2.確率的なゾンビ

 闇の中を――。

 泥のようにまとわりつく闇の中を俺はどこまでも落ちていく。

 目を開いても闇、目を閉じても闇。一筋の光も差さない場所。ここはあの世と呼ばれる場所なんだろうか。


 でも、あの声は――。

 最後に聞いたあの不思議な声は、俺に『ここで死ぬわけじゃない』とささやいた。


 だったら、今の俺の状態はどう説明するべきなのか。

 生きているわけでもない、死んだわけでもない、生と死の不気味な中間状態。まるでゾンビにでもなったような気分だ。ゾンビ映画は好きだけど、自分がゾンビになりたいワケじゃない。どちらかといえばゾンビハントする側がいい。俺はホラーに詳しいから絶対に生き伸びる自信がある。……ってこれは完全に死亡フラグだな。前言撤回。


 自由落下はまだ終わらない。

 粘性の闇はあったかくて、不思議と心地良かった。

 何だか、毛布に包まれているみたいだ。

 そう思ったら、だんだん眠くなってきたぞ……。


『おーい、こんなところで寝ないでくれよ。雷鳴門かみなりもん鷹丸たかまるくん』


 突然、頭の中に声が響いた。

 それと同時。俺の落下が止まり、暗闇の中に光が灯る。


「えーと、どちら様でしょうか?」


 俺は声の主にたずねる。

 

『ああ、自己紹介が遅れたね。私の名前はセイドルファー。異世界テラリエルで【死】の女神をやってるものだよ』


 その言葉から少し遅れて、光の中に人の姿が浮かびあがった。

 褐色の肌と足元まで伸びた波打つ金色の髪。

 大きく肩の開いた白いドレスを身にまとった女性が、緑色に輝く切れ長の瞳で、俺のことを悪戯っぽく見つめている。何だか猫みたいな雰囲気の人だった。

 

「いや、いきなり異世界とか女神とか言われてもワケが分かりませんよ」

『困惑するのも無理がないけど、私の話を聞いて欲しい』


 セイドルファーと名乗った女性が続ける。


『私はね、テラリエルの【死】を司る女神であると同時に【生命いのち】を司る女神エリシオンの姉でもあるんだ。私とエリシオンは双子の姉妹神なんだよ』

「その、双子の女神のおねーさんが俺に何の用なんですか?」

『ふむん。端的に言うと、キミにエリス世界テラリエルの危機を救ってもらいたい』

「妹さんと世界を、救ける……?」


 自称・女神からの唐突な申し入れに、俺は訝し気な声をあげてしまった。やば、バチが当たったらどうしよう。


『そう。テラリエルには困った連中がいてね。そいつらが妹の力を悪用しているんだ。妹の持つ生命の力を邪法でちょーっと反転させて、命ならざる者を世界中に蔓延させようとしているのさ』

「命ならざる者……? それはゾンビみたいなモノですか?」

『まぁ、似たようなもんだね』

「セイドルファーさんは女神様なんでしょ? 自分で何とかすればいいんじゃないですか」


 異世界と女神の危機を救うなんて超高難度クエストを、俺みたいな普通(ホラー好きはイマドキ普通の範囲内だと思う)の高校生に頼まないだろ。ちょっと理解に苦しむ話だった。


『もっともな指摘だ。それができるなら私もとっくにそうしているさ。時間が足りないから細かい説明は省くけど、私の権能は大きく制限されているんだよ』

「制限、ですか?」

『うん。地上に顕現して力を行使したり、自分の支配域から人間界に直接干渉できない程度には。今の私に可能なのは、世界と世界の編み目に眼をこらして、そこから【可能性の光】を探し当てることぐらいかな』

