第13話 死者たちの部屋

 トキタがその歩みを止める。再会を喜ぶかのように広げていた両腕は、ゆっくりと下げられた。

 ハルはその額に、銃口を向ける。


「そう……か。しかし。よく無事で……よく……戻った」

 言いながら、息を震わせるトキタ。

 銃口を向けられこれから殺されようとしている人間にしてはその表情はどうにも嬉しそうに見えて、ハルは眉を顰めた。


「勘違いするな。おれは、あんたを殺すために戻ってきたんだ」


「ああ、分かっているよ。そうすればいい」

 トキタは大きく頷く。

「しかしその前に、聞きたいことがあるだろう? 私もきみに、話すことがある」


 その声と表情はどこか切なげで、けれどやはりどこかに喜びと満足とを含んでいるように感じられて、ハルは銃の引き金に指をかけ奥歯を噛みしめた。

 そうして大きくひとつ息を吐きだして、


「あの部屋に連れていけ」

「うん?」

「最初に……目を覚ました、あの部屋……あそこじゃなきゃ話をしない」


 トキタはハルの真意をうかがうようなまなざしで少し考えて、

「いいだろう。――ついてきなさい」

 頷くと、入り口の方へと踵を返す。


 老人から二、三歩遅れて、ハルは半年ぶりの都市の中へと足を踏み入れた。




 ここを出てきた時は恐ろしく長い距離を歩かされたような記憶があったが、再び訪れたそこはこの巨大なシェルターの中でも入り口からわずか数分という場所だった。エレベータの下降だけが、とても長い時間に感じられた。誰ともすれ違わずに、大きなドアの前にたどり着く。


「ここだ」


 トキタが自動ドアを開けると、だだっ広い部屋が眼前に現れる。薄暗い照明。低い天井。そして、一面に並べられた、彼らの棺――。


 ハルは部屋の外で大きく深呼吸をする。唾を呑み込む。もうあの時に見た彼らの姿を思い出しても、吐き気がすることはなくなっていた。会える、と思った。なのに、実際にそこの前に立つと、やはり足が竦むのだ。


 横からトキタの「どうする?」と問うような無言の視線を感じて、意を決して中に足を踏み入れる。

 ひんやりとした空間だった。

 空気はまったく動かず、相変わらず低い機械の音が一定に鳴り続けるだけで、そのほかの音もにおいもない。

 人間が死んで腐ったら、腐臭がするものじゃないのか? そんな、あからさまに「死」を主張するようなものは何もない。それなのに、ひたすらに薄気味が悪い空間。


 並べられたカプセル――それはやはり、棺に見える――の間を歩いく。どのカプセルにも、それは目を覆うような状態の「人間だったもの」が格納されているのだ。


 少しずつ、息苦しくなっていくのをハルは自覚する。けれど……。


(フジタ――)


 その一画が目に入ると、知らず、駆け寄るように足を速めていた。

 右手に持っていた拳銃を納めて。

 そうして――みんなの中に入っていく。その、輪の中に。


 タカハシ。エモト。サクライ。ウツイ。オカダ……みんな――。

 あの時は、ちゃんと見られなかったから。ごめんな。ちょっと時間がかかったけど、戻ってきた。おまえたちがどうなったのか、きちんと確認するために。

 みんな、あの時と同じに――。


(なんで、おまえらそんなかっこうになってんだよ……)

(なんで、おれだけその棺の外にいるんだよ……)


「大丈夫か?」


 トキタが後ろから、遠慮がちに声を掛けてくる。


「こいつら……」

 ハルはトキタに背を向けたまま、拳を握りしめた。

「うち音楽のクラスひとつだけだったから。中学からずっと同じクラスで。みんな仲良かったんだよ。楽器とか全然バラバラだから……全員で演奏するってなかなかできないけど……けど、いつかやろうって、みんなで……なんで?」


 もう泣くまいと思ったが、涙が込み上げてきた。

 トキタを振り返ることのできないまま、


「なんで? みんな死んで、腐ってんの? なんでおれは生きてるの?」


「チハルくん」


 肩に手を掛けられて、それがひどく震えていて、いや、震えているのは自分の肩かと気づく。


「触んな!」

 トキタの手を払いのけて、振り返った。


「説明するって言ったよな。なんでこんなことになったんだよ、なんでだよ!」


「ああ――そうだな……」

 体の中の空気を抜くみたいに、トキタは大きく息を吐きだした。そうして、

「そう、まずあの頃。……世界には核戦争の危機が迫っていた。二〇六五年……きみがいた時代だ」


 トキタはハルの斜め後ろあたりを見つめながら、続ける。

 装置の作動音だけがずっと低調に鳴り続ける静かな空間に、老人の声が低く響いた。


「第三次世界大戦が起こることは、それよりもう何年も前から確実だと言われていた。戦争というのはね、何年か、何百年かに一度は起きるものなんだよ。平和な世の中に見えてもな」


 またひとつ、ため息をついて、


「当時を覚えているかな? 気候の変動と重なる災害、そこから来る食糧難と不況と、疫病。世界恐慌。世界のあちこちで紛争が勃発し、多くの国は核兵器を備え持ち、いつどこで戦乱の火がついてもおかしくない状態だった。そして始まればそれは、一瞬で終わるだろう、その後に世界は残っていないだろう――と、予想がされていた」


 たしかにそれは。毎日のように、災害や不況や紛争のニュースが報じられていた。大人たちはモノ不足に備えて生活必需品を買い置いたり、給料が下がったとか税金が上がったとかぼやいたりしていた。

