11


「揺れ……ですか? わたしは感じませんけど」

「でもメリーのおっぱい揺れてるもん。絶対揺れてるよ」

「おっぱいの……揺れ……?」

「うん。ヒーちゃんも揺れると思うよ〜」

 笑って外套から突き出る胸部を揺らしてみせるメリーの不可解な言動にヒイロは首を捻りまくり、自分の胸元も見下ろしてみるが金属鎧で固定されていた。

「……動かないや」

 確かめようがないので何気なく上を見上げた瞬間、狙いすましたかのように眼球めがけて落下してきた土埃によって揺れは事実だと確信させられた。

「イッタぁ⁉︎ 目に埃入ったんですけど!」

 揺れは収まらず強まってくるばかりで、その場に立つことすら覚束なくなる。

「はっ、これからもっと揺れるぞ。気ぃつけろよ」

 なぜだか楽しげなヴィルはヒイロを抱きかかると、そのまま後方に飛んだ。

「うぇっ⁉︎ ちょっとまっ――ふぇっふっ!」

 なされるがまま海老反り状態で運ばれていくヒイロだが、違和感を感じて目を眇めた。

 なぜ気づけたのかヒイロ自身ですら判然としない、ささいな違和感。

(今、ような……?)

 瞬間、左の壁が破裂した。

 爆ぜるような轟音と土煙の中、が姿を現した。

「――――――――は、っ?」

 初め、ヒイロは闇そのものが動いていると錯覚した。

 まるで立体を得た影絵のような不明確さで、そこに何がいるのかさえ分からない。

 けれど、は確かに唸り声を上げながら四脚で大地を踏み締めて、激雷のような咆哮を鉱山内部に轟かせた。

「GOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!」

 小動物ならば何匹か殺せそうな迫力に耳を塞ぐことすら忘れ、縦幅十メートルはある空間の半分以上を占めるその巨躯を見上げる。

 亀のように丸みを帯びた姿は鈍重そうに思えるが、大地を踏みしめる巨木のような四脚は千里を駆ける獣のそれだった。

「これが……地竜……⁉︎」

 それは魔力のみで悠久の時を生きる、空想種ファンタズマの頂点にして神話の落し子。

 古今東西、逸話や英雄譚には事欠かない夢追い人の終着点の一つ。

 ……そのはずだった。

 だが、以前見せてもらった似姿の絵とまるで違う。

 賢厳と構える強者の出で立ちなど見る影もなく、地竜はどこか苦しげに呻き続けていた。月夜に透かした刃の美しさだという白銀の竜鱗も、今や度し難い黒色に染まっている。

「黒? ……これってもしかして」

 思い当たった事実に戦慄する。

 まさか、よりにもよって地竜が〈泥被りマッドネス〉だなんて。


 それは三週間前。

 メリー達による修行が決まった次の日。メリーとヒューゴが依頼完了報告をしに行って戻って来るのを待つわずかな時間、ギルドのロビーで賑やかな風景を眺めている時にヴィルがポツリと言った。

