7


 次の日、ヒイロは朝早くヴィルに連れられて宿を出た。

 そうして向かったのは昨日と同じような寂れた区画。

 薄明に染まる閑散とした路地を往きながら、ヒイロは先日のやり取りを思い出す。


「鍛冶屋、ですか?」

「ああ。〈赫刃の腕ブラキシヴィニ〉は鍛冶屋の名前なんだ。店主の二つ名がそのまま店名になってる。その店主はこんな律儀に手紙を出すような人じゃないんだけど……」

「ひとまず行ってみるしかないですね」

「だな。それに丁度ヒイロに渡そうと思ってた物も置いてある」

「? わたし何か貰えるんですか?」

「ああ。不滅石っていう希少な鉱石で造られた武器だ。神話だと勇者がそれの剣を用いて祖竜を倒したって言われてる。名前は〈不毀ノ器デュランダル〉」

「かっ……こいいいぃ! 何それ何それ! 何か凄い力が秘められてたりするんですか⁉︎ 七色に光ったり⁉︎」

「いや七色に光るのは使いにくいだろ……むしろその逆で真っ白だよ」

「え、それだけ?」

「それだけとはなんだ。すごく丈夫で刃毀れしないし錆びもないから手入れ要らずの凄い武器なんだぞ。まあ、だから鍛治師はみんな嫌うんだけど」

「ほ、他にはないんですか? こう、唯一無二のナントカ的な」

「魔力を完璧に遮断する唯一無二の性質があるな。おかげで魔法や魔力を帯びた物ほど簡単にぶった斬れる。けど剣に魔法を載せることもできなくなるから一長一短」

「要するに?」

「魔力を通さない、すごく丈夫な白い武器」

「……期待して損しました」

「そう言わないでくれよ。僕には大事な武器なんだ」

「希少だからですか?」

「いや――師匠せんせいの使ってた武器なんだよ」



「そんな大事な武器、わたしが使っていいのかな……」

 ポツリとひとりごちる。

 釈然としない気持ちと、でも武器の名前かっこいいしなという気持ちがせめぎあう。

 何はともあれ自分にはどうすることもできないし……などと考えながら歩いていると立ち止まったヴィルに、下を向いていたヒイロはそのままぽふりとぶつかった。

「ここだ」

「えっ、ここ?」

 目的地だという家屋を見上げ、ヒイロは第一印象を素直に呟く。

「おばけ屋敷……?」

「人の店になんてことを」

「いや家畜小屋の方がまだ雨風凌げそうなんですけど……。なんでこんなところにあるんです?」

「組合に許可取らないで勝手に営業してるから」

「えぇ……」

 いいのかよと思いつつ、もう一度家屋を見上げる。

 廃墟のよう、というか廃墟そのものだ。看板など鍛冶屋であることを示すものはひとつも見当たらないし、赤漆喰の壁は所々抜け落ちていて、中が見えている。そうして見える家の中も殺風景そのもので、雨風に曝されて風化している始末。

 煤だらけの煙突から上がる煙を見るにここが目的の鍛冶屋で間違いないのだろうが、そうと知らなければかえって怪しく見えることだろう。

「目的の鍛冶屋は地下にあるから問題ない。中を見れば地下への階段があるはずだよ」

「いや雑草で何も見えないんですけど……。ところでししょー、その洗面用具は?」

 首をかしげるヒイロが指さしたヴィルの手元には水の入った桶と石鹸、それと大布巾がそれぞれ二つずつ引っ提げられていた。

「手土産みたいなものだよ。これが無いとまともに話せないんだ」

「へーぇ、変わった人なんですねえ」

「とびっきりにね。そして問題はそのとびきりの変わり者が今起きてるかどうかわからないことなんだけど……、まあ寝てたら勝手に踏み入るだけだ」

 ヴィルは桶を置き、入り口に取り付けられた呼び鈴を鳴らす。

 錆びているのか全く音の鳴らないそれへの反応を待つこと一分ほど。

「……来ませんけど」

「いや、来るぞ」

 次の瞬間、ダァンッ!と乱暴に木扉が開け放たれた。

「はいどちら様ァ! 今作業中だったんですがァ⁉︎」

 いきなりの怒号にヒイロは首をすくめる。

 そうして、ヴィルの鼻先を掠めた扉の向こうから現れたのは、胸元と肩までさらした布着――王都でタンクトップと呼ばれている――を着た女性だった。

「やあシャリゼ。その様子だとまだ元気そうだね」

 だが、相手がヴィルだと分かると彼女の様子は一変した。

「なんだヴィル公か! 五億年ぶりだな!」

「ああ、一週間ぶりだな」

 タンクトップ以外に特徴的なのは快活な口調と後ろ手に纏められた燃えるような赤髪、そして身体中どこもかしこも薄汚れて汗にまみれていることだった。けれど唯一の例外があった。彼女の左腕、鋼色の義腕が陽光を浴びて金属光沢を放っていた。

