301話 ルピナスの想い -2-

 ルピナスの足の裏は、連日の立ち仕事の過酷さをしっかりと物語るような分厚さだった。


「ん……あはぁ、気持ちいいわねぇ」


 コリが溜まっている部分をゆっくり揉みほぐしてやると、ルピナスは気持ちよさそうな息を漏らして、うっとりとした表情を見せた。

 本当にお疲れな様子だ。


「でも、こんなので大騒ぎしていたのかしら、あの人? ふふっ、デリアに『大袈裟』なんて言っておきながら、自分が大袈裟なんだから」

「まぁ、向こうはカムフラージュのために声が漏れやすい設計にしてあるからな」


 向こうからの声がばんばん漏れ聞こえてくれば、こちらも同じ構造だと思うだろう。

 まさか、こっちだけことさら防音にこだわった設計になっているとはさすがに思うまい。

 静かなのは、せいぜい「女性客が恥ずかしがって吐息を我慢してるんだろうな」くらいにしか思われないだろう。


「それにしても、『これはムリー!』は言い過ぎよねぇ」

「それじゃあ、レベルMAXで押してやろうか?」


 ころころと笑うルピナスに言ってやると、「へぇ? 手加減しているとでも言いたそうね?」と、挑戦的な視線を向けられた。

 手加減しまくりだっつーの。

 お前が一番痛がる場所も、すでに把握している。


「それじゃあ、一度全力でやってもらおうかしら?」

「じゃあ、遠慮なく。――ほい」

「んならぁぁああっ!」

「危ねっ!?」


 蹴りが飛んできた!

 今、確実にとどめ刺しに来たろ、お前ぇ!?


「冗談じゃないわよ!? 取れるかと思ったわ!」

「だから言ってんだろうが、冗談でも大袈裟でもなく全力は痛いって!」

「じゃあこれから先はずっと優しくして! 乱暴は嫌いよ」

「どの口が言ってんだ!?」


 この数分でお前の乱暴な面、いくつ見てきたと思ってんだ!?


「……それで、隣で嬉々として大男たちを悶絶させている彼女は何者なの? 人畜無害みたいな顔をして、とんでもないドSね」

「ジネットをそんな風に評価したの、たぶんあんたが初めてだよ」


 まぁ、ファーストコンタクトが足つぼじゃあしょうがないか。


「あいつは、陽だまり亭の店長だよ」

「まぁ。じゃあ、オルキオ先生の恩人の娘さん?」

「知ってるんだな」

「えぇ。デリアにもらった手紙に近況も書かれていたからね。数十年ぶりに手紙をいただいて、嬉しかったわ。先生がお元気そうで……お噂を耳にしただけだったから」


 オルキオは、シラハと離れて暮らしている間、ルピナスに連絡をしなかったらしい。

 おそらく、自分がウィシャート家と関わることでシラハに累が及ぶことを恐れたのだろう。


「そこに書かれていたわ。先生の絶望を癒やしてくれた陽だまり亭という食堂のこと。先代の素晴らしい店長さんのことと、今代のとても可愛らしい店長さんのことが」


 にこりと笑って、ルピナスは隣の個室へ視線を向ける。



『あんぎゃるぴぎゃぁー!?』



 それと同時に響いてくる大男の絶叫。

 完全防音のこの室内まで入り込んでくるなんて、何デシベルの騒音だよ……


「……オルキオ先生、人を見る目がないのかしら?」

「そんなことないと思うぞ。ジネットは、足つぼさえなければ概ねその手紙通りの人物のはずだから」


 どんなことが書かれているのかは知らんが、ジネットを評する内容なんて誰もほとんど同じだろう。

 そして、裏表のないジネットは、だいたいその評価通りの人間で間違いない。



 ただ、足つぼさえなければ。



「あなたは、手紙にあった通りの人物だったわ」

「どんな悪口が書かれていたのやら」

「うふふ。確かに、オルキオ先生の人を見る目は健在なようね。的確な評価だったわ」


 俺の何を見てそう思ったのかは知らんが、その目は気に入らんな。

 親戚の子を見るような微笑ましい眼で俺を見るな。

 結構年上だろうが、そこそこエロい目で見られるこの俺を、侮るんじゃねぇぞ! 生足ぺろりんちょしてやろうか?


