301話 ルピナスの想い -3-

「あともう少し話を聞かせてもらってもいいか?」


 足つぼが終わったので、座りながら肩回りから背中にかけてのマッサージを行いながら尋ねる。


「あぁ~、気持ちいい……、君うまいねぇ。これだけよくしてくれるなら、なんだって答えてあげるわ」


 ネコがノドを鳴らすように満足げな声でルピナスは言う。


「あ、でも。聞いているわよ。君、結構エッチらしいわね? あらかじめ言っておくけれど、私のスリーサイズは教えられないわよ」


 黙れ、Bカップ。

 お前のスリーサイズなど、一目見たその瞬間に把握済みだわ。

 なんなら、足のサイズまで分かっちゃったもんね。

 ……だというのに、ちーっとも嬉しくない。


「ダメよ、若いうちからエッチなのは」

「ジジイになってからエロに目覚める方が厄介だろうが」

「あっはっはっ! それもそうね。あはは、面白いこと言うわね、君」


 還暦を機にハッスルし始めるジジイでも思い浮かべたのか、ルピナスが肩をがくがく震わせて笑う。

 えぇい、笑うな。マッサージしにくい。


「気に入ったわ、君なら、私に対する無礼を大目に見てあげられそうよ」

「呼び捨てとか、タメ口をか?」

「そうそう」

「大目に見られなかったらどうなるんだ?」

「洗うわ」

「それ全区の川漁ギルド共通の言葉なの!?」


 もしかしたら『強制翻訳魔法』がふざけてやがるのかもしれないけどな。

 あぁ、なんかそんな気がしてきた。……ったく、これだから精霊神は。


「まぁ、面白いだけじゃないんだけどね」


 体を前に倒しつつ「背中を押せ」と言わんばかりの体勢でルピナスは言う。


「獣人族だっけ? 好きよ、そういう考え方。特に、ウチは亭主がそうだからさ、ルシア様に話を聞いた時は、ちょっと感動しちゃったわ」


 三十五区では『亜人』と呼ばれていたんだもんな。


「獣人族と結婚することに抵抗はなかったのか?」


 ルピナスは、自分で出て行ったとはいえ元貴族だ。

 貴族は、基本的に獣人族――亜人を見下している。


「全然よ」


 もたらされた返答はとても穏やかな声で、そこに深い愛情を感じられた。


「だって、運命だったのだもの」


 それから、ルピナスは自分とタイタの馴れ初めを語り始めた。


「行く当てもなく家を飛び出して、これからどうしようかって街をぶらついていたら、川で男の子が溺れていたのよ」

「それがタイタだったのか?」

「そう。まだ六歳でね、お義父様のお仕事について、初めて川に来た時だったそうよ」


 川遊びではなく、川漁ギルドが仕事をする場所へ初めて連れてきてもらった日だったそうだ。

 ほんの一瞬目を離した隙に、タイタは川で流され、あっという間に親から引き離された。


「私は、たまたま橋の上にいて、これは危険だと思ったから飛び込んだのよ」

「お前の方がよっぽど危険だよ……」


 家を飛び出した直後のお嬢様なら、着ていたのはドレスだろうし……下手したら二次被害が起きていたぞ。


「平気よ。泳ぎは得意だったし、ドレスは飛び込む前に脱ぎ捨てたし」

「天下の往来で、領主一族の令嬢が何やってんだよ……」

「縁を切った直後だったしね。むしろ『これでもう引き留められることもないだろう』くらいのことを考えていたわ」


 とんでもないお転婆だな。


 そうして、川に飛び込んだルピナスは溺れるタイタを救出する。

 当然、タイタの父親はルピナスに心から感謝した。

 ドレスを見れば、どの程度の身分の人間なのか理解できる。

 そんな貴族のお嬢様が、往来で下着姿をさらしてまで息子を救ってくれたのだ。

 父親の感謝は、言葉では言い尽くせないほどだっただろう。


「私はね、子供の命が救われてよかったって、それだけだったのよ。なのにお義父様がね『嫁に行けなくなったら自分の責任だ』って重く受け止めちゃってさ」


 そりゃそうだろう。


「もともと嫁に行く気なんかなかったのよ。オルキオ先生に失恋したばっかりだったし」

「ばっかりって……結構前から分かってたことだろう?」

「……やっぱり知ってたのね」

「……まぁ、シラハからな」


 ルピナスの想いは、きっと一部の者しか知らない。

 俺がその一部に含まれていることには、少々疑問を抱くけどな。


「でも、結婚っていうのは、やっぱり決定的なものよ。あ、でも、心から祝福したわ、あの頃も、今だって」


 オルキオはルピナスにとって特別な存在。それに変わりはない。

 だが、特別な人は、何も一人でなければいけないわけじゃない。

 ルピナスは、その時すでに運命の出会いを遂げていたのだ。


「そうしたら、腕の中でびーびー泣いてた男の子がね、『じゃあ、ぼくがおねえさんをおよめさんにもらってあげる』って」


 当時を思い出し、ルピナスがくすくすと笑う。

 相当可愛かったのだろう。ルピナスの笑う声は、まるで花が咲いているように華やかだった。


「それはそれとして、川漁ギルドに置いてもらうことになって、タイタもどんどん大きくなって、いつか私のことになんか興味をなくすだろうと思っていたんだけれど、全然そんな素振りもなくてね……ずっと、ずぅ~っと一途に想ってくれて……、四十二区に修行に行っている時も、毎日手紙をくれて……それで、一人前になって戻ってきた時に結婚したのさ」


