エピローグ


 三日後。正午過ぎ。

 麗らかな春の日差しと少し強い風に巻かれながらフィオルブは共同墓碑を訪れていた。

 新たに、今度こそ名を刻まれた人に手向ける花束を持って。

 だが、墓碑には先客がいた。

「……げ」

 水入りバケツに布巾を持った赤髪のその人はフィオルブの顔を見るなり苦虫をかみつぶしたような顔をした。

「珍しいな。というかそんな邪険にしなくてもいいだろう。お互いにげ、で挨拶を済まされるほどの関係じゃなくなったはずだ」

「ヴィル公ほどじゃないけどアタシも定期的にここ来て掃除してるっすよ。いや、さっきの挨拶はホントにごめんなさい、苦手意識ってやつはなかなか取れなくってさ。改善しようはしてるんすけど……」

「そうか、それなら、いつか君から素敵な挨拶が聞けることを楽しみにしておくとしよう」

 フィオルブは花を墓碑の前に手向け、布巾で墓碑を磨いているシャリゼに話しかける。

「ヴィル君たちは先ほど王都に向けて出立したよ。シャリゼ君は出なくていいのかい?」

「別に……いざとなりゃ正攻法で帰りゃいいだけっすし」

「なるほど」

 シャリゼはまだ話しかけてくるのかよ、と苦い顔をしたが、角度的に見えていないフィオルブは構わず話し続ける。

「私は運命というものをこれまで信じていなかったのだけど、今回のことの顛末を聞かされれば、流石に半信半疑にならざるを得ないな」

「それでも半信半疑なのかよ」

「これでも最大限の転回なのさ」

 フィオルブの言葉に、シャリゼはまあ確かに、と呟く。

「偶然にしちゃできすぎで、運命にしたってまだできすぎだった」

 言って、シャリゼはヴィルとヒイロから聞かされたシオンとの最後を述懐する。


 ◇


 後から思い返せば、すべて確かにその通りだった。

 些細な違和感も、漠然としすぎていつの間にか放り出していた疑問も、何もかも。

 シオンがヒイロに不滅石のペンダントを渡したのも。

 ヴィルがヒイロを弟子にとったのも。

 ガルベリアスの名前を継がせたのも。

 ヒイロに〈不毀ノ器〉が渡ったのも。

 ヴィルが師匠のことをぼかし続けていたのも。

〈黒の侵蝕〉について知らせようとしなかったのも。

 ヒイロの髪色が元は黒かったのも。

 名前が極東で『夜明けの色』を意味するのも。


 ――――ヒイロがシオンの娘だったから。


 夜桜の残滓ざんしが舞い散る中、腹をほとんどかっさばかれて動けず大の字になったシオンがヴィルに文句を言う。

「少年が早く終わらせてくれないからバレちゃったじゃんか。私の十年来の計画が最後の最後でパーだよ」

「ガッツリ続きやろっかって言ってたのはどこの誰だ」

「覚えてないですー」

「マジこの人……実の娘の前でふてぶてしすぎるだろ……!」

 ヴィルは頭を抱えて、それからヒイロを見た。

「この際だ、気になること全部聞いちまえ」

 ヒイロはゆるゆると首を振る。

「いいんです。全部思い出しましたから。わたしの過去のことも、全部」

 ヒイロの返答に、シオンは観念したようにふぅと息をつく。

「そっか。じゃあコルもいっちゃったのか」

 ヒイロはおずおずとシオンのことを見る。

「一個だけ、聞いてもいい……?」

「一個と言わず、何個でも」

 慈しみを浮かべて迎えるシオンに、ヒイロは唇を噛み締めて問う。

「お母さんにとって〈黒の侵蝕〉をこの世から無くすことは……わたしを育てることより、自分の命より、よっぽど大事なことだったの?」

「うん。より正しく言えば、大事なことが何かわからなくなっちゃったんだ。ただ、確かだったのは〈黒の侵蝕〉への怒りだけ。それでしか動けなかった」

 そう答えるシオンの虚ろな瞳は天球の星々を写していた。

 ヒイロの瞳は涙に滲んで、何が写っているのかもわからない。

 ただ、とめどなく感情が溢れていた。

「わたしと買い物に行ったり、チャンバラしたり、絵本を読むことよりも……?」

「……うん。だから、私はあなたにお母さんなんて呼ばれる資格がないんだよ。それどころか責められるべきで、殺されても何も言わない」

「責めないよ……責めるわけ、ない……殺しても死なないし……」

「泣かないの、可愛い顔が台無しだよ」

 俯き、鼻をすするヒイロにシオンがそっと手を伸ばす。けれど、触われないことに気づいて微笑み、草の上に降ろした。

「それでも自分勝手な願いを許容してくれるなら、ヒイロがこの世界で楽しく幸せに生きてくれること。本当に、それだけで十分なんだ。でも、ヒイロは沢山して欲しいことあったはずでしょう?」