「もしも『カヴァスよりも黒い生き物』を見かけたら速攻で逃げろ」

「カヴァスより黒い生き物? なんですかそれ」

 ヒイロが見上げると向こうもヒイロを見返して、真剣な目つきでこう言った。

「そいつは〈泥被りマッドネス〉だ」

「……まっどねす、って何ですか」

 ヒイロはてんで聞いたことのない単語に首をかしげ、ヴィルはなおも硬い表情のまま続ける。

「僕と会った日に〈黒の侵蝕ボルボロス〉を見ただろ。アレに呑まれた生物のことを〈泥被り〉って言うんだ」

「え、アレに呑まれると名前付くんですか。その〈泥被り〉になったらどうなるんです?」

「死の概念が無くなる。要は不死身ってことだな。まあ、ただ――」

「えぇっ不死身⁉︎ っふ……!」

 とっさに口をふさいだヒイロだが、すでに周囲の視線はヒイロに注がれていた。耳まで真っ赤にしながらすみませんすみませんと会釈すれば視線はパラパラと外れていく。

「すみません、続きをどうぞ……って、あれ?」

 気づけばヴィルはどこにも居らず、足元に一枚の紙が落ちていた。

『叫ぶ癖、直しとけ』

 ヒイロは黙って紙をクシャリと握りつぶした。

 そうしてヴィルが去った後、戻ってきたメリー達にその話をすれば案の定大笑いされた。

 だが、目尻の涙をぬぐいながらこんなことも教えてくれた。

 なんでも〈泥被り〉はどんなに長くとも一ヶ月ほどでするらしい。また〈黒の侵蝕〉はここ数年ほとんど発生しておラズ〈泥被り〉が現れる可能性は無いに等しい。

「でも気持ちはわかるかな〜。シーちゃんを目の前で亡くしてるわけだし」

「シーちゃん?」

「シオン・ガルベリアス。ルー君の師匠だよ」

「ししょーのししょー……〈花〉の人ですよね?」

「そうそう、デタラメに強かったんだよ〜」

 メリーはクスクスと思い出し笑いをして、それからどこか悲しげに微笑む。

「シーちゃんのこと言わなかったってことは〈泥被り〉のこともあんまり話したくなかったのかもね」

 そうして最後に添えられた一言が、ヒイロの脳裏にこびりついていた。


 ――だって、アレは見るに耐えないもの。


 今一度、目の前の〈泥被り〉を見上げる。

 純白を汚され苦しみに呻いてはいるが、この威容は間違いなく竜のものだ。

 これまで見てきたどんな魔獣よりも大きく、雄々しく、恐ろしい。

「GUUUUUUUU……」

〈泥被り〉となった地竜は呻き声を止めると、ネチャネチャとした粘性の音を立てながら身体の向きを変えた。地竜の顔を正面から見据えたヒイロの時が止まる。

 竜は笑わない。

 仮に笑ったとしても、今は暗くて黒くて見えない。なのに。

(……今、笑った)

 確信してしまう。獲物を前に舌舐めずりする残酷さで。

 ヒイロがゾッと背筋の凍りつくような感覚に身震いした瞬間、ヴィルはヒイロを抱えたまま走り出していた。

 同時、地竜は獲物を見つけたとばかりに歓喜の咆哮を上げ、壁に身体を激しくぶつけながら追跡を開始する。

「全員、死ぬ気で走れッッ!!」

 全身全霊、命がけの逃走劇が始まった。

「GOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!」

 ヴィルたちが林立した岩柱の間を駆け抜けるのに対して、地竜は正面からそのことごとくを破壊して突き進んでいく。必然、距離も縮まっていく。

「ルー君なんとかしてぇ〜! アレに捕まったら流石にまずいよ〜!」

「捕まる前に潰されて即死だ! 今は足だけ動かしてろ!」

 ヒューゴに担がれたメリーが半泣きで助けを求める間にもヴィルは必死で思考を回転させていた。

(考えろ……! どうすればこの場を切り抜けられる……⁉︎)

 純粋な脚力で逃げ切ることはまず不可能。潰されて全員もれなく死亡だ。

 魔法を用いての逃亡や討伐も、魔法の使えるヴィルとメリーが(味方を巻き込みかねないため)閉鎖空間での魔法行使を不得手としている。たとえ味方を巻き込まないように撃ったとて、それは地竜にとって無いも同じだろう。

 試しに一発風穿《ペネトレイア》をお見舞いしてみるが数歩たじろぐだけで、怒りの咆哮を上げながら追ってくる。

(……場所も状況も相手も悪すぎる!)