「それで、何を聞きたいのかしら?」

「逆に、何を話せば俺たちの益になると思う?」


 質問に質問で返せば、ルピナスは目を丸くして「ぷはっ」っと吹き出した。


「ホント、先生の言う通りだわ」


 だから、なんて書いてあったんだよ。

 ……今度オルキオに問い質してやる。

 どいつもこいつも、俺のことをなんでもお見通しみたいに言いやがって。


「そうね。おそらく直接的に有益な話は出来ないと思うわ」

「ウィシャート家と敵対しないために、か?」

「そうじゃなくてね、何も知らないのよ。本家には応接室しか入ったことがないもの」

「女だから、だな?」

「そうよ。……ふざけた話よね。私、本家の図書室に入りたかったのに。読書が好きなのよ、私は。デイグレアなんて、絵本にすら興味を持たない子だったらしいのにさ」

「バカなんだな」

「興味がない物にはとことん興味がない子だったのね。……ただ、興味があるものへの執着は恐ろしいほどよ」


 そんなエピソードの一つとして、ルピナスはこんな話を聞かせてくれた。


 行儀見習いに出された後も、ウィシャート家にはルピナスの居場所はあった。

 本館の奥へは入れなくとも、正妻の娘、それも長女なのだから当然ではあるが、ルピナスの部屋は維持され、ルピナスの部屋を守る専属の側仕えも館に滞在し続けていた。


「あの子は、それが嫌だったのでしょうね」


 ルピナスが寂しそうにつぶやく。


「あの子が生まれた時、私はすでに行儀見習いに出されていた。あの子にとっては会ったこともない見ず知らずの他人みたいなもんだったんでしょうね」


 そんな他人の居場所が、自分の住む館の中に存在している。

 そして、正妻の第一子であるルピナスの扱いは相応によいものだったはずだ。


「十四歳になる年の初めに、私は一度館へ戻ったのよ。成人を目前に、結婚を視野に入れた話し合いをするために」


 要するに、オルキオを篭絡できそうかどうかの確認か。

 まぁ、結果は無理だったんだけどな。じゃー仕方ないなで終わらないのが貴族だからなぁ。


「その時、はじめて弟に会ったのよ。五歳になる弟は無邪気で可愛くて、私に懐いてくれたわ。とても可愛いと思ったの」


 この街の考え方だと、年が明けると全員一斉に歳を取る。

 五歳になりたてってのは、まだまだ幼い時期だ。


「ぴったりくっついて離れず、夜も『姉様と一緒に寝る』と甘えてきて……」


 普通に聞けば微笑ましい内容なのだが、ルピナスの表情は硬い。

 微かな恐怖すら感じさせる。


「私より先にベッドへ飛び込んだデイグレアは、枕に仕掛けられていた毒の粉を思いっきり吸い込んで、三日間生死の境をさまよったわ」

「……毒?」

「えぇ。ひそかに私に恨みを抱いていた側仕えが犯人として捕らえられ、追放されたわ」


 追放――で、済むはずがない。

 だが、それは今はどうでもいい。

 ルピナスの表情が、悲愴感に染まる。


「その側仕えは、私が最も信頼し、留守の間私の私室の管理を任せていた者だったの」


 そいつが裏切って毒を――なんて話ではない。

 これは……


「信じられなかったわ。まさか……五歳の子が、そこまで的確にこちらの弱点を見抜いて攻撃を仕掛けてくるなんて、思わなかったもの」


 その側仕えは、本当に信頼されていた有能な側仕えだったのだろう。

 女性を軽んじ、館から追い出すような家風の中、それでも主であるルピナスの居場所を守り続けた有能な側仕え。

 それが、デイグレアにとっては邪魔だったのだ。


 女は要職には就けない。

 そんな家風のウィシャート家といえど、利益には敏い連中だ。

