第9話「次の日(1)」

 意識が覚醒してくると、周囲には山に行った時のような匂いがしていた。自然の匂いだ。


 そこで確信を持って目を開けると、木々の間からやわらかな光が差し込んでいた。

 横に近い方向からの光なので、まだ日が昇ってそれほど経っていないと見当をつける。


 大きな木の幹のそばで寝ていたが、オレが寝る時そばの焚き火の番をしていたハルカさんの姿はなかった。

 彼女の事が妄想だったと愕然としそうになって、思わずその場で立ち上がる。


「っ! イッテー! ……って痛くない」


 立った途端、頭頂部に衝撃が走った。反射的にしゃがみこんで頭を押さえてしまう。

 しかし、別に痛みはなかった。「ゴンっ!」と大きな衝撃があって頭がガクッときたので、条件反射で叫んで動いてしまっただけだ。

 とはいえ、ぶつけた場所には小さなコブができそうな気配だ。


 上を向くと、低い位置に太い木の枝がちょうど真上にあったが、それよりも少し向こうで人が走る音が聞こえたのでそちらに関心が向いた。


 そのままぶつけた場所を習慣的に手でなでつつ目を向けると、呆れた風な表情を浮かべるハルカさんが少し離れた場所からこっちに近づいてくるところだった。

 オレを見た途端、歩みも緩やかになっている。


「……何しているの?」


 彼女のジト目な視線が痛い。


「い、いや、ホラ、現実とこっちの違いに頭がまだ追いついてなくて」


「自分の家で目が覚めたとでも思ったわけ?」


「そうそう」


「まあ、あるある話の一つね。けど、慌てすぎ。こっちではもう目覚めないかも、とか焦った?……けど、良かった」


 本当はハルカさんが目の前にいないことに焦ったのだけど、取りあえず照れ隠しもかねて頭をさすりながら苦笑いを返答とした。

 そして言葉の最後で一転穏やかな表情とった彼女の言葉に、そのまま首をかしげる仕草をしてみる。


「治癒の経過が良いから、とか?」


「ううん、違うわ。昨日一日で、こっちが嫌になるんじゃないかと思ったから」


「ハルカさんがいるのに、そんな訳ないだろ」


「そりゃどうも。けどね、実際に魔物と戦ってみて怖じ気づく人は多いのよ」


 オレの言葉に彼女は少し寂しげに返す。


「確かに怖かったけど、それよりもやっと冒険が始まることの方が大きいな」


「そう、良かった。じゃあ、チュートリアルしましょうか」


 取りあえず前向きに言ってみたオレの言葉の効果か、寂しげな口調は消えていた。


「ゲームじゃないんだし、昨日もいらないって言っただろ」


「けど、何も知らないんでしょ」


「……う、うん」


 いい笑顔に明るい口調で言われると、オレも少しの躊躇の後に肯定せざるをえない。ネット上で碌な情報がない事も、オレ以上に理解してる顔だ。

 そこで彼女が表情を変えて、静かな笑顔で返してきた。


「あ、そうだ、おかえりなさい」


「うん、ただいま。いや、おはようハルカさん」


「うん、おはようシュン君」


 彼女の少し嬉しそうな、安堵したような顔が印象的だった。



 そんな感じで、目覚めると俺にとっての『アナザー・スカイ』の二日目の朝だった。

 これで単なる夢ではないことが実証されたのだろうか。

 お約束もかねて、ほっぺたをつねってみる。


「何お約束な事してるの? さっき頭ぶつけても痛くなかったんでしょ」


「そういやそうだった」


 彼女の「何やってんの?」的な視線が少し痛い。


「それより朝ご飯作るから手伝って」


「了解。で、何するの? 水汲みや薪集め?」


「薪は昨日の夜の残りがあるから大丈夫かしら。水も今汲んできた。あれ? 手伝ってもらえる事ないかも」


 冗談めかしているので、ここは陰キャ脱却の為にも相応に道化を演じるべきだと感じた。


「えー、オレって役立たず?」


「まあ、そうでしょうね。こっちに来るようになって日の浅い人は、だいたい役立たずだし。それともアウトドアしてたり料理はできる?」


 その言葉に、虚しく首を横に振るしかない。


「そっ。じゃあ、覚える前提で見ておいて」


「ご教授お願いします」


