【短編】傀儡まはしの手に踊る

漆宮玄行

第1話 誰ソ彼のロウソク

 また、親に殴られた。

 稼ぎが悪いと、殴られた。

 何をやっても、殴られた。

 そのうちに息をしても殴られるかもしれない。


 世間じゃ御維新だ。文明開化だと騒いじゃいるが、寛治かんじの周りに目新しいことは何も来ちゃいない。


 数日前に、同い年だったお伊勢が、大店に女中見習いに出た。

 十三で大店おおたなへ奉公に入るのだから、鈴なり長屋の子供では出世頭だ。そのせいで親が自分に当たる回数が増えた。寛治にはそう思えて仕方なかった。


 このままじゃ殴り殺される。

 でも行く当てなど、どこにもない。腹も減った。


 夕方まで近くのお稲荷さんに身を寄せるつもりで、縁日をぶらつく。

 年の瀬にはだいぶ日がある。食い物屋なんて一件もない。

 けれど、今日はお稲荷さんの門前にちょっとした人だかりができていた。


 寛治は人垣の間から首を伸ばすと、傀儡師の見世物売りだった。


 ひと抱えもある大きな傀儡くぐつなりは、〝花魁おいらん〟と呼ばれる格の高いものだ。この辺では珍しい。


 結構な義太夫節に合わせて、しゃなりしゃなりと舞う。艶やかな黒髪にす八本の鼈甲簪べっこうかんざしが、斜陽を吸って金色に輝いた。


 白く細い首がはんなりとしなを作って振り返り、寛治をどきりとさせた。

〝花魁〟と眼が合った気がした。まるで生きているようだ。


 演目が終わって、人垣の拍手で寛治は我に返る。そういえば、この見世物は何を売っているのか。いや、やめた。どうせ買う銭もない。

 寛治は人垣を離れて、お稲荷の境内に入った。


   §  §  §


「坊ちゃん。家出でもしなすったかね」


 やや掠れた男の声で、寛治は顔をあげた。


 いつの間にか小さな境内は朱に染まっていた。

 赤鳥居はもとより、狐や植え込み、石畳。そして自分の身体さえも。夕焼けがすべてを呑んでいた。

 今日の名残りの暖かさと、今日が失われる冷たさが同居する赤に、寛治はため息をこぼした。


 そんな自分のとなりに、あの傀儡師が座っていた。左脇にあの美しい〝花魁〟を抱えて。


「おれ……いつから」

「さあて。四半時(三〇分)くらいでやすかねえ」


 男はひと稼ぎし終えた表情で、小さな煙管を唇でひょっこひょっこ上下に動かしてニカリと笑った。すると横からその煙管を〝花魁〟が両手で奪い取った。男の横顔を見つめながら。