 ならば、どうするか。

 魔法が選択肢から取り払われた瞬間、ヴィルの脳内に一つの考えが浮かんだ。

 成功率は悪くないはず。だが、生還率が保証できない。

 なんなら全員が生き埋めになる可能性すらある。

(……それでもやるしかない)

 逡巡した後、腹を括る。

 魔法が通用しないなら、魔法でないものに頼ればいい。

「ヒイロ、今からシャリゼに地竜の動きを止めさせる。そうしたら俺の合図と同時に地竜の下顎を切りに行け」

「えっ下顎⁉︎ なんで⁉︎」

「なんでっておま……! 〈泥被りマッドネス〉への対処は教えたはずだろ!」

 ――それはヴィルがヒイロに書き置きを残して逃げた次の日。

 当然のことながら、ヒイロに朝食の席で昨日のことを言及された。

「昨日はなんで途中でどっか行っちゃったんですか」

 不服そうに眉根を寄せながらかじったパンで片頬を膨らませるその姿はゴキゲン斜めな小動物にも見える。

「隣にいる人がいきなり叫び声あげたらそりゃ逃げたくもなるだろ」

「むぅぅ……何も言えない……けど、昨日まだ何か言おうとしてましたよね? 〈泥被り〉は不死身だけど、なんとかって」

「ん。まあ」

「教えてください」

 ヒイロの拗ねて据えた視線にヴィルはため息をつきつつ「朝っぱらからする話じゃないんだけどな……」と前置きをして続きを述べる。

「昨日は〈泥被り〉を不死身と表現した訳だけど、正確にはそうじゃないんだ。〈黒の侵蝕〉と同じ物質で構成されることによって可逆性を持つようになる。だから死なない」

「…………???」

「要するに斬ろうが焼こうが再生するようになるってことだ。この辺はわからなくていい。本題は対処法があるってところで、一つは同等量の魔力で相殺すること。二つめが――」

 ヴィルはステーキを切り分けていたナイフとフォークを置き、ヒイロの背中に掛けられたを指差した。

「〈不毀ノデュランダル〉でぶった斬ることだ」

「……え?」

 ヒイロは首だけ振り向き、自分の背にある剣を見やる。

 ただ丈夫なだけのコレにいったい何ができるというのか。

「おい、今また棒切れとかなんとか思ってただろ。表情かおでバレてるぞ」

「おっおお思ってないデスヨ⁉︎ 丈夫な剣だから切れるのかなーって!」

「違う。〈黒の侵蝕〉を構成する黒い泥が『虚式液状魔力塊』だからだ」

「きょしき……? えきじょう……? まりょくかい……? ん、魔力塊?」

 突然告げられた難解な言葉に面食らうが、ゆっくりと反芻はんすうして飲み下していく内にヴィルの言わんとすることを理解する。

「そっか……魔力塊ってことは〈不毀ノ器〉なら斬れる!」

〈不毀ノ器〉は魔力を通さないが故に、純粋な魔力に近ければ近いほど簡単に断つことができる。性質がまるで違うとはいえ魔力そのものである〈黒の侵蝕〉の特攻武器と言っても過言ではない。