 そして主に調理過程の解説をしつつ、彼女はてきぱきと朝食の準備を進める。既に消えた焚き火を再び起こして鍋をかける。


 そして鍋にバターか油の塊を入れ、溶けると次はオニオンを投入。いい匂いがしてくると、予め切っておいた結構な量の保存肉をくわえる。見た目はベーコンっぽい。

 その後で水を入れて沸かして、野菜、豆、その辺で採ってきた野草を入れ、塩やハーブなどで味を整える。


 昨日の夜も作った野外で作るシチューで、いい匂いが周囲に広がる。

 かなりの分量で二人分には見えない。

 それ以前のオレ的大問題として、昨日の夜に続いて美少女の手料理だ。

 これだけで十分に特別で贅沢すぎるというものだ。


 もっとも、完成したのは何だかよくわからない具沢山スープもしくはシチューだ。

 それを器に入れて、黒パンらしいボソボソでカチカチのパンをスープに浸しながら食べる。

 あとは乾燥させた果物が少し食後についた。


 庶民の食事と比べると、かなりの量の肉が入るので贅沢らしい。それに量はたっぷりとあった。


(一人用としては大きな鍋だけど、普段はどうしているんだろう?)


 思わずそんな疑問を感じてしまう。


 なお、肉は干し肉などの保存肉が一般的で、現代社会では当たり前の生肉は、その場で動物を捌いた時くらいにしか食べる機会は少ない。

 それでも、魔法で凍らせて持ち歩く金持ちや猛者もいるらしいが、普通は移動中に食べるには獲物を仕留めるしか手はない。

 それ以前に十分な量の肉は、庶民だと特別な日にしか食べられないらしい。


 庶民の主なタンパク源は豆類となる。だから麦のおかゆか、ボソボソでカチカチのパンに、豆入りの塩スープが普段の食事になる。

 北の方や土地の貧しい地域だと、豆の代わりに荒れ地の草で育てた家畜の乳製品の場合もあるらしい。


 しかもパンやスープに入れる塩ですら、塩そのものに多くの税がかかっていることもあって、庶民にとっては安くはないらしい。

 そんな事を食べながら軽くチュートリアルしてもらった。


 飲み物は、火を焚く場合は必ず沸かしたお湯を使う。白湯で飲むこともあるが、ハルカさんの場合はハーブティーだ。何かは分らないが、いい香りがする。

 酒も少量持っていたが度数の高いもので、治療の際の消毒か気付け薬として持っているだけだそうだ。料理酒替わりにも使うらしいけど。


「お、意外にいける」


「意外って何よ」


 少し不機嫌な声だ。これは即座に訂正しておかないといけない。マイマザーとのいつものやり取りで、このくらいの事はオレでも分かる。


「あ、ごめんごめん。けど、昨日はあんまり味とか楽しむ余裕なかったけど、予想していたよりずっと美味しいよ。ハーブ? も、いいアクセントになってるし」


「はいはい。ありがとう」


 あまり相手にされていないが、不機嫌な感じは消えていた。


「昨日の夜もそうだったけど、すごく慣れてるな」


「まあね。旅してることが多いから」


「一人で?」


「一人は流石に少ないわね。最近だと、たいていは同僚や従者と一緒ね」


「仲間、じゃないんだな」


 オレの言葉に彼女は首を横に振る。


「私、けっこう治癒魔法が使えるから、こっちの世界の組織に籍を置いているの」


「治癒職でしかもあれだけ戦えれば、『ダブル』の間でも引っ張りダコじゃないのか?」


「まあ、ね。……けど正直ウザイから、冒険好きの『ダブル』からは距離おいてるのよ」


 オレのもっともな疑問に対して言葉を濁しているが、気持ちのいい話ではないから積極的に話したくもないのだろう。


「便利に使われたくないから?」


「そんなところ。癒したって、お礼より文句の方が多いし」


 まとめサイトにも書かれていた事は、一部は事実だったらしい。


 治癒職は意外に希少なのに、治癒職は戦わずに治すだけ、治癒職だから治して当たり前とか思われる、というやつだ。痛みを感じない弊害らしい。

 そして居たら便利なので酷使されて嫌気が指す人が多いらしい。

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