「【可能性の光】……?」

『そう。キミのような存在のことだね』

「いや、マジで意味不明なんですけど」

『ぶっちゃけると、キミには素質があるから異世界転移で英雄になってチートスキルで無双しない? 的なお誘いだ』


 俺は女神様のあまりに俗な言い回しに飲んでるコーヒーを勢いよく噴き出すところだった。いや、コーヒー飲んでないけど。


「ぶっちゃけ過ぎ! あと、いきなりそんなこと言われても困りますよ。俺は普通の男子高校生D Kなんですよ。そんなの無理に決まってるでしょ!」

『謙遜するなって。キミの魂のカタチは私の持つ権能と相性がいいんだよ。このタイミングで私と繋がったのもそれが理由だ』

「繋がったって……。まさかとは思いますけど、あのトラックはセイドルファーさんがんだ異世界転生トラックとかじゃないですよね?」

『残念ながら、時間と空間の壁を越えて異世界人の運命に干渉する力は持ち合わせてないよ。あの事故は本当にただの偶然。私はその偶然を期待してずっと眼をこらしていただけ。そして、キミは折りよく私にされた。これは必然ってヤツなのさ』

「必然? 俺が事故に遭ったのは偶然だって、自分で言ったばかりじゃないですか」

『偶然と必然を峻別することは不可能だし、何の意味もない。私から言わせてもらえば、これから起こることは全て偶然であり起こったことは全て必然なんだよ。だから、このタイミングで私の呼び声に応えたキミの手助けが必要なんだ』


 えらく抽象的で綿菓子みたくフワフワした説明だった。俺は煙に巻かれたような気分になった。


「……ちなみに、断ったらどうなるんですか?」

『うーん、強要はできないからねぇ……。もしお望みならキミが元居た場所に還そう。それぐらいなら、何とかなるだろう。いろいろと制約があって、他の場所に送ってあげることができないんだ。ゴメンね』

「トラックが目と鼻の先まで迫ってるんですよ。確実に死にますよね、俺?」

『まぁ、そうなるね』


 他人事だと思ってあっさり言ってくれる。


『本当に悪いと思ってるんだよ? さて、時間が近づいている。この場所は【可能性の分水嶺】だ。今のキミは生と死が重なり合った状態、言うなれば確率的なゾンビとして存在している。そんな不安定な状態はいつまでも続かない。あと数分もすればキミの可能性は死に向かって収束していく。何しろ、死ほど安定した状態はないからね。そうなる前に返事を聞かせて欲しい』

 

 確立的なゾンビって、何か、思ったよりも大変なことになってたんだな。あと、やっぱり死ぬのね。憂鬱ぴえん……。


 さてと、どうしたもんか。


 正直、俺は異世界と女神様を救うなんてたいそれたマネができるタマじゃない。セイドルファーさんは素質がどーのとか言ってたけど、自分のことは自分が一番よく分かっている。つもりだ。


 とはいえ、このまま元の世界に戻ってもトラックに轢き殺されるだけだ。映画の試写会に行くってレベルじゃねぇよ。はー、本当に楽しみにしてたのになぁ……。憂鬱ぴえん……(本日二回目)。


 消極的な理由かもしれないけど、他にできることがないなら、セイドルファーさんの頼みをきくのも悪くないのかもしれない。

 

 俺は大きく深呼吸をすると、答えを決めた。


「分かりました。やりますよ。正直、英雄ってガラじゃないしどこまでやれるか分かりませんけど。それでもよければ」

『そうか……。ありがとう。心から感謝するよ鷹丸くん。よし、それではキミに女神の【加護】を授けよう。きっと、これからキミがなすべきことの助けになるよ』


 セイドルファーさんがそう言うと同時に。

 胸のあたりに火の灯るような温かい感触が生まれた。

 

 これが、女神の【加護】……?


『どうか、テラリエルを、エリスのことを、よろしくたのむ。それじゃよ』


 そう言うセイドルファーさんの表情は、さっきまでの軽いノリとは真逆の真剣なものだった。


 俺が何か言葉をかけようと思ったその瞬間。

 目の前で光が再び爆発した。

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