「ああ、ステーキにナイフを入れるよりラクだろうぜ」

 そう締めて、ヴィルは切り分けたステーキを頬張った。




 自分に抱えられたまま渋い顔でうんうん唸り続けるヒイロに、ヴィルは答えでもある単純な式を投げかける。

「〈不毀ノ器デュランダル〉で〈泥被りマッドネス〉の《魔臓ソーマ》をぶった切る。すると?」

「……一撃必殺」

「よくわかってんじゃねえか。んで、できるよな?」

「……やってやりますっ!」

 弟子の頼もしい返事にヴィルは笑みを返す。即座に反対側を向き、今度は陣形もへったくれもなく隣を走っていたそいつに声をかける。

「シャリゼ! 〈赫刃の腕ブラキシヴィニ〉を使え!」

「あぁん⁉︎ 正気かよ! 全員生き埋めになるぞ!」

「どのみちこのままじゃ潰されて死ぬだけだ! 後始末は俺がなんとかするから気にせず撃て!」

「それじゃヴィル公が危ねぇだろーが! 主人あるじにケツ拭かせる従者がどこにいんだよ!」

 流石は〈模範たる騎士ノゥムナイト〉と言うべきか。

 こんな状況でもシャリゼは

 常ならヴィルも無下にはしない。だが、今はその気遣いすら致命になり得る。

 だからヴィルは食い下がるシャリゼにこう告げる。

絶対宣誓セルメントだ!」

「「「!!」」」

 ヴィルの口から飛び出た言葉にヒイロ以外の全員が瞠目する。

 絶対宣誓セルメント――主人と騎士の契約の際、主人が騎士に対して三つ施す『絶対服従の魔法』、及びその行為。

絶対宣誓セルメント〜っ⁉︎ しかもシャリゼさんとなんて羨ま死ぃ〜! メリーもしたい〜……けど、あれれ? 絶対宣誓セルメントって服従魔法が禁呪指定になって廃止されたんじゃ?」

 極限状況でも存外余裕に騒ぎ立てるメリーに、ヒューゴは小さく頷く。

「現代の倫理観に照らし合わせれば過去の魔法はいささ。土壌である文化や思想もまた同じ。故に多くが造り替えられた……だが、物が生みだされるのには全て理由がある」

 騎士全盛期に設けられた旧き慣習は、元を辿れば主人が騎士に裏切りを起こされぬようにと設けられたものだった。側から見れば一方的に括り付ける鎖でしかないそれは事実、絶対宣誓セルメントに望まぬ服従を強いられた者もいただろう。

 だが、然るべき相手へ仕える騎士にとっては誇らしい主人と命果てるまで共に征けるという、何より光栄な楔でもあった。

 廃止されても、形だけになっても、それでも交わしたということは――

「――シャリゼ殿はあの腕に誓ったのだろうよ」

 ヒューゴの見据える先で、ヴィルがシャリゼに命じる。

「もう一度騎士として人々を救うんだろう! だったらまず、ここで義を果たせ!」




「……なんで覚えてんだっつーの」

 シャリゼは思わず口端に笑みを浮かべていた。

 まさか三年前の絶対宣誓で言った事を持ち出されるなんて。

 後で絶対に小突いてやる。けど、今は聞き届けやろう。

 だって、ヴィルが自分を頼ってくれたのはこれが初めてなんだから。

「――望みのままにィ、我が主よ!」

 次の瞬間、シャリゼは音を立てながら滑るように立ち止まった。

 そのまま地竜の方へ向き直ると斧剣をその場に突き立て《イデア》へ変じる。

 紅い瞳に氷の眼差し。

 纏う気配楚々そそとして。

 紡ぐ言葉は慇懃無礼。

「お言葉ですが、ヴィル公は今度からもう僅かばかり奥の手を早く用いることをご検討いただきたく存じます。こちらにも準備というものがありますので」

 相変わらず仮面のような表情。されどその声音はどこか楽しげで。

「悪かったな! 思い出したのが今だったんだよ!」

「ええ、思い出せただけ上等でございましょう。ですので……後はお任せください」

 言いたいことを言い切れば、後は明鏡止水の平静さで地竜を迎え撃つのみ。

「〈赫刃の腕ブラキシヴィニ〉起動コード――」

 前に突き出した左腕を右手で支えながらシャリゼしか知らない複雑なコードを口の中で転がしていけば、〈赫刃の腕〉に仕込まれた機構が目覚める。久方ぶりの目覚めに低い唸りを上げながら高まっていき、血管のようにも紋様のようにも見える赤い線が肩側から浮き出してくる。

 そして立ち止まったシャリゼを前に、地竜は咆哮を上げながら接近していた。

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』

 迫る威容。感じる死。

 だが、シャリゼが見つめるのは腕を伝う赤い線のみ。

 到達所要時間は一秒。距離にして三歩。


 一歩。赤い線が手首に到達。地竜は頭突きの姿勢を取る。


 二歩。線は掌へ。地竜はすでに頭から突っ込んでいる。


 三歩。線がてのひらの中心まで達した。既にシャリゼの視界は黒いものに覆われて


「――――解奔ファイア


 掌から光の柱が迸り、地竜の上部を一瞬にして飲み込んだ。

 そればかりか光柱はそんなもの初めから無かったというように坑道を貫き穿つ。

 後には灰燼かいじんすら残さず。ただ、夜空への新たな一本道が敷かれていた。


 ◇

 

