報労記32話 あっという間に日が暮れて -4-
「ほな、よろしゅうに」と、レジーナは夜の闇に紛れるように姿をくらませ……ようとして、ルシアに捕まり、酒飲みの輪へと引きずり込まれていた。
うわぁ、面倒くさそうな連中のところに……
「レジーナ。お前のことは、たぶん、全部は忘れない」
「そんなほとんど忘れそうな決意いらんさかい、助けてんか!?」
ごめん。
その辺の酔っ払い面倒くさいから、無理!
「イメルダ。よきところで――」
「まったく、ゆっくりと勝利の美酒に酔いしれるヒマもありませんわね」
エビを片手にワインを嗜んでいたイメルダが席を立ち、ハビエル率いる呑兵衛どもの巣食う魔窟へと向かう。
「傍迷惑な酔い方をされた方は、マストにくくりつけて一晩放置しますわよ!」
「わぁ~、イメルダちゃん怖ぁ~い、ちゅ~してあげる~☆」
「早速悪酔いしてますわね、この人魚は!」
「イメルダの唇はアタシのもんさね!」
「あなたも負けず劣らず酷いですわね、ノーマさん!」
「いいや、ワシのだ!」
「お父様……ドン引きですわ」
「冗談じゃないか、イメルダぁ~! うぉおお、毎秒距離が空いていくぅ!?」
うん。
これで酔っ払いどもの暴走もある程度食い止められるだろう。
「ミリィ」
「ぁ、てんとうむしさん」
「どうだ、海の上での晩餐は?」
「ぅん。とっても楽しい」
その笑顔は、本心からのものに見えた。
「海も空も暗くなったけど、怖くないか?」
「ぇ……ぅん。ちょっと、怖い、ね」
耳を澄ませば、風の音と波の音が聞こえてくる。
「実は、ね……洞窟を出て、少しした後で、なんだか急に怖くなっちゃったの」
そう告白したミリィの隣の席へ腰を下ろす。
向かいではなく隣に座ったことで、ミリィが少しだけ緊張したのが分かった。
チラリと視線が俺に向く。
笑ってみせると、ほっと息を吐いて笑みを返してくれた。
「周りにね、何もなくて、すごく広くて、……もし、ミリィが海に落ちたら、きっともう一生、誰にも見つけてもらえないんだろうなって、なんでかそんな考えがふって思い浮かんじゃって……」
初めての場所。
初めての経験。
それが、不安な気持ちをかき立てる。
恐怖心というものは、ある時、なんでもない瞬間に湧き上がってくることがある。
絶叫マシーンが大好きだった人間が、休憩がてらに乗った観覧車で突然「落ちたらどうしよう?」という恐怖に襲われ、地面に降りるまで一秒たりともその恐怖から逃れられなかった――そんな話がある。
理由もなく、おそらく原因もなく、恐怖はある瞬間に突然人の心を支配して離さなくなる。
ミリィは、そんな通りすがりの恐怖に飲み込まれてしまったのかもしれない。
……その恐怖は、幼いころに片親、もしくは両方の親を失った経験のある者に起こりやすいらしい。
立証はされていないが、絶対的安全圏である両親という砦が脆くも瓦解した経験が、心の一部を脆くしてしまうのではないか――と、俺は思っている。
「でもね、みんなとお話してるうちに、どんどん平気になって、三十七区に降りた時に『あぁ、ちゃんと帰れるんだ』って納得できて、それから平気になったの」
「そうか」
えへへと笑うミリィの顔に、恐怖の片鱗は見られない。
自分で乗り越えたのだろう。
「レジーナの薬、いらなかったな」
「そんなことは……、なぃ、よ?」
薬をもらったことはナイショにしておきたかったようだ。
心配をかけまいとするミリィの配慮か。
「大丈夫だと思っても、念のためにもう一個薬をもらっとくといい。夜中にふと目が覚めた時、ミリィなら遠慮してレジーナを叩き起こすようなことはしないだろう?」
「……ぅん。じゃあ、ぁとでもらっておくね。……ぇへへ、ありがと、ね、てんとうむしさん」
「どういたしまして」
ミリィが笑顔になるなら、これくらい、いくらでも。
「どうしても怖くなったら、俺の部屋に飛び込んできていいからな」
「ひゅむっ!? ……そ、それは……むり……だと、思ぅ……」
「大丈夫。鍵は開けとく!」
「平気だもん! 同じ部屋にはなたりあさんもいるし!」
「じゃあ俺がミリィたちの部屋に飛び込んで――」
「だめぇ!」
大きな声を出した後、俺が笑っていることに気付いて、ミリィは眉根を寄せて不満顔を見せる。
「もぅ。あとでじねっとさんに言いつけちゃうから」
「あ~ぁ、今夜も懺悔かぁ」
「ふふ、もう、べてらんさん、だね」
「嬉しくねぇなぁ、その経験値」