 破廉恥いやらしい

 寛治にはとっさに思う。思って、人形相手に……虚しくなった。


「あっしは、鵺比古やひこと申しやす」

「寛治……。鵺比古さんは渡り芸人なのか。あんなにいい声と糸繰りをしているのに、屋号がないのか。師匠にはついてないのか?」


「へひひっ。こいつは一本獲られたねえ。よくそんなことをご存じで」


寛治はうつむいて、

文楽ぶんらくは好きでよく覗きにいってた。祭りや市で香具師やしが出張るとそういう話も聞ける。旅芸人はみんな師匠から弟子へワザと一緒に名前をもらうって」


「まあ。名前をもらって一本立ちできるのは、ほんのひと握りでやすよ。でもね。あっしは名前よか、この〝藤夕ふじゆう〟を手に入れただけで、充分なんで」


 横に笑いかけると〝藤夕〟が両手で煙管を戻してくる。くわえ直して鵺比古はニンマリと笑みをこぼした。間近で見ていて生々しい情交に思えて、寛治は目のやり場に困った。


「なあ、鵺比古さん」

「なんでやしょう」

「おれを弟子にしてくれないか」


「そりゃまた。ご無体な話でやすねぇ。出会い頭に一目惚れはあっても、師匠と弟子じゃあ『はい。そうですか』とは、お釈迦様でも無理が過ぎるってもんで」

「……だよな」寛治は膝を抱え込んだ腕に顔を伏せた。


「もう、こんな生活嫌だっ。どっかで自分をやり直してえよっ」


「それじゃあ……やり直してみやすかい?」


 眼に涙を溜めたまま寛治は怪訝そうに顔を上げた。となりを見る。鵺比古はこっちを見ない。右手には短い、赤いロウソクを持っていた。


「一度だけ。やり直してみやすかい?」


 同じ問いを重ねてきた。寛治は思わず赤いロウソクに手を伸ばしていた。それがひょいと離れる。


「あっ。ご、ごめんよ」

「このロウソクは〝誰ソ彼のロウソク〟といいやしてね。黄昏の時分に、このロウソクの火ごしに相手の顔を見つめて火を吹き消すと、一度だけ、魂が入れ替わるんだそうで」


「そんな……鵺比古は信じるのか?」

 どうしてだろう。寛治は赤いロウソクから眼が離せなくなっていた。


「あっしは誰かと魂を入れ替えてまで今の自分を捨てたいなんざ、これっぽっちも。寛治さんが使ってみたいのなら、差し上げますよ。ただし、入れ替わらなかったって、文句は言いっこなしで頼みますぜ」


 思わず生唾を飲み込んでうなずいた。


黄昏たそがれ時に、ロウソクの火ごしに相手を見つめて、火を消せばいいんだね」

「そうですがね。手に持ったり、すれ違いざまにやるってのは無茶ですぜ。魂が入れ替わる時にお互いぶっ倒れちまってやすからねえ」


「わかってる。もうすぐ、この稲荷に相手が来るはずだ。なら、ここの灯籠を使えばいい」

「へっ? 今から、ここに相手が来るんですかい?」


 鵺比古の拍子抜けした顔に、寛治は自信たっぷりに頷きかけた。

麻利あさり峯一郎みねいちろう……この辺で有名な孝行息子だ」


  §  §  §


 晩飯に、鮭の西京焼きというものが出た。

 鮭の切り身を上方の白味噌に漬け込んだものを、串で炙って火を通したものらしい。

 ここは料亭か。行ったことないけど。


 何よりのご馳走は、白い飯だ。醤油で炊いたみたいな玄米しか食べたことのない寛治には、その白さが眩しいほどだった。最近は、そのお焦げすら食べさせてもらっていなかったが。


 がっつくな。がっついたらおしまいだ。


 恐る恐る周囲をうかがいながら。椀を手に取る。温かい。


「江戸でまた油の値が上がりましたな」

「ああ。房総の菜種と上方の菜種との競争は激しさを増すばかりだ。これが蝋燭や紙に累が及ぶ前に手打ちにしてほしいが……もうカンショの季節か。秋は早いな」


 上座で大人達が難しい話をしている。どっちが峯一郎の親かはわかったが、和気藹々とした雰囲気ではない。膳に椀が置かれる音がするたびに、背中の筋に力が入る。


「峯一郎。手習いはどうだ。少しは上達したか」

 ふいに親に自分が呼ばれたと気づくのに、二呼吸もかかった。

「え、えっと……っ」


 突然、表の店先から木戸を叩く音がした。


「誰だ、こんな夜分に」

「町廻りでしょうか」


 下座の端に座っていた若い手代が座を立って、部屋を出て行った。それからしばらくして「いい加減にしないか。坊ちゃんはとっくにお戻りになっているよ」とはっきり聞こえてきた。背中から汗がどっと噴き出す。


 やがて、若い手代が首をかしげて戻ってきた。


「どうかしたのかい」

「いえ。子供の悪戯でした」

「子供。こんな夜にかい?」


 拍子抜けする番頭に、若い手代は困惑した様子で顔をしかめる。


「自分は峯一郎だと言い張って、わたくしの名前だけでなく、番頭さんや旦那様の名前まで知っておりました。随分手の込んだ悪戯だったので、いい加減にしないか。と叱ったら泣きながら逃げていきました」


「なんなんだい。その悪戯は」

「小遣いほしさでしょう。またやってくるかも知れませんな」

「まったく。親はどういう躾をしているのだか」


 ニヤリ……。寛治は心情が顔に出ないように唇を引き結んだ。


 頑張れよ。新しいおれ。せいぜいあの男にぶち殺されないようにな。

 とはいえ、新しい峯一郎もうかうかと豪勢な晩飯に舌鼓を打ってる場合じゃない。早くこの身体になれないと、物憑き扱いにされてかねないな。


 幸い、こいつの生活ならだいたい知ってる。ずっと見てきたんだ。

 同じ年頃で、同じ土地に住んで、同じ言葉をしゃべるのに、この差は何なのか。

 おれとヤツと何が違うのか、って。そんな愚にもつかねぇっかみが、こんな時に役立つとは、人生何が起こるか分からないもんだ。


(当面、この屋敷の中で邪魔なのは……母親だな)