「そうだ聞いてくれよヴィル公、この前見せた斧剣アクスなんだけど――ってなんだそのガキ。どっから持ってきた?」

 ヴィルに豪快な反応を示した彼女は、その後ろでおっかなびっくり伺っている様子のヒイロを目にすると大げさに首を傾げた。

「弟子のヒイロだ。今日は彼女の装備を見繕いたくて来たんだけど、」

 一息に話そうとしたヴィルだが

「ヴィル公の弟子! マジかよ! ……弟子? お前弟子ってことはあれか? なんだっけ……まーいいか! 何はともあれよろしく、かわい子ちゃん!」

 赤髪の彼女は勝気に笑ってヒイロに左手を差し出すが、当の本人は全く勢いについていけていない。

「へっ? あの、腕っていうかく――うっ!?」

 ヒイロは鼻を痛烈についたその匂いに、表情を歪めて口元を覆った。

 端的に言って、くさい。

「あん? どうした……ってあー悪い悪い、一週間くらい篭ってたからくさいわな」

 笑って髪留めを外しながらヴィルの方へ向き直ると、彼女はばっと両腕を広げた。

「よし、頼んだ!」

「はぁ……頼まれた。――《渦巻き囲め、我らの稚児ちごを――風の籠繭エアロ・コクーン》!」

 ヴィルは大きくため息をつき、桶に入った水と石鹸と乾布巾を放り投げる。同時に風で以ってそれらを彼女の周囲でかき混ぜる。水と布巾によって石鹸は瞬時に泡立ち、そうしてできあがった即席のシャワーが彼女を包み込む。

 そのまま十秒ほど泡と水と風をかき混ぜ続け、泡だらけになった彼女に二つ目の水桶をぶちまけると、乾いた布巾タオルを投げつける。

「ひゃーすっきりした! 悪かったなー、こんな可愛い子が来るなら流石にシャワー浴びとくべきだったぜ。ま、ウチにはそんなもんねーけど」

 渡された布巾で雑に頭や身体を拭く様は、文化的な人間というよりも雨に濡れた獣のそれを思わせた。

「頼むから毎日浴びておいてくれ。また客に逃げられるぞ」

「なははは! 違いないや!」

 から布巾タオルで頭を拭きながら、彼女はあっけらかんと笑う。

「あの、要するにこの人はどういう……?」

 ただただ困惑しているヒイロに、ヴィルは顔に飛んできた水滴を払いながら彼女の素性を端的に説明する。

「シャリゼ・エデン。元騎士で現鍛治師。武器と防具を作りあげるためなら天地がひっくり返っても工房に引きこもる変態。そのせいで強制洗浄しないと会話ができない」

 主ににおいのせいでな! とヴィルは怨みの籠った視線をシャリゼに投げた。

 どうやら水桶だの石鹸だのはそのためだったらしい。

 合点がいったヒイロが手を打つと、ヴィルは口ごもりながら首に手を当てた。

「まあでも、鍛治師としては文字通りに“凄腕”だよ。それだけは確かだ」

「おいおいなんだよ普段そんなこと言わないのに今日は優しいじゃんかよー!」

「せっかく弟子に対してフォローしてるんだから自分から印象下げるようなこと言うなよ!? やりにくい奴だなほんとに……」

 ヒジで突くシャリゼとそれをうっとおしげに手で払うヴィル。

「シャリゼさんとししょーは仲が良いんですね」

 ヒイロの眼にはふたりの関係性がとても良いものに思えたのだが、

「は……」

 ヴィルは凍りついたように固まり、

「なはははははは! 聞いたかヴィル公アタシら仲良いってよ!」

 シャリゼが爆笑してヴィルの肩をバシバシと叩く。

「えっと、良くないんですね……?」

 まるきり否定されているというのに、まるでそんな気がしないのはなぜだろうか。

「良いも悪いも、見てのとーり。時たま武器を診てもらう代わりに汚れを落としてやる奴と、時たま武器を診てやる代わりに汚れを落としてもらう奴。それだけさ」

 シャリゼは片頬で笑い、まだ濡れている髪をかきあげながら左手を差し出した。

「つーことでヴィル公のご紹介に与ったシャリゼだ。よろしくな」

「ひ、ヒイロです。よろしくお願いします」

 おずおずと左手を握り返したヒイロに、シャリゼはわずかだがその双眸を眇め、そして笑った。

「ん、よろしくヒイロ嬢。ウチを頼ったからにゃあ損はさせないぜ」

 