出港前に懸念していた、海に対する恐怖心や船酔いによる体調不良は、今のところ大丈夫そうだ。
ナタリアやギルベルタは、きっと全員の様子を見てくれているだろうし、マーシャも気にかけてくれているだろう。
あとはロレッタとマグダにそれとなく頼んでおけば、体調や精神を乱した者がいたらすぐに救出することが出来る。
この船にはレジーナもいるし、給仕長が二人もいる。
そして、ジネットも。
どの方面からの不調であろうと、きっとケア出来る。
なら、俺も少しくらい羽目を外してもいいだろうか。
折角の楽しい夜だしな。
「おう、ヤシロ! お前もこっちに来て一緒に飲め! ミリィたんの独占は極刑だぞ!」
真っ赤な顔の割に意識のしっかりしているハビエルに誘われる。
だが。
「俺の故郷では、飲酒は二十歳からなんでな。まだ数年は飲めねぇよ」
「硬いこと言うなよぉ! この街じゃ飲酒は生後二ヶ月からOKだ! 乳離れより先に酒の味を覚えるベイビーだっているくらいだぞ、がっはっはっはっ!」
ま、それは冗談なんだろうけれど。
……けど、親が親なら、ないとは言い切れないよな。
飲み水が安全でなければ、薄い酒を飲ませることもあるかもしれないし。
「おっぱいで割ってくれるなら考えるよ」
「そりゃあ、あんま美味くねぇぞ、きっと」
味など二の次だ!
作る工程にこそ興味があるのだ!
ふんすっ!
「からくちいわし! 酌をせよ!」
あっという間に出来上がっているルシア。
こいつはソッコーで酔って、散々絡んで、翌朝一人だけ一切引き摺らない、飲みの相手をした者に恨まれる体質をしている。
「悪いな。俺はこれから船旅を満喫すると決めたんでな」
「なにぉ~! わぁしに酒が、飲ませられんというのかぁ!」
介護かよ。
酒くらい自分で飲め。
「その代わり、美味いツマミを作ってきてやる」
「ほぅ。からくちいわし自らがか。よろしぃ! 新作であれば許してやろう!」
どこまでも寛大、ではなく、尊大だな、こいつは。
「新作ねぇ……」
んじゃ、エビを使った美味いものを。
「ジネット、ちょっとツマミを作ってくる」
「あっ、わたしもお供します!」
「んじゃ、こっそりつまみ食いする権利をやろう」
「はぅっ……そ、それが目的だったわけでは……」
分かってる分かってる。
お前の作りたがりは、全員が知る特性だ。
「戻ったら俺もウェイターをやるよ」
「いえ、ヤシロさんは朝から働きづめでお疲れでしょうから、わたしたちで」
「いいや、俺がやりたいんだよ」
確かに、不測の事態に備えて気を張っていた部分はある。
でも、ここには頼れる連中が大勢いる。
俺が取りこぼした危機を、未然に防いでくれる連中だ。
だから、俺も少々羽目を外して、やりたいことをやってやろうじゃねぇか。
「船上陽だまり亭、特別オープンだな」
「はい。陽だまり亭全員で協力しましょう」
一歩退いて眺めているのもいいが、こうして交わってそのことだけに集中するのもまた、一興ってヤツだ。
カンパニュラが楽しみにしていたように、俺も、案外こいつらと働くのが好きなのかもしれない。
忙し過ぎると、ふざけんなって気持ちになるが、こういう場でなら――
「大失態をおかしても問題ないしな」
「危険を伴うような失敗でなければ、ですけどね」
「ハビエルに熱した木炭を投げつけるくらいはセーフだよな」
「ダメですよ」
「でも、あいつ強いから」
「ダメです」
働いている時でないとしないような、くだらない会話も、なかなか楽しいものだしな。
「ヤシロ~! あたしも何か手伝う~?」
「じゃあ、酒飲みの相手はプロに任せる!」
「は~い! 任せといて~!」
パウラも働きたくなったようだ。
そうなんだよ。見てるとちょっと羨ましくなるんだよな。
はは、俺もしっかり陽だまり亭ナイズされてるわ。
「それで、何を作るんですか?」
「ガーリックシュリンプとかどうだ?」
「わぁ、お酒に合いそうですね。ガーリックの他にはオリーブオイルですか?」
「あとはバターだな」
「絶対美味しいですね」
「鶏ガラのスープでもあれば、面白い風味を出せるんだが」
「さすがにスープはないですね。あ、ではコショウにハーブを混ぜて――」
そんな話をしながら、勘と経験を頼りに創作料理を作る。
そんな時間が、やっぱ楽しかった。
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