 落ち着け。まだこの屋敷の中で大胆に行動するには早すぎる。もっとじっくり峯一郎を知らなければならない。

 それとも、いっそ……。


  §  §  §


 くず箱に、くずを捨てに行ったら、クズがいた。

「えっ。寛治? 本当に寛治なの……?」


 くず箱の陰で膝を抱えていた少年が顔を上げると、寛治だった。

 いや、でも……なんか違う。いやいや、見ればみるほど。どこからどう見ても、つい三月前まで同じ長屋で遊んだ同い年の悪ガキだ。この殴っても死ななそうな図太い面は見間違うはずがない。なのに、この気配というか雰囲気というか。

 ちょっと可愛くなってる。


「寛治ってば。ねえ、どうしたん?」

「なんだ……伊勢か」


 むっ、何よ。そのあからさまなガッカリは。そりゃあ確かに女中見習いを始めてまだ三月だけど。

 食い詰めて、あたしを頼ってきたわけじゃないのか。じゃあ、なんでここに……。


「いー、せー。くず出しにいつまでかかってるんだい」


 上女中のお牧さんだ。がみがみ怒ることはしないけど、手を抜くとすぐにバレる。


「はーい。──どうせお腹減ってるんでしょ。待ってて。なんとかする」


 一方的に言い置くと、あたしはお勝手口の戸を閉めた。

 それから本日一切の片付けを済ませ、最後に竈の炭に灰をかぶせると使用人は就寝支度になる。その合間で、あたしはこっそりとおひつのフタを開けた。


「おい、伊勢」


 後ろからお牧さんに呼び止められた。背筋が凍りつく。


「白飯を恵んでやれば癖になる。そこの芋にしときなよ」

「お牧さん……いいんですか?」


 お牧さんは、黙ってろと肉厚の唇に指を立てた。


「さっき表で騒いでたのが子供だって、みんな気づいてる。甘い顔はできないけど、お目こぼしはしてやれる。今夜、余分にお前が奥様のお世話をすれば、誰も文句は言わないさ」


 あたしは軽く拝んで、蒸かしたサツマイモの皿を持って土間を出た。


甘藷かんしょか……わたしは食べられない」

 あの寛治が〝わたし〟とか、〝甘藷〟とか気味が悪い。背中が痒くなる。

「六つの時、わたしはこれで死にかけたんだよ」


 あんたが芋を喉につまらせた。里芋じゃなくてサツマイモを。そう、だっけ? 


「ごめんね。他にあげられる物ないから、頑張って食べな。あ、白湯をもってきてあげる。それで少しずつ食べなよ」


 土間に戻りながら、あたしは怖気で足が震えた。

 あの寛治がそんなドジしない。あいつが六歳の時に死にかけたのは、おじさんが投げた茶碗が顔に当たって右眉を切った時だ。その傷が勝手口の行灯の小さな明かりでも見えた。


 あの子は寛治だ。間違いないんだ。でも、あの明かりの下にいる寛治は……。

 おかしい。変だ。疲れているのかな。


「どうだった」


 肩に半纏を引っかけたお牧さんが待ってくれていた。

 わたしは土瓶と湯飲みを持って、


「六つの時に芋を喉につまらせて死にかけたから、食べられないって。今、無理やり食べさせてます」


「なんだいそりゃ。贅沢な……六つ。その子、今いくつだい」

「十三です」

「聞いたのかい」

「いいえ。実は、同じ長屋の子なんです。寛治っていいます」


 お牧さんが小首をかしげたまま訊ねてくる。


「で。その寛治が、芋を喉につまらせて死にかけたことがあるのかい」


 あたしは強くかぶりを振った。

「生まれてからこの方、芋を丸呑みしたって、そんなお上品に死ねないヤツですよ」

 お牧さんはワケがわからない顔で低く唸った。

 あたしは破顔して、土間を出た。


  §  §  §


 真っ赤な夕べの障子。間延びした人の影がゆらりと横を向く。


「おっかさん。お加減はどうですか」

 障子越しに声を掛けてくるのは、峯一郎だ。なぜか障子を開けて入ってこようとしない。


「ええ。新しい女中見習いが来てくれたおかげかしら。気分がいいわ」

「そうですか。それは、ようございました」


「お見舞いに来てくれたのでしょう。お入りなさいな。ういろうを持ってきてくれたの。あなたも食べるでしょう」


「奥様。それでしたら、新しいお茶を入れ直して参りましょうか」

 お牧がやや語気を強めて言う。障子の向こうへ聞かせるように。御内儀おかみが一人ではないと警告するように。


「そうね。お茶を二つ用意して──」

「おっかさん。すみません。用事を思い出したので、外へ出かけてきます」


 抑揚なく言うと、人影は赤い障子を右から左へと戻っていった。

 