 えへへと笑ってこちらを向いたルピナスの顔は、真っ赤に茹で上がっていた。

 相当嬉しかったらしいな。顔にそう書いてある。


「随分と若い男をモノにしたな」

「まぁ、ほら、一つ年上の女房は金の草鞋を履いてでも探せって言うしね」

「……一つ年上?」


 お前がウィシャート家を飛び出したのは十五だよな? 

 その時出会ったタイタは六歳だよな?

 ……一つ年上?


「ちょっと年下だけど、頼り甲斐はあるし、背も私より高いし」

「ちょっと年下?」

「まぁ、この年齢になると、一歳二歳なんて誤差よ、誤差」

「一歳二歳?」

「……これ以上その話題に触れると、くるぶしをへこませるわよ?」


 怖っ!?

 くるぶしにクレーターが出来ては敵わないので黙ることにしよう。


「本当は、すぐにでも子供が欲しかったんだけど、お義父様が倒れられて、ウチの人がギルド長を引き継ぐ際にもちょっと内輪で揉めて、子供が生まれたのは随分と遅くなってからなのよ」

「今、いくつなんだ?」

「今年で九歳になるわ。私に似て美人よ」

「ほぅ。なら、十五歳から二十歳くらいまでのロリコン貴族に気を付けるんだな」


 俺の知り合いだけでも、その年齢がストライクゾーンな危険人物が結構いる。


「子供が生まれて、何もかもが初めてで、あの時はさすがに私もいっぱいいっぱいだったわ。落ち着いたのは最近になってようやく」

「まぁ、そんなもんだろう」


 誰だって、最初は未経験なんだ。

 親だってガキと一緒に成長して、徐々に親になっていくもんなんだと思うぞ。

 親になったことがない俺は、今でも全然ガキのままだしな、精神面が。


「でも、そのせいであの娘をほったらかしにしてしまってさ……」

「デリアのことか?」

「えぇ、そう。本当はもっと気にかけてあげたかったのよ。なのに、一番大変な時に、そばにいてあげられなくてさ」


 声のトーンが沈み、ルピナスが、まるで懺悔をするかのように苦しそうに言葉を吐き出していく。


「四十二区であんなことがあったでしょう? 親方さんも、あんな若くにさ……」


 あんなことというのは、湿地帯の大病のことだろう。

 その時の流行り病で、デリアの父親は亡くなっている。


「デリアのことは心配だった……けれど、私は……怖くなってしまった。亭主と幼い子供がいて、大切な者が出来て……自分の命が惜しくなったのよ。娘が大人になるまで、ちゃんと母親としてそばにいてやりたいって……デリアが父親を亡くして、それで余計にそんな風に……」


 それは、まさしく懺悔だった。

 ルピナスは、きっとずっとそのことを負い目に感じ、苦しんできたのだろう。

 自分自身と、自分の家族を優先させるのは当然のことだ。

 でも、そう簡単には割り切れない。


 自分を許すってのは、難しいものだからな。


 けど……そうか。


 デリアにも、ちゃんといたんだな、こういう相手が。

 デリアが独り立ちするまで――もしかしたらした後も――支えてくれたのはこの夫婦だったのだろう。

 ちょいちょい話には出て来てたもんな、親父さんの弟子が三十五区で川漁ギルドをやっているって。


 パウラは父親が、ミリィは生花ギルドのギルド長がそばにいてくれた。

 でも、デリアにはそういう頼れる大人がいなかったんじゃないかと思っていた。


 よかった。

 デリアにも、ちゃんと心配してくれるヤツはいたんだ。


「俺がこんなことを言うのはお門違いかもしれんが――」


 ルピナスの背を押し、後頭部に言葉を落とす。


「――ありがとな。デリアが今、あれだけ楽しそうに生きているのは、きっとあんたたちがいてくれたからだ」


 俺は何度もデリアに助けられた。

 ルピナスたちがデリアを見守ってくれてなきゃ、デリアは今みたいな性格には育ってなかったかもしれない。

 あんなにまっすぐで、誰に対しても親切で。


 だから、なんとなく礼を言っておきたかった。

 間接的に、助けられたような気がして。


「……私も、お門違いかもしれないけどさ」


 ぐすっと、洟を啜ってルピナスはつぶやく。


「あの娘のこと、守ってやってね」



 それは、母親からの言葉のように感じられた。






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