第三十話 式神

 それで思い出したのだから、開口一番、ぼくに適した言葉選びだった。

 彼女もまた、同じような白紙を、何百、何千枚と持っていて、得意の術だと語った。


『あの人に教わりましたから……。遅ればせながら、お世話になりました……ひつぎ』


 ぼくはなにもしていないけど、と返したけど、お礼を言う相手がこの世にいなければ伝えられない。

 幽霊として彷徨っていない以上、もう成仏してしまったのだろう。


 だからぼくに伝えたのだ。


『たとえあなたが原因でも、恨みはしませんよ――もう、気にしていませんから』


 ……耳の痛い話だった。


『あの人は、守りたいものを守り抜いて死んだのですから。この世から消えることで意志を残すことを選んだのも、あの人の自由ですし……ただ、作動しないことを願いますけどね。それでも現れた時に、私の言葉を伝えてくれればと思います』


 分かった。

 その時、彼女にぼくはそう答えた。


「……伝えなくちゃ、いけないんです」


 仮に彼女からの伝言がなくても、ぼくは自分の気持ちに正直に、会いにいったはずだ。


「ぼくも――ぼくだって、言いたいことが山ほどあるんだッ!!」


 母さんの手を振り払って、駆け出す。

 吸い寄せられるように地面を這う白紙を追いかけて――あの人の背中に届いた。



「――父さん!!」



 


 そう理解していても、半分以上が欠けた背中には、やはり見覚えがあって……。

 振り向いたあの人が返してくれた声に、作りものであることを忘れてしまう。


「ひつぎ……、大きくなったなあ!」


 その時、父さんの背後に迫る――オウガがいた。


「ッ、父さ」

「君もせっかちだな」


 体を捻ったものの、父さんの体を作る白紙が、拳に数十枚と持っていかれていた。

 だが、足下に集まっていた白紙がすぐに欠けた部分を補っていた。

 削られた肩に白紙が集まって、父さんの体を修復していく。


 これなら、父さんがやられることは、ないんじゃないか……?


「そう上手い話でもないんだよ、ひつぎ」

「ちっ、相変わらず式神はめんどうだ……ッ!」


 めんどうであるなら、破壊することは不可能ではない……?


 欠けた部分を補うために、白紙は吹き飛ばされても戻ってくる。

 そこには仕方のないタイムラグが生じる。

 修復される前に、ただでさえ脆い体を全て崩してしまえば、父さんの機能は停止する……、


「正解だ、ひつぎ。賢いなあお前は」


 そう言って、ぼくの頭を撫でようとしたが、伸ばした手は欠けていた。


「慣れないなあこれ……って当たり前か。式神として現世に出るのは初めてだからな」

「父さん……。話したいことが、山ほどあるんだよ……!」

「そんな時間はない。それに、話したいことなんて俺にはない」


 突き放した言い方に、二の句が接げなくなった。

 今のぼくの顔は、くしゃくしゃに歪んでいるだろう自覚があった。


「そんな顔すんなって。たとえ圧倒的に不利な状況でも、男は胸を張って自信を持っていればいい。自分がどれだけ弱くても、それで誤解をしてくれる相手はいるものだ」


 実体験なのか、言葉に説得力があった。


「俺は母さんに守られてばかりだった。母さんは、あれで昔はヤンキーだったんだぜ?」


 知ってる。

 母さんをよく知る人から、全部聞いた。


 ……父さんが、どうしてぼくが幼い頃に、命を落としたのかも。

 そして、母さんがぼくのために、自分を犠牲にしていたことも。


「守られることが当たり前だと思っているなら……違うぞ、ひつぎ。適材適所、一長一短って言うかもしれないが、男は、女を守るために生まれてきた生き物だ」


 でも、誤解をするなよ? と父さんが続ける。


「女性を下に見ているわけじゃない。母さんは当然、女性たちはみんな強い。守られる必要なんかないくらいに、俺たちよりも優秀だ。……それでもさ、格好良く守りたい……単純に自己満足のプライドでしかないけどさ――男に生まれたなら好きな子の一人、守ってやりたいと思わないか?」


「……たとえ、助けを求められていなくても……?」

「それは諦めろ。相手の迷惑になったら本末転倒だ」


 でも、


「『助けて』とさえ言えない状態だって分かって、その上で拒まれたなら、後はお前次第だ。助けたいなら、助けてしまえばいい。その後で、罵詈雑言を受け入れろ……なんだ、今のお前はそんなややこしい状態になってるのか?」


「いや……もっとシンプルだよ」


 助けて――、


 そう言われた。


「だったら、やることは一つだ」


 守ってやれ。


 父さんからの言葉だった。


 会話をしている内に、散っていた白紙が全て戻り、父さんの体を修復し終えた。

 その間、オウガがまったく攻撃してこなかったのが不気味だ。


 ぼくと父さんの会話を、気を遣って待ってくれていた……わけではないだろう。


「……次で決めるつもりかな……オウガ君」


 オウガがぼくを一瞥した後、視線が父さんに戻った。


「ああ、白紙を吹き飛ばしても交互に修復されちまうと手数が間に合わない。だから一旦リセットした。ここから連続であんたの体を破壊すれば、修復は間に合わないだろう」


「だろうね、君の身体能力なら可能だろうさ」


 余裕の態度を取る父さんには、打開策があるのだろうと思ったが……違う、なにもなくても堂々としているだけだった。


「……ぼくも」

「……死にかけた母さんを助けるために、俺は自分の意志を式神として残しておいた。

 それは彼女に、死に神を生み出させないためなんだ……」


 父さんが、加勢しようとしたぼくを止め、


「ここで俺がいなくなれば、母さんを守る盾は存在しない。次に出てくるのは間違いなく彼女の中に生まれるだろう死に神だ」


 父さんがぼくに任せたいことがなんなのか、言わずとも分かった。


「すぐに仲直りしておけよ。母さんはきっと気にしないでお前を抱きしめるかもしれないし、変わらず世話を焼くだろうけど、きちんとお前から謝るんだ。まあ、言わなくても、今のお前ならそうしないと、気持ち悪く感じるだろうけどさ」


 なんでもかんでも、お見通しみたいだ。


「――父さん……、ごめん!!」


 数秒、間抜けな顔をした父さんが、


「…………なんだよ、なんだ? 俺は謝られることなんてなにも――」

「ぼくのせいで、父さんは死んだんだろ……」


 幼い頃のぼくが引き寄せた悪霊から、父さんはぼくを守るために……、

 命を落とした――そう聞いている。


「そのことか。当たり前だろ、子供を守るのも、親であり、男の役目だ。

 母さんを残して先に逝くのは気がかりだが、安心もした。だってお前がいる」


「俺の代わりは、お前にしか務まらねえからな」


 ――そろそろ、時間だった。


 オウガが動き出す。

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