「奥様……いかがでしたでしょう」


 御内儀おかみが、血の気の薄い顔で小首をかしげる。


「いかがと、言ってもねえ」

峯一郎坊ちゃん。どこか様子がおかしかったところはございましたか?」


「そう、ね。普段なら、わたくしを〝お母さん〟と呼んたかしら。あと甘い物と聞けば、障子を開けて飛び込んできたでしょう。まだまだ子供だったのに。お牧……峯一郎がどうかしたの?」


「それを、伊勢に確かめさせます」

「確かめる? どうして、伊勢が?」


「子供同士なら、角が立ちませんから」

「そう、なの?」


 御内儀の半信半疑が疑念に替わる前に、お牧は話の流れを少し変えた。

「覚えておいででしょうか。七年前。峯一郎坊ちゃんがサツマイモを喉につまらせて、大騒ぎになった時がございましたよね?」


甘藷かんしょを? あっ……確か甘露煮だったかしら。あの時あなたが峯一郎を逆さに担ぎあげて、背中を叩いて吐き出させてくれたのだったわよね。あんなこと初めてだったから、うちの人と一緒に肝を潰したわ」


「昨日。そのサツマイモが、旦那様達の御膳に上がったんです」

「えっ」


「秋の初物だったので出したそうです。もちろん、坊ちゃんがお手をつけないのを分かった上でです。でも戻ってきた坊ちゃんの御膳にはサツマイモは残っていなかったのを、今朝お浜から聞いて確かめました」


「お牧。それじゃあ、あの子は本当に、どうかしてしまったの?」

「わかりません。空似の他人か。物の怪の類いか。とにかく、わたしなりに手を尽くしてみます」


 お牧は手をついて御内儀の離れを出た。障子を閉めて、ヘラリと笑う。


鵺比古やひこ……お前なのかい。だとすりゃあ、子供を奈落に堕とすなんざ、罪作りなことをしたもんだねえ)


  §  §  §


【 みねいちろうはわたしだ くれ四つ。いなりでまつ 】


「畜生っ。畜生っ。おれは何やってんだ。あんな脅し、ほっときゃいいのにっ!」


 おれは口汚く悪罵を吐き捨てながら、袖に手を隠して大股で往来を歩く。とももつけない。つけられない。


 空は紺碧こんぺきに染めあがり、緋陽あけびが西に扇をたたむ。

 目の前にうつる男が、女が、ただ黒い影になって行き交う。

 まるで夕焼けから落ちこぼれた亡者の徘徊だ。


 人のなりをしながら表情がなく、昼の者とも夜の者のともつかない。うねうねとした存在の中を、おれはまた、あの稲荷へと向かっていく。


 手紙ふみは、部屋の障子に差しはさんであった。


 誰にもあのロウソクのカラクリをさとられるはずがねえ。ロウソクを吹き消しただけで、魂が入れ替わる。そんなの、ありっこねえんだ。

 だったら、誰がこのカラクリに気づいた。


 考えられるとしたら、二人いる。

 一人は、あの傀儡師・鵺比古やひこだ。

 あいつはもう、この町を発って他所の町に流れて行ったはずだ。だが、まんまと成り代わったおれに、まとまった金を条件に口止めを考えたとしても不思議じゃない。


 もう一人は、峯一郎本人だ。ヤツなら我が身の事情が飲み込めてもおかしくない。だけど、おかしいこともある。


「あいつの見た目は、寛治おれなんだ。麻利屋の屋敷に入ってこれるわけがねえんだっ」


 使用人の中に、手引きした者がいる。そうとか考えられない。


 でも、成り替わったのは昨日の今日だ。麻利屋の使用人に、峯一郎とおれの事情に気づけるはずがない。麻利屋使用人の誰も、おれのつららない。現にあの若い手代は、気づけず追い払ったじゃないか。


 このままだんまりを決め込んでさえいれば、おれは大店の跡取りだ。毎日うまい飯と、ふかふかの布団で眠れる。ざまあみろだ、クソ親父。


(なのにっ。なのにあいつが、いるからぁ……あいつさえ、いなくなればあっ!)