「――――解奔ファイア

 閃光。

 轟音。

 熱波。

「「あっっっっっっっづい!!!」」

 あまりの熱さにヴィルと声が重なる。

 シャリゼからだいぶ離れた岩柱の陰に身を隠しているというのに、まるで燃え盛る炉に叩き込まれたかのような熱さ。なるほど赫刃かくじんとはそういう意味かと気づきを得るが、感心する間も無く光と音と熱が消え去った。

「――――今ッ!」

 剣を抜き、柱の陰から飛び出す。

 真っ暗闇。

 只中にぼんやりと黒い円が浮かび上がる。

 無数の星々が煌めくそれは、この場で見るはずの無い、見知った光景に限りなく似ていて思わず目を見張る。だがそんなことより何より――

「ししょー! 地竜の居場所が分かりません!」

「俺が分かってるから安心しろ!」

「いや斬るのは私なんですけど⁉︎ ってなに人のこと持ち上げてるんですかまさかとは思いますけどそのまま投げるつもりじゃないですよね流石にそれはちょっと待って欲し、」

「いっけええええええぇぇえッ!」

「待ってって言ってるのにいいいいぃぃぃぃぃぃっっ⁉︎」

 ヴィルの叫び声と共に〈制玉オーブ〉の発光が大砲の発射炎さながら夜闇に弾け、が豪速球となって打ち出された。

(……ああ、死んだ)

 私、何も見えないまま壁にぶつかってぺちゃんこになるんだ――そんな悟りの笑みをヒイロが浮かべた瞬間。

「――《電枝よ伸びろエレクトロブランチ》」

 二条の雷撃が左右の壁をはしり抜け、ヒイロと地竜までの間に横たわっていた闇と死を切り裂いた。

(メリーさんありがとおおおおおおおおおっ!)

 ヒイロは胸中で怒涛の感謝をしながら雷に導かれるまま地竜との距離を一瞬で詰める。

「やああああああああああああああああっっ!」

 空中で放たれた鮮やかな剣閃は見事に地竜の逆鱗を切り落とした。

 

 ◇

 

 ヒイロが地竜の逆鱗を切り落とした瞬間、地竜は俺の見立て通りに

 まるで炎に炙られた氷像のように溶けて大量の黒い泥へと成り変わるが、俺たちの元へ到達する前に消えてしまう。

 泥へ還された地竜に向けて、俺は小さく瞑目する。

 何故〈泥被り〉になったのか。何故ここにいたのか。分かることはないけれど、今だけは無辜の怪物に祈りを捧げずにはいられなかった。

(……どうか、安らかに)