 ◇


 階段を降りる靴の音を響かせながら、シャリゼはくだんの手紙をつまみあげてみせる。

「ナニコレ。アタシこんなん知らねーぞ」

「やっぱり……こんなの書いて出すような性格じゃないもんな」

「あたぼうよ。こんな回りくどいことするくらいなら直接かましに行くぜ。まあそんなもんより――ようこそ〈赫刃の腕ヴラキシヴィニ〉へ!」

 芝居掛かった仕草で開けられた鉄扉をくぐればそこはシャリゼの根城、もとい鍛冶屋だ。

「ほわぁ……」

 本来であれば光の届かないはずの地下空間は天井に取り付けられた魔光石マギカライトによって明るく照らし出されている。

 そして明かりの下、未だ担い手と戦場を知らぬ武器、防具が地下空間の大部分を占めていた。

「ししょー、すごいです! 武器がいっぱいです!」

 先ほどまでのおびえた様子はどこへやら、今やヒイロは武具を前にして目をらんらんと輝かせていた。

「はしゃぐのはいいけど転んでひっくり返さないようにな」

「はーい!」

 僕の注意に元気よく返事をしたヒイロは部屋に並べられた武器を順繰りに見ていく。

「ふおお……見たことないモノばっかりです」

「どれも業物だよ。……本当に、こんなところで違法営業してるのがおかしいくらいには」

 次々に業物を作り出すその腕前は王都お抱えの最高級鍛治師マスタースミスにも引けをとらないだろう。

 そしてシャリゼは作れる武器種の幅も広い。目に入るだけでも両手剣ツーハンドソード斧槍ハルバード三節棍トライスタッフ投擲短剣スローピック戦鎚メイス太刀ブレード弓矢アローなど、古今東西の多種多様な武器が取り揃えられている。珍しい所ではモーニングスターが置いてあるが、これは彼女の趣味だ。

 武器以外には全身鎧や補助器具、鎧の下に着るくさり帷子かたびらなど一通りの防具が揃っていた。

 これだけでも鍛治屋として十分すぎるけど、シャリゼの真骨頂は別にある。

「おいおい、そんなフツーのもん見たってつまんないだろ。こっち来いよ」

 招かれるまま僕らが工房の中に入ると、熱気に出迎えられた。シャリゼの言っていた通り、つい先ほどまで作業をしていたことが伺える。

 そして壁の半分以上を覆う棚の前にある作業台には巨大な武器が鎮座していた。

「ああ、言ってたやつか。完成したんだな」

 シャリゼは新しい武器を試作すると言って、つい最近まで僕にいくつかの素材回収を依頼していた。先ほどシャリゼが僕に言おうとしていたのはこれのことだったらしい。

 ヒイロが形状から武器の名称を推察する。

「斧、ですか?」

 それは斧剣アックスと呼ばれる斬撃武器。

 柄の両方に刃が付いているのが特徴で、斧槍ハルバードよりも攻撃的な諸刃の斧だ。

「おうともさ。けど、ただの斧じゃないぜ――ちょっと見てな」

 シャリゼはヒイロを下がらせると斧を手に取って構える。

「ここを押すと……っ、こうなる!」

 両手で持ったに力を込めると斧の両刃が音を立てて柄の中ほどまで下がり、巨大な剣と化した。

「おおおおおおおー⁉︎ なんですかこれ!」

変形斧剣スラッシュアクスさ。つい半年ほど前に出土したばかりの失想概念オーパーツだ」

「お、おー……ぱ?」

 ヒイロは聞きなれない単語を耳にして首をかしげた。冒険者になったばかりだから知らないのも無理はないだろう。

「オーパーツっていうのは遺跡ダンジョンから出土する物品のことだよ。大抵のものが超文明的な発想と技術で作られていて――シャリゼの〈赫刃のブラキシヴィニ〉なんかがまさにそうだな。魔法有史以前の産物って説が有るらしいけど、真偽は不明」

「へえ〜……」

 ヒイロがとりあえずといった感じで頷いてるけど、これはわかってないやつだな。

「ま、そんな希少なモンだからオーパーツは見つけ次第お国に差し