 だが――。自分の身の回りでは。少なくとも学校や家や、そんな生活範囲の中では、世界の緊張を肌に感じる要素など一切なかった。


 普通に学校に行って、友達とふざけ合って、笑い合って、これからのことを考えて……。

 他人事だった。世の中で起きているすべてのニュースは、テレビやネットの中のことでしかなかった。


「そして、二〇六五年に始動したんだよ。未来の世界に人類を送り込む計画がね。ちょうどその十年前になるか。冷凍睡眠の技術が開発されていたことは知っているね?」


 ちらりとこちらに目をやって、トキタは無表情に続ける。


「前に少しだけ話したかな。私はその技術開発チームの一員だった。冷凍睡眠自体は最初は絶滅危惧種などの種の保存を目的に開発したものだったが、十年の間に技術は発達し続け人間にも適用されるようになった。絶滅危惧種の保存には必要のなかった、『記憶の保持』が可能になったんだよ。そしてすぐに、数十年の眠りも可能になった」


 そんな話も、たしかにニュースで聞いたような気はする。けれど、社会問題に特段の関心などない普通の高校一年生が、そのことについてじっくり考えるような話題ではなかった。


「これで崩壊の瞬間と、その後に来る核の冬を眠ってやり過ごすという選択肢ができたのさ。もちろん、ここは核シェルターだ。眠っている者だけでなく、多くの避難民がここで『その時』を過ごすために造られた。シェルターの中に『都市』を形成してね。だが『外』が完全に浄化されるまでこのハコの中に人の社会を保てるかどうかは、微妙なところだった」


 そこまで言って、トキタはまたひとつ息をついた。


「――核に汚染された地上が人間の活動できるレベルまで浄化されるのに、およそ三十年かかると試算されていた。シェルターの中で人が暮らせるのは、その程度の期間だ。何もせずに時が過ぎるのを待てば、いずれ食糧も底を尽きる。この中で生産活動を始め自給自足が叶ったとしても、人口が増えれば養い切れない。だから第二の手段として、地上が完全に浄化されて人類が外で暮らせるようになるその日まで、未来に送る人間を眠らせておくことになったんだ」


 次第に頭が追い付かなくなってくる。ニュース? 歴史の話? 世間話が聞きたいわけじゃないのに。


「きみたちの学校には……」

 トキタの深いしわに包まれたまぶたの奥で、その瞳がこちらを向く。

「学術、科学技術、芸術、スポーツ……様々な分野で活躍が予想される優秀な生徒が集められていた。そこできみの学校の生徒は、『未来に送るべき優秀な人材』として、全校生徒で丸ごと眠りにつくことになったんだ」


「……全校……みんな?」

 だって、あの学校には、千人に近い生徒たちがいたはずだ。

 ぐるりとまた、周囲を見渡す。

 一面の棺。


 みんな、同じ学校の生徒たちなのか?


 トキタはハルの疑問を察したように、


「この部屋に百人。同じ部屋がメイン・コンピュータ・ルームを中心にして放射状に五部屋。それが五階層。このシェルターには全部で二千五百人の人間が眠っていた。きみの学校の生徒たちのほか、大学生などの若者。それに技術者、研究者、医者、政治家などといった専門の職を持つ大人たちだ」


 理解できた、とはとても言い難かった。


「そんな話……だって、全然……」


「ああ。一部の自分の意志で眠りについた大人たちを除いて、多くはそのことを知らずに眠った。それは……希望者を募っては、そうそうこの人数を集めることはできんだろうよ。それに、未来に送る人間がだれでも良いというわけではない。その価値のある、選ばれた人間が必要だったんだ」


 価値のある、選ばれた人間?

 目の前に掴みかけていた夢を、理由も説明されぬままに奪われるのが?

 みんな――そんな知らない未来の世界のために頑張っていたわけじゃないだろ!


 頭の奥のほうが熱くなるのをハルは感じた。だけど――まだだ。まだすべて聞いていない。両手の拳を強く握りしめる。


「きみの怒りはもっともだ」

 ハルの感情を察して、トキタは切なげに目を伏せる。

「信じられないだろう、こんなバカな大人たちがいるなんて。だが、もう少し聞いてくれ」


 そうだ。知らない間に眠らされた挙句、彼らが目を覚ますことなく腐っていった理由を、まだ聞いていない。


「当初の計画では、冷凍睡眠はしかるべき時がきたら覚醒システムが発動し自動解除されるはずだった」

 そう言って、トキタは顔を上げる。低い天井を通り越して、どこか空中の遠くを眺めるように。


「地球上の汚染が浄化されれば、それは自動的に働くよう設計されていた。シェルターの人間がスリーパーを起こす期待はできないからね。人工衛星や地上のモニタリングシステムを総動員して、地球上の気温と気候、水量、緑地面積、大気の状態、生命活動、それらを監視し、総合的に設定された数値に達した時に、解除されるようになっていた。

 それはせいぜい長く見積もって五十年から八十年後――だったが――当時の科学者が想定した『人間の住める環境』には、地球は戻らなかったんだ」


 人間の住める環境に戻らなかった? だって、外の世界は砂だらけになっても、人が暮らしている。


「そう――。想定が間違っていたと考えるべきだろうね。あるいは文明におぼれた当時の人間の、想像力の限界だよ」

 ハルの思考を悟ったのか、重いため息とともに、トキタは言葉を吐きだした。


「ともかく。人間を眠らせておくということは、保存状態コンディションさえ整っていれば何年でも可能なはずだった。だが、装置の耐久年数には限界がある。スリーパーたちが覚醒しないまま想定をはるかに超える年数が経過し、限界が来てほとんどの者が死んだ。幸運にも装置が壊れずに生き残って覚醒したのは、わずか二十名程度か。私が最初の覚醒者だ。二十年近く前になる。もう少し……あとほんの数年早ければ、助けられた者も多かっただろう。そして」


 トキタは真っすぐに、ハルを見つめていた。

「きみが最後の覚醒者だ」

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