 ルピナスが有用だと分かれば、領主とは言わないまでも相応に重要なポジションに据えるかもしれない。


 それが、デイグレアは許せなかったのだろう。


「五歳の子が企てなどするはずもない。五歳の子が狂言で人を陥れるはずがない。何より――自分で自分を死の狭間に追いやるような五歳児などいるはずがない。誰もがそう思い、デイグレアの主張は一方的に信用されたわ」


 側仕えの言い分は一切聞き入れられずに――というわけだ。


「私は、館に残っていた私付きの側仕えを全員解雇し、私の私室を放棄したわ。表向きは、恐ろしい事件が起こった部屋にはもういられないから――」


 だが、本心では側仕えたちを守りたかったのだろう。

 あの館でルピナス側につく者は、デイグレアに排除される。

 それが明確になったのだから。


「奇しくも、その年にオルキオ先生の廃嫡が決まり、私も貴族をやめるって絶縁状を実家に送りつけることになったんだけどね」


 それをもって、ルピナスは正式にウィシャート家と縁を切った。

 デイグレアの標的から外れた、とも言える。


「あの子はね、『自分』と『それ以外』でしか物事が考えられないのだわ、きっと。他人も家族も関係ない。忠臣も一般人も等しく『それ以外』なのよ。誰のことも信用なんかしちゃいない。……ホント、デイグレアは『最もウィシャート家に相応しい男』だわ」


 狡猾で用心深く、容赦がない。

 そもそも、他人に対する情というものがないのだろう。


 他人の痛みに鈍感なヤツは、人間とは思えないような残酷な行動を平気な顔でやってのける。

 恩人に刃を突き立てることにも、幼いガキを嬲ることにも痛痒を感じない。


 そういう人間に、正攻法は通用しない。

 そもそもの価値観が異なるのだ。


 無人島に流され、手元にはパンが一つ。

 半分こしようとパンを千切る男を背後から襲い、そのパンを独り占めするのがデイグレアという男だ。


『自分』と『それ以外』。

 ヤツの中には『自分』以外に大切なものはないのかもしれない。

『それ以外』はすべて、『自分』を満たすための道具としてしか見ていない。

 そんな男のようだ。


「私も、幼いころはウィシャート家に認めてもらおうと努力したのよ。だから強くなった。力も、精神的にも。でも、それが間違いだった」


 ルピナスが物悲しげな瞳で言う。


「ウィシャート家に求められるのは、どこまでも臆病な者。挑戦や冒険をするような人間は、却って邪魔なのよ」

「改革は、過去の否定でもあるからな」

「そうね。たとえその結果が素晴らしいものだと約束されていたとしても、現状に固執するのがウィシャート家よ。過去の栄光、成功例が、あの家の宝なの」


 今の地位に固執し、死守する。

 そんな臆病者こそがウィシャート家には相応しいとされる。


 新たなことを始めれば、そこからほころびが生まれるからな。


「だから、ごめんなさいね。現状は分からないのよ。親族ですらなくなった私にはね」

「いや、参考になったよ。ありがとな」


 礼を言うと、ルピナスは黙り、静かな瞳で俺を見た。


「……潰すの?」


 ウィシャート家を。という質問だろう。

 そいつはまだ分からない。

 可能であれば、残しておいた方が摩擦は少ないだろう。


 だが――


「必要があればな」


 向こうから摩擦を起こしてくるなら、対処はしなければいけなくなる。

 俺もデイグレアに似ている部分が少しだけあるんだ。


『俺たち以外』には、結構冷徹だったりするからな、俺は。






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