深紅の王立騎士団

 しかし。私はいつまでたってもぐしゃぐしゃに叩き潰されることはなかった。


 その代わり、ふわりっと身体が浮き上がり、固くて冷たい何かに抱きかかえられたと思いきや、すごいスピードで浮いたまま横へと移動する。


 ついさっき私がいた場所から、ズドン! っという、重たい鈍器が振り下ろされる低い音と振動が、浮いてても伝わってくる。私。もしかして、助かったの……?


「大丈夫か!?」


 初めて聞く男性の声に、遠ざかっていた意識が急速に、現実に引き戻される。私は慌てて、ぎゅっと閉じていたまぶたを開いて、


 ちょちょちょちょちょっ!? な、何これ、どうなってるの!?


 想像を絶する展開に、ぽかんとバカ口を開けて、その声の主を穴があくほど見つめてしまった。


 だって、だってね! 私、突然現れた真っ赤なプレートアーマーを着込んだ男性に抱きかかえられていたんだもの!


 呆然と見上げる私の目に、金の縁取りがされた凝った作りの鎧の胸のあたりに、太陽と百獣の王の印象があしらわれているのが映った。ってことは……この人は王立騎士団? 前、カフェを訪れた旅人さんから、王立の騎士団、ルビウス騎士団の団員は皆赤い鎧を身に纏っていると聞いたことがあったような……。


 そんなことをぐるぐる考えていると、私を抱えた騎士が、兜の面頬を片手で上げた。無機質な兜の中から現れたのは三十代くらいの大人の男性の顔。しかし。眉間にしわを寄せ、私を心配そうに伺うその顔は。


 こ! こここ、これは!! ヤバイ……か、かっこよすぎるぅぅうううう!!


 兜の隙間からのぞく、美しいプラチナブランドの短髪、二重で青く澄んで形のいいアーモンドアイ、通った鼻筋、薄く整った形のくちびる……ゆ、夢に出てきそうな美形の騎士様がぁ……!


 さっきまで恐怖で口から飛び出しそうになっていた心臓が、いつの間にか違うドキドキに変わって同じように私の胸を打ち始めた。こんな美形騎士に抱きかかえられるなんて現実ではありえない。


 私……やっぱり死んでるに違いない……。



「弓兵隊! 狙撃用意! 射て!!」


 完全に舞い上がった私になど目もくれず、騎士様は背後を振り返り、そう叫んだ。同時に私を抱え、金属製の鎧を着ているとは思えない身軽さで、その場からさらに飛びすさり距離を取る。その俊敏な動きに、バカな妄想は一瞬にして吹き飛び、私は転がり落ちないように反射的に彼の鎧にしがみついた。


 視界の端に、同じように赤く、こちらは赤い胸当てのみの軽装備をした兵士が十数名、一列に並び、弓を構え、一斉に放ったのが見えた。


 もちろん標的は、私を押し潰そうとした、あの黒い気味の悪い怪物!


 放たれた矢が風を切り、ひゅうっと音を立て、怪物の体の真ん中を射た。


 でもでも。素人目でもわかるけど、ヤツの身体は金属のような硬い物で出来ているようだ。とてもじゃないけど、普通の矢じりが通るようには思えない。大丈夫かな……という私の心配は、次の瞬間、全く不要だったと思い知らされる。


 矢は怪物の胴体に当たると、赤い小さな火花を上げ、すさまじい爆発音と共に、怪物の体粉々に爆破したのだ!


 次々と着弾し、身体を砕かれていく化け物。どうやら矢じりに火薬が仕込まれていたらしい。夜の闇を赤赤と照らし、ごうごうと燃えさかる炎と、破壊の限りを尽くす爆発に、私はたまらず両手で白い耳を塞いだ。


 怪物に感覚があるかどうか分からない。けどまとわりつく炎を振り払うかのように、その長い腕を振り回しもがいている。しかし今の爆撃で肩口の辺りもすでに破壊され、うまく腕が動かない。


 弓兵の前で待機していた剣兵ニ名が進み出る。黒光りする段平の大剣を抱え、奴に全速力で駆け寄った。なんて速さだろう。相当な重量のアーマーを着ているはずのに。彼らはばね仕掛けの人形のように炎を飛び越こえ、怪物の目前で高くジャンプし、宙で一回転した。そのまま怪物の肩口に、渾身の一撃を振り下ろす……!


 両腕を落とされ、足も無い怪物は文字通り手も足も出なくなってしまった。ただ頭の上の黒い球をぐるぐるとすごい速さで回転させている。その様子が苦しみに悶えているようで。私は命を奪われそうになったことも忘れ、なぜだか目をそらしてしまった。


「自力で立てるか?」


 私を抱えていた美形騎士がそう尋ねる。よろめきながらも、私はうなずいて自分の足で立った。美形騎士は自らの背から剣を抜いた。先ほどの剣兵と同じ。段平の黒光りする大剣。柄にはやはり金で王都の紋章が刻まれている。


「アイシクル・カタラクト!!」


 美形騎士が怪物の目の前で片手を上げ、高らかに呪文を唱えた。


 急に辺りが寒くなり、冷たい冷気と共に騎士の身体を囲むように現れた氷の刃が、彼が腕を振り下ろすとともに、怪物に次々と襲い掛かる。連続して怪物を貫く氷の刃は、燃え盛っていた炎を真っ白な煙を上げかき消し、怪物の身体を足元から凍らせ始めた。


 あれよあれよという間に、目の前には大きな氷の彫像が出来上がっていく……。そして最後ドウッと音を立て、怪物はその場に倒れこんだ。


 砕け散った氷が白い霧となり辺りに舞っている。


 美形の騎士様は、霞の中、ゆっくりと彫像のある頭部に歩み寄る。その前で立ち止まると、無表情のまま剣を高く掲げて、一息に振り下ろした。


 固いものが砕け散る無機質な音が、辺りに響く。


 怪物は倒されたんだ、ということが分かった。私。いや、私たちは助かったんだ……!