 麻利屋峯一郎の人生はもう、おれのものだ。

 おれは袖の中の鉄火箸を握りしめる。


 夕空に暮れ四つ(午後六時)の鐘が鳴った。

 それが鳴り止む前に、稲荷の門前が見えてきた。

 やはり、あの傀儡師の姿はない。


 稲荷の門をくぐると、灯籠の前で麻利屋女中の姿を見つけた。

 あの赤いロウソクを知ってる。おれは袖から鉄火箸を引き抜いた。


「お前、そこで何をしてるっ」

 おれの声に驚いて、女中が振り返った。

「──なっ!?」


 お伊勢ちゃんだった。


 その時になって今さら、おれは幼なじみが大店に奉公に出たことを思い出した。唇を強く噛みしめる。


 なんで。どうして麻利屋なんかに奉公へ出たんだよ……っ。


「若旦那っ!」


 お伊勢の鋭い声で、おれは我に返った。

 鉄火箸を持っていない手で、お伊勢の肩を掴んで灯籠から引き離した。


 次の瞬間、目を疑った。

 灯籠の火袋の中にあったロウソクの色は──〝白〟だった。


「このロウソクじゃないっ。しまっ──」


 おれは自分の魂が吹き消されるような怖気を覚えて、闇へ意識が転倒した。


  §  §  §


「伊勢ぇ。ありがとうよ。ほんどうに、ありが、どう……っ」

「もう、若旦那。男の子なんだから泣いちゃいけませんよ。お礼はお牧さんにも言ってください。あたしはお牧さんの指図に従っただけですから。ね?」


 安堵に満ちたお伊勢の声で目が覚めた。

 おれは灯籠の竿に爪を立てて、よじ登るように立ち上がる。灯台に指がかかった時には、殺意は憎悪に変わっていた。


「何でも持ってる奴が、何も持たない奴からすべてを奪って、いいわけがねえっ!」


 灯籠の火袋で、赤いロウソクが溶け崩れてしまっていた。

 だが、まだ火芯が残ってる。

 この境内には一対の灯籠があり、もう一方の白いロウソクには火がついていた。


 おれは憎悪に支配されたままロウソクへ駆けだした。灯籠から灯籠。たった五けん(約九メートル)を往復しただけで息が切れた。


 震える手で火を移すと、赤いロウソクだった物に三たび火がついた。

 灯明の先にお伊勢と、そのとなりに立つべきおれの人生があった。


 取り戻してやる……っ。


 ロウソクを吹き消すため、喉を膨らませた時だった。




「くぁ~ひゃっひゃっひゃっ! 破りなすったねえ。寛治さんよぉ!」




 狂った嬌声に振り返ると、鼻先に傀儡くぐつ藤夕ふじゆう〟の赤いかおがあった。夕日に照らされ、血を浴びた女の鬼気が迫ってくる。


「そのロウソクは〝一度だけ〟だって。あっしはちゃあ~んと、言いやしたぜ」


 かつり、かつりと〝藤夕〟眼玉が回る。そして突然、その美しい貌が真っ二つに割れて鬼の顔が現れた。


「ひぃっ」

「子供といえども、そのよごれっちまった魂──、いただきや~すっ」


 がばん……っ!

 鬼のあぎとが上下にひろがる。

 それを最後に、寛治は頭から混沌のうずへと飲み込まれていった。


  §  §  §


「小牧、まだこの町にいたのかい。気長だねえ」


 傀儡師は、西の地平に残る夕暮れの欠片に語りかける。


「寛治さん。おめぇさんは他人の楽しそうなとこだけ見て、自分の苦しい身の上と比べちまった。そりゃあ楽しいが勝ちやすぜ。羨むってことは、そういうことじゃあねぇんですかい。

 テメェの苦しみはテメェにしか解らねぇんでさあ。他人に替わってもらうことも、押しつけることもできねえ。人が生きるって、そういうことじゃねぇですかねえ」

 くっひっひっ。傀儡師は次の町へと、歩き出した。


                               〈了〉

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