第14話

 新学期が始まった。授業中に眠れるのがありがたい。僕は冬休みの間に、体重が六キロ減った。寝不足の状態だと、いくら運動しても食欲は湧いてこない。まるで減量しているボクサーのような気分だ。食べ物のおいしさは分かるが、満たされるという感覚が鈍っている。このまま何も食べなくても、生きていけるような気がする。もちろん、そんなわけには行かないが。最近は必要最低限だけ食べるような生活だった。

 今まで寝てなかった分を、授業中に取り戻していく。じわじわと、エネルギーのようなものが体の中に増えていくのが分かる。僕は、寝不足だった状態を少し懐かしく思う。あれには一種の清々しさがあった。空腹と疲労の先に開けている境地のような、完全に思考の停止した平和な世界。

 昼ごはんのお弁当を開いて、箸でご飯を口に運ぶ。とても、おいしい。おいしいと感じる時には、味覚だけではなくて、満たされる感覚がセットになっているのだ。じっくり味わって食べる。

 木村さんは、がんばって学校に来ている。新学期が始まって今日で三日目。昨日の夜、電話で木村さんは夢の話をしていた。寝ている間に見た、夢の話だ。

 すべてが凍ってしまった世界で、氷人間たちが長い旅をして、焚き火を探す話だった。火を見つけたとしても、彼らは溶けて死んでしまう。それでも氷人間たちは、必死になって火を探している。まるで死に場所を探しているかのように。氷人間の一人である木村さんは、長い旅の末、ついに焚き火を見つけた。これで苦しかった旅も、ようやく終わりになる。

 そう思った瞬間に、目が覚めたそうだ。もう覚悟は決まっていたのにね、と木村さんが笑って話していた。僕は木村さんになんて言えばいいのか分からなかった。

 無理矢理学校に行きます、と木村さんが言っていた。引きこもっていたら、よけいに辛くなるのが分かっている。学校は、絶対に行かなければならない。そう自分に言い聞かせて、毎日学校に来ている。たとえ朝起きて、体が石になっていたとしても。

 基本的に木村さんは根性があると思う。学校では涼しげな表情をしている。僕と視線が合うと、素敵な笑顔を見せてくれる。傍目には苦しんでいるようには見えない。しかしこの状態は、結構マズイのではないか。木村さんの笑顔がとても清々しい。なんだか怖いくらいに。僕は胸騒ぎがしてならなかった。

 追い討ちをかけるような出来事があった。いつの間にか僕と木村さんが付き合っていることが、クラスの話題になっていたのだ。

 うちの高校は一応進学校ということもあり、暗黙の了解として恋愛が禁止されている。あくまで暗黙の了解なので、生徒の中には堂々と禁を破って、青春を謳歌している人もいる。しかし一度禁を破れば、周囲から冷たい目で見られる。例えそれが、健全なお付き合いだとしても。学校の中では、はみ出し者の地位が与えられる。

 今の時代に、高校生の恋愛を禁止することは時代遅れのような気もする。しかし事実として、テストの度に上位に名前が来るような成績優秀な生徒や、部活動で活躍している生徒は、律儀に恋愛禁止令を守っているようだ。そして恐らく彼らに、圧力をかけている存在がある。生活指導の川田先生と、生徒会の面々だ。


「バレちゃったな」

 部活の帰り道、慎ちゃんが僕に言った。

「別に隠すつもりもなかったし、しょうが無いよ」

 僕は言った。 

「俺は生徒会の役員なんだぞ。本来なら、お前らを糾弾する立場にあるわけだ」

 慎ちゃんが真剣な顔で言った。

「安心してよ。例え慎ちゃんに言われなくても、僕は木村さんと付き合ってたよ。間違いなく」

 僕は言った。

「そんなこたぁ分かってるよ。お前は、なんというか、意志の強い男だからな。だけどこのままスガと木村京子が、うわさ話になったりするのを、黙って見ているわけにはいかないだろ」

 怒ったような顔で、慎ちゃんが言った。

「そんなに深刻に考えなくても大丈夫だよ。でも、ありがとう。生徒会の人にそう言ってもらえると、だいぶ安心できる」

 僕は笑った。

「まあスガは、他人のうわさとかでダメージを受けるようなタイプじゃないもんな。でも、木村京子は大丈夫なのか?」 

「それがね、あまり安心は出来ないかな。木村さん、今回のうわさのせいで友達が出来ちゃったみたいなんだ。恋愛の相談とかされて、かなり戸惑ってるみたい」

「木村が恋愛の相談? そりゃキツそうだな」

「ただでさえ最近、調子が悪かったからね。今はホントに、ギリギリな感じで学校に来ていると思う。僕も、何か出来ればと思うんだけど」

 僕はため息をついて言った。

「大変そうだな。恋愛って、大変なんだな……」

 夕焼け空を見詰めて、慎ちゃんが言った。

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