第33話 名前で呼んで

***


「ゴメンな。イルミネーション、あまり見せてあげられなくて」


 その後、しっかり誤解を解いた皇成と姫奈は、公園を出て、姫奈の家まで来ていた。


 何でも、今日の矢神家の夕飯は焼肉らしいのだが、突然、自宅にいる母親から『焼肉のタレが足りないから、買ってきてくれ』と連絡があったのだ。


(まさか、親に邪魔されるとは。せっかくいい雰囲気だったのに……っ)


 ていうか、むしろ、これからだったんじゃない!? なんのしがらみもなく、イチャイチャ出来たの!?


 そんなことを思ったが、焼肉をやるのにタレがないわけにはいかず、結局イルミネーションをゆっくり見る間もなく、公園をさる羽目になってしまった。


「気にしなくていいよ。イルミネーションなら、この先、いくらでも見れるでしょ?」


「……この先?」


 例えるなら――いつか結婚をした、その先の未来でも。姫奈は、そう言っているようにも聞こえて、皇成は無意識に赤くなった。


 彼女の言葉の一つ一つが、心にダイレクトに響いてくる。あふれんばかりの「好き」の言葉が、視線や空気を伝って、皇成の中に入り込む。


 こんなに、幸せでいいのだろうか?


 もしかしたら、一生分の幸運を使い切ってしまったのではないだろうか? そんな気すらしてくる。


「そうだ、昨日の返事、まだ聞いてなかったわ」

「え? 返事?」

「うん、だから、デートしませんか?ってやつ」

「……あ」


 すると、姫奈の言葉に、ふと思い出した。


 確かに、昨日この場所で、二人は別れ際、そんな話をした。『デートしませんか?』と言った姫奈に、皇成は『考えておく』と言ったのだ。


 だが、昨日は、これ以上姫奈に関わらないよう、デートを引き延ばすつもりでいたのだが、もう悩む必要も、引き延ばす必要もなくなった。


 なぜなら、誤解は解けて、しっかりと両想いになったのだから!


「そ、そうだな。じゃぁ、デート……する?」

「うん、したい!」


 すると、姫奈が華のように顔を綻ばせた。


 学校で見るような凛とした高嶺の花ではなく、キラキラと目を輝かせ、無邪気に微笑む子供のように……


(く……カワイイ!!!)

 

 だが、たかだかデートをするだけで、ここまで喜んでくれるなんて、なんて愛らしくカワイイ生き物だろうか!?

 しかも、こんな女の子が、自分の彼女だなんて!


(っ……俺、マジで死ぬんじゃないか?)


 幸せずぎて、怖い。


 なにより、矢印様には『つきあってはいけない』と言われ続け、更には『別れろ』とまで言われているわけだし。


(いや、でも俺が、碓氷さんに釣り合う男になれたら、矢印様だって……)


 そうだ。きっと、影が薄い底辺だったからダメだったのだ。だから、誰もが認めてくれるよういい男になれば、きっと上手くいくはず!


 ……といっても、どうやったら釣り合う男になれるのか、いまいち分からないのだが。


「じゃぁ、今週の土曜日はどう?」


 すると、また姫奈が可愛らしく話しかけてきて、皇成は胸の高鳴りを抑えつつ、答える。


「あ、そうだな。碓氷さんは、どこに行きたい?」


「うーん……皇成くんは、どこがいい? デートの定番といえば、やっぱり映画館とか、水族館とか、遊園地だけど……遊園地は、ちょっと遠いかな?」


「あぁ、ラビットランドは、片道二時間くらいかかるしな。じゃぁ……映画館か、水族館?」


「ふふ、なんだか迷っちゃうね。また、あとでゆっくり考えよっか。今日は買い物にも行かなきゃいけないでしょ?」


「あ、そうだった!」


 できるなら、もう少し話していたいけど、夕飯の買い出し(焼肉のたれ)を頼まれた以上、あまり遅くなるわけにもいかない。


「じゃぁ、また明日な」


「うん。また明日ね……あ、でも、次会う時は『碓氷さん』っていうの、やめてほしいかな」


「え?」


 そう言って姫奈が頬を赤らめれば、また胸が高鳴った。つまり、その申し出は……


「名前で呼んでほしい。また、昔みたいに、姫奈ちゃんって」

「……っ」


 やっぱり—―と、皇成は、ごくりと息を飲んだ。

 だが、恋人同士なら、当たり前と言ってもいい。

 しかし、名前で呼ぶだけなのに、こんなにも緊張してしまうなんて、自分がどれだけ、恋愛と無縁の場所にいたか、それを、ありありと実感してしまう。


「な、名前だな……わ、わかった……っ」

「ホントにわかってる?」

「わ、わかってるよ。次、会う時だろ、次!」

「ふふ……じゃぁ、次会った時に『姫奈』って呼んでくれるの、楽しみにしてるね」


 そういって、姫奈がまた微笑むと、皇成は名残惜しく思いながらも、姫奈と別れて、そのままスーパーに向かった。


 通い慣れたスーパーで、普段通り買い物をする。


 そして、帰るころには、もうすっかり暗くなっていて、頬には冷えた空気がふれた。


(なんだか、本当に夢でも見てるみたいだ……)


 暗くなった空を見上げて思う。


 初恋が実って、好きな女の子と両想いになった。少し前までの自分には、奇跡みたいな出来事。


 そんな夢見心地のまま、皇成は、自宅へと帰宅する。だが、皇成が玄関を開けた、その瞬間


 ――パーン!


 と、けたたましく何かが鳴り響いた。


 


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