 直後、大きな揺れが鉱山全体に波及した。

 あれだけデカい穴をいきなりブチ開けたのだ。何も起こらない方がおかしい。

「ヒューゴ、全員を穴の下に集めろ。脱出するぞ」

 指示を出した後、俺は揺れる地面に足を取られながらも〈赫刃の腕〉の反動でぶっ倒れているシャリゼの元に駆け寄り、肩を貸して立ち上がらせる。

「起きろシャリゼ! っつ、相変わらずクソ重いな! 熱いし!」

「……待て、ヴィル公。そこに不滅石リライトが転がってる。それだけ取らせろ」

 見れば地竜のいた場所に、一つの塊が崩れたようないくつかの白い石が湯気を立てて転がっていた。不滅石が何だったのか、これじゃあよくわからない。

「ナメクジより遅い奴に取らせられるか! ヒイロ、そこにある不滅石を持ってこっちに来るんだ! 違うそれはただの石ころ! そう、その白くて丸いやつ!」

 あっつあっつと言いながらヒイロが白い石の欠片を手に持ってくる。

「全員俺に掴まれ!」

 俺は坑道にブチ開けられた大穴から広がる星空をにらみつけながら今出せる最大火力の魔法をブチかます。

「《激風の大瀑布カタラクト・ウィンド》!」

 ゴッ、と全身を殴られたような衝撃と音を感じたと思えば、俺たちは〈階段峡谷〉の夜空に投げ出されていた。

「わびゃああああああああっ⁉︎」「楽しいぃ〜〜!」「……高いな」

「耳元で叫ぶなあああああ! ちゃんと受け止めてやるから安心しろ!」

 腕の中で失神しているシャリゼを抱えたまま一足先に降り立ち、後から降ってくるヒイロたちを風で包んで受け止める。

「し、死ぬかと思った……」「あ、メリーも〜! ヒューゴ君もほら!」「……ああ」

 倒れるように寝転がったヒイロにメリーさんが続き、あろうことかヒューゴさんも寝転んだ。

「ルー君だけ立ったままだよ?」

「……同調圧力って言葉を知ってますかね」

 言いながらも気絶したままのシャリゼを隣に転がして、僕も寝転んだ。

 焼き窯のような熱さの坑道から一転、冷たい砂礫と岩肌の上に寝転ぶ。冷えた夜風に頬を撫でられながら見上げる夜空には満天の星々があった。

「そういえば師匠は星座にも詳しかったな……」

 疲れからか、昔のことを思い出したまま自制することなく言葉がそのまま口に出た。

 近くないと分かりづらいからと身体を寄せ合い、師匠の指が示す場所を夢中で追ったのも随分と昔のように感じられる。正直、髪の柔らかさと体温にドギマギしながら見ていたせいで星座を覚えるどころでは無かったけど。