 涙と鼻水を垂れさせて、ヒイロはぶんぶんと頷く。

「もっと……一緒にいて欲しかったっ……」

「ごめんね」

 シオンは今一度空を見上げ、ヒイロに問う。

「ヒイロはさ、この世界が楽しいと思う?」

「思わない。だって今、すっごく悲しいもん……」

 鼻水をずるずるとすするヒイロに、シオンが苦笑する。

「これまでに楽しかったこととか、これから楽しみなことは?」

「……ある」

「じゃあ私の中では、私がこの道を進んできた意味はあったってことになる」

 よかったー、と呟いてから、シオンは満面の笑みを浮かべる。

「ざまあみろ世界! って感じだ」

 それは、たった一人で世界に抗って、見事に勝利した人間の最高の笑みだった。

「それと……少年には、色々苦労かけたね」

「今更すぎて言われない方がマシまである」

「あっはは。……正直さ、少年を弟子にとったのは特に理由もない直感だったんだけど、自分が置いていったヒイロ代わりにしてたんじゃないかって怖くなることがあったんだ」

「俺にとっての親は師匠以外にいないよ」

「嬉しいこと言ってくれるねぇ、ホントに。よくできた弟子だよ」

「師匠がよかったもので」

「ふふ……あ、そうだ。少年、刀貸してくれない?」

「はいよ。持てるか」

「流石に大丈夫、ありがと。……ヒイロ、剣を持って、柄をこっちに向けて? 鞘のままでいいよ」

 言われるがまま、ヒイロは剣を取って柄の方を差し出す。

 シオンは動かなくなりつつある腕で、刀の持ち手と刃の境目である鍔を、ヒイロの持つ剣の鍔と軽く合わせた。

「誓いの金打きんちょう。極東だと、大事な約束事を交わすときには互いの持ってる金属同士を軽く合わせる風習があるの。――ヒイロ、騎士になってね。今ので約束したからね」

 ヒイロは涙をぬぐい、何度も頷く。

「……絶対なる。約束する」

 ヒイロの返事を聞いてシオンは一度微笑み、持ち上げていた首も草のしとねに下ろした。完全に五体投地の姿勢を取り、ゆっくりと瞼を閉じる。

「あぁ……コル、久しぶりに競争しようよ。どっちが多く集められるか。うん……集合はあそこで――」

 沈み込むように身体が溶け消えていき、泥に還るまでのわずかな時間、シオンは楽しげに愛する者との約束を交わしていた。


 ◇


「よしっ、こんくらいでいいかな」

 満足行くまで掃除し終えたシャリゼが立ち上がる。

 それを側から見ていたフィオルブも満足げに頷く。

「そういえばシャリゼ君、最近桜に関する新しい噂が立っているのを知っているかい?」

「桜の新しい噂? いや全く聞いてないっすけど」

 シャリゼの返答に伝えられる喜びからかフィオルブは上機嫌に噂を言う。

「曰く、『桜の樹の下には死体は埋まっていない』らしい」

「……ははぁ、なるほど」

 面白いなとニヤつくシャリゼの反応に満足していたフィオルブだったが、ギルド職員が慌てた様子でドームに駆け込んで来た。

 フィオルブに何事か耳打ちすると、シャリゼにも一礼し、また慌ただしく去っていく。

「なんだったんすか、今の」

「……先ほど【勇者隊選抜】の紹介状が紛失物として届けられたらしい。ヴィル君たちもこっちに戻ってるそうだ」

「へっ、ヴィル公たちらしくていいじゃねえか」

 言いながら、シャリゼはドームの外に出る。

 風が吹き、空を雲が流れて行く。

 そして、どこかから桜の花びらがひらひらと降ってきていた。


 ――花の魔女が見出した風の王。

   魔女は王を見出したことによって、己が娘をも見出した。

   そして彼の王によって、花の魔女の娘である純白の生娘が王都へ向かい旅出った。


                                      了

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師弟に始まり、師弟に終わる。 にのまえ あきら @allforone012

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