来る。ロードは顔を上げた。

 「このままじゃ皆、死ぬ。レヴィを連れてこないと。」

 「…塔に行くのか」

 「ああ。本当なら、あいつが次の"風の賢者"になるはずだった。おれのいた世界でも、これと同じようなことが起きた。でも、巧く再生できたんだ。」

 「……。」

ハルは、視線を遠くにやった。

 「入り江の奥の扉を使うといい。…塞いでいたものは、どけておいた」

 レヴィの言っていた、風の塔に繋がっている、という昔の扉のことだ。だが、弱っているハルを、このまま置いていっていいのかどうか――、

 「長ー!」

後ろから、追って来たシンの声が響いてくる。

 「ロード」

振り返ると、ハルが小さく頷いていた。大丈夫だから行け、という意味だ。頷き返して、ロードは再び走り出す。

 「あっ、…」

 「シンさん、これ返してもらう。」

小舟に放り込んであったブーツを取り上げる。

 「ちょっと行ってくるから! ハルのこと頼む」

 波は、さっきまでより高くなっている。風が強まり、辺りは一段と暗く、寒くなった。海の冷たさで足が痺れそうだ。


 膝まで浸かりながらマルセリョートの入り江に辿り着くと、ロードは、湿ったブーツに足を突っ込んで砂浜の奥の崖を目指した。

 崖の端の暗がりの奥に、確かに扉らしきものが見えている。元の世界でも、レヴィの提案でそこに扉が設置され、その時々に応じて風の塔や、シルヴェスタの森や、ロードの家の居間につなげられていた。


 扉の前に、砕けた岩が転がっている。多分それが今まで扉を塞いでいた障害物だろう。

 残っていた岩をどかしながら、ロードは、さび付いたドアノブを引っ張った。かすかな軋む音とともに扉が開く。――その向こうから、こちら側とは全く違う風が、匂いが、押し寄せてきた。

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