 でも……なんなんだろう。この胸にこみあげる、むなしい気持ち。


「君、怪我はないか? すまない。森林で追い詰めて討伐するはずが、草原へ取り逃がしてしまったのだ。何の関係もない君たちには非常に申し訳ないことをした」


 美形の騎士に声をかけられ、私は全身の力という力が抜けその場に座り込んでしまった。


「どうした? 立てないのか? 大丈夫だもう心配はいらない」


 座り込んだ私の足元に、鳥の羽が落ちている。あの鳥も、馬も。そしてそれらの命を奪ったとはいえ例の怪物も。目の前でなぶられるように殺されてしまった。


 なぜだろう。なんだかとっても……むなしい気持ち。


「いえ、あの。なんだか、馬も、小鳥も、怪物も……みんなかわいそうで」


 なんだか馬車で襲われたところから、今までのことすべてが夢のような気がして、私は呆然とそうこぼしてしまったのだけれど。


「なに?!」


 先ほどの物腰とはうって変わり、同一人物とは思えぬ声でなじられ、私は弾かれたように顔を上げた。


「あれは我々ネオテールを殺す残虐非道な悪魔だ! 蘇りし悪魔の眷族共。奴らに滅ぼされた村、町、無残に命を奪われた者がどれだけいるか。君も殺されかけたのだぞ!? 奴らに同情するなど」


「す、すみません!」


 その剣幕に驚き、頭を下げて謝った。騎士さんはきっと数多くの仕事の中で、私の知らないような壮絶な現場を何度も目にして来たのだろう。軽率で悪いことを言ってしまった……きちんと謝らないとと、口を開いたその時。


「アーミー!」「ラーテルさん!?」


 突然、走り寄ってきた黒い人影に思い切り抱きつかれ、私はよろけて、尻もちをついた。彼女の手からものすごい重量のトンカチのような形の武器が落ち、ドスンとこれまたすごい音を立てる。


 こ、これ、ラーテルさんの武器なの……?


「ああ、なんてことを。よかった。無事で。よかった……」


 私の首に抱きつくラーテルさんの顔はわからない。けれどもしかして。泣いてる? そういえば! 私はとっても大切なことを思い出した。彼女に渡さないといけないものがあるんだった。


 今の今まで左手に強く握りしめていたもの。握り締めすぎてだいぶ折れてしまったけど、大丈夫。切れたり破れたりはしていないみたい。


「あの、これ」


 私は一度、ラーテルさんから離れ、手にしていた冊子を手渡した。


「ごめんなさい。握りつぶしちゃったけど、破れたりはしてないから」


 ラーテルさんは私の手から冊子を受け取り、その表紙をさっきと、同じように指でなでる。あふれた涙がポロポロと、頬をつたい落ちる。冊子を胸に抱きしめ。そして。私はもう一彼女に強く抱きしめられた。


「アーミー……ああ! ありがとうございます! でも……もう、あのような危険なマネは。やめてください!」


 ラーテルさん。会ってからそんなに経ってないのに、すごく心配してくれていたんだ。そう気付くとなんだか、じーんと胸が熱くなってしまう。って、あれ?  背中も熱い。っていうか背中がものすごい柔らかい。ナニコレ!? もしかして、胸!?


「ボクも! アーミー死んじゃったと思ったんだ。ボク、自分のことばっかりで、助けることもできなくて。ごめんねぇ、ごめんね、アーミーぃいい」


 ってレト! レトもそんなに心配してくれていたなんて。でも……。私はこの前のスーザンのことを思い出して、チクリと胸が痛んだ。そういえば私の魔法のこと、みんなに知られちゃったんだよね。


「でも私、あの。変な魔法使っちゃって。気味が悪いよね。それに怪物を倒せたのは騎士団の皆さんのおかげだもの。私、あまり役に立ってないし……」


「そんなこと関係ありません!」


 ラーテルさんの凜とした声が、私の言葉をさえぎった。


「あなたは私の大切なものを、命をかけて守ろうとしてくれた。私にとってあなたは……勇者そのものです」


 拒絶されなかった……。そのうれしさと、ラーテルさん、そしてレトの優しい気持ちが伝わってきて、いろいろなことで緊張した気持ちが、一気に解けていく。私も気付くと彼女に抱きついて声を上げて泣いてしまった。


 よかった。命が無事だったこともそうだけど、ラーテルさんや、レトと出会えて。彼らと同じところで働けて。本当に良かった……。



 私たち三人は、安堵からかだいぶ長い間お互い抱き合って、泣き続けてしまっていた。だから気付けなかったんだよね……。


 私たちを取り囲むようにして、優しく微笑む騎士団の皆さんの中で1人だけ、冷たい刃のような視線を投げかけていたことに……。

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