 そんなことまで思い出して苦笑しているとメリーさんが便乗してくる。

「ねぇねぇルー君、冬の大ナントカってどれのこと?」

「え、冬の大三角……? アレはもう一角を担う星が無くなって見られませんし、今は春なんで見られるのは大曲線ですよ」

「そっか〜、シーちゃん色々教えてくれたのにもう何にも覚えてないな〜」

「あれは師匠せんせいの知識量が異常だっただけですよ。僕も半分以上覚えてませんし」

「それはそれで弟子としては如何どうなのだ?」

「……何も言えないです」

 そうしてしばらく皆で星空を見上げていると、ヒイロがおずおずと言葉を放った。

「あの、一番初めに寝っ転がっておいてアレなんですけど、依頼ってもう終わりですか?」

「終わりだねぇ」

「終わりだな」

「ああ、終わったよ」

 異口同音に告げられた言葉にヒイロはキュッと縮こまったのち、プルプルと震えだす。

「ぃ……」

「い?」

 次の瞬間、ばね仕掛けのように立ち上がると、夜空に向かって快哉した。

「やっったあああああああああああ!! 終わったぁぁぁぁぁぁぁぁっふぇ……!」

「ヒーちゃんお疲れさま〜っ! ほんっとうに……よく頑張ったね!」

「はい、頑張りました……」

 立ちくらみを起こして倒れこんだところをメリーさんが抱き止め、もとい抱きしめた。顔は見えないけれど、二人とも感極まっているであろうことがよく分かる。

 僕も近くに寄ってヒイロの頭をわしゃわしゃと撫でてやった。

「ひとまずお疲れ。けど、ここで終わった気になるなよ。むしろヒイロ的にはこっからがスタート地点なんだから」

「わ、わかってますっ。わたしは騎士になるんですから、こんなところで止まるつもりはありません」

 ヒイロは自分に言い聞かせるようにそう言った後、一転しておずおずと口を開いた。

「…………あの、ししょーはギュッてしてくれないんですか」

「は?」

 この弟子は突然何を言い出すんだと目を丸くすると、慌てた声が返ってくる。

「だ、だっていつも一方的に撫でるばっかりじゃないですか! しかもよくわからないタイミングで! たまにはギュッてしてくださいよ!」

「いや、え? ……え? それでご褒美になるのか?」

 夜目の薄暗い視界で、ヒイロがコクリと小さく頷くのだけがわかった。

「してあげなよ〜。ヒーちゃんはハグに飢えてるんだよ?」

 メリーさんのその言葉で密かに納得する。確かに孤児院で育ってきたのだから、与えられる愛情に飢えてるのかもしれない。

「じ、じゃあ……こんな感じで」

 僕はそっとヒイロの背中に両腕を回した。小さな身体は柔らかく、服は汗で湿っぽい。触れた手のひらから若さと運動直後の熱が伝わってくるようだった。

「あったかいな……」

 素直な感想を呟いただけだったのだけど、ヒイロは腕の中でびょいんと跳ね上がり僕の二の腕をぶっ叩いた。

「イッタ⁉︎ なんで殴った⁉︎」

「サイッテー! ししょーのバカ!」

「ルー君〜今のはキモいよ〜」

「意味わかんねえ! じゃあどうすれば良かったんだ!」

「ヒーちゃんの気が済むまで黙って抱きしめるんだよ」

「それ僕じゃなくてよくないですか⁉︎」

「ルー君はわかってないな〜」

「わかんねえよおおおおおおおおおっ!」

 僕の心からの叫びが〈魔境連野〉の夜空に鳴り響いた。


 ◇


「……およ?」

 帰還するべく、皆が脱出した際に上昇気流で荒れた荷物の中身を整理している中、ヒイロは不滅石をしまおうとして懐に収めている革袋を開いた。そして、いくつかの宝石と共に入れっぱなしだった真っ白な石のペンダントが不滅石によく似ていることに気づいた。

「ししょー!」

「はぁっ、荷物詰めすぎだろこれ……! 何だ、どうかしたか」

「これなんですけど」

 ヒイロの代わりにバックパックを整理していたヴィルにペンダントを差し出す。

「なんだか不滅石と似てるなぁって――――っふぇ⁉︎」

 万力のような握力で両肩を掴まれたと思えば、目の前にはヴィルの鬼気迫る顔があった。

「どこでこれを手に入れた」

 魔法を使ってもいないのに、瞳には緑の魔力光を宿している。

 これまで一度も見たことのない、《イデア》の時ともまるで違う表情だった。

「ルー君どうしたの〜?」

 異変を察知して様子を見に来たメリーにヴィルが何も言わずペンダントを見せる。

 反応は覿面だった。

「えっ、何でこれが……」

 声が震え、表情には恐怖すら滲んでいる。

「ヒイロ、答えてくれ。いつ、どこで、どうやってそれを手に入れた」

 有無を言わさぬその迫力にヒイロは思わず涙ぐみながら、なんとか答える。

「さ、三週間前……孤児院を出て山を降りるときに、荷車で一緒になった人から貰いました……」

「荷車で相乗りをしたんだな」

「は、はい……でも領に入ったらすぐどっか行っちゃいました」

「どんな容姿だった」

「えっと、黒髪ですっごく綺麗な人でした、けど……」

 その返答にヴィルとメリーが息を呑んだのが分かった。

 ヴィルは俯き、やがて長い長いため息と共に肩を掴む力が抜けていく。

「し、ししょー……?」

「……ごめん、痛かったよな」

「え――」

 抱きしめられる。さっきよりも遥かに強く、確かにギュッと。

 だが、それは一瞬だった。

 ヴィルはヒイロにペンダントを戻すと、己のバッグを手に取った。

「全速力で戻るぞ。もはや一刻の猶予も無い……どころか手遅れの可能性すらある」

「あの、なんでそんな急に……? これって何なんですか」

 皆、一様に硬い表情をしていて、さっきまでの祝勝ムードが嘘のようだった。

 遥か先、レント領の方角を睨みながら、ヴィルは言った。

「ヒイロが会ったのは俺の師匠せんせいだ」

 告げられた事実に、ヒイロの瞳がゆっくりと見開く。


「――――――――え」

 

 ◇

 

〈黒の侵蝕〉について僕はヒイロに伝えていないことがあった。

 いや、伝えられなかったが正しい。

 そもそも、師匠がどのように消えたのかを話すことすらできなかった。


 アレはいつだったか。正確な時期は覚えていないけど、いつも通りに酔いつぶれた師匠を宿まで運び込んでクタクタになった僕も一緒にベッドに倒れ込んだ時だった。

 そのまま寝息を立て始めるかと思ったら、師匠が話しかけてきたのだ。

「ねえ少年。〈黒の侵蝕〉がなぜボルボロス(泥)と呼ばれてるのか、知ってる?」

 今思えばあまりに唐突だったけど、当時はあまり気にしてなかったから共同墓碑に行った日だったのかもしれない。それに師匠は冒険者稼業のかたわらでずっと〈黒の侵蝕〉について情報を集めていたし、資料集めを手伝わされたことも一度や二度じゃなかった。

「知らない。黒い泥に見えるからじゃないのか」

 この時の僕は今よりだいぶクソガキで――口調はどちらかというと《イデア》の時に近かった。

 対して《イデア》じゃない時の師匠はだいぶ女性らしかった。……口調と仕草だけは。

「ううん、もっと悍ましい理由だよ――少年はわたしが死んだとして、死ぬ直前のわたしと見た目も中身も全く同じわたしが現れたら、その人のことをわたしとして見られる?」

「はぁ……? もしかしてまた遺跡の文献の話?」

「そう。『スワンプマン』って話。元の話では『ある男が沼で雷に打たれて死んだ。その雷に打たれた沼の泥が、死んだ男と全く同じ物質かつ同じ状態の物になった。果たしてこの沼男スワンプマンは死んだ男と同一人物と言えるのか』……少年はどう思う?」

「どう思うって言われても……答えが出るようなものじゃないし。っていうか、そんな状況が成立するってなんなの? 錬金術アルケミー? でも錬金術は泥を黄金に変えるのがせいぜいって師匠自身が言ってたじゃんか」

「あっはは、錬金術じゃあないよ。あくまで仮定の話。まあ答えの出ない暇つぶしだね」

「ふぅん……ああ、ってことは〈泥被り〉があるから『ボルボロス』なんだな」

 それは、話を聞けば十人中十人が導き出す帰結だったと思う。

「っふふ……あっはははははは! ははははは!」

 突然、師匠が腹から声を出して笑い出した。師匠の頭がおかしくなったのかと思った。

 目尻の涙を拭いながら、師匠は首だけを僕に向ける。

「もっと悍ましいって言ったでしょ?」

 その表情が優しかったのが、せめてもの救いだった。


 時が過ぎ、五年前。

 師匠がいなくなってからすぐ。宿を変えることになった時、部屋を掃除している際にある資料を見つけた。

 非正規の手段で手に入れた物だったのだろう――『他の人には見せちゃダメ!』と丁寧に注意書きがされていた。

 中身について要約すると、こうだ。

〈黒の侵蝕〉は遺跡から持ち帰られた〈失想概念オーパーツ〉だったが、他と一線を画する性質から当時天才と謳われた魔法使いの主導により国家機密で解析と研究が進められていた。

 ……ある意味では、【大侵蝕】はその魔法使いによって引き起こされたとも言える。

 魔法使いは実験の為に自ら〈黒の侵蝕〉に触れて、になった。

 意思を持って泥を撒き散らし、果てには大量の泥をこちら側に呼び出した。

 を討った騎士は『絶えず哄笑し続け、悍ましい言葉を吐き続けていたが、確かに意思疎通が取れた』と答えている。


 の名は〈黒の使徒ベクター〉と記されていた。


 たった一度。原理は不明。

 けれど、僕は直観していた。

 資料を見つけたあの日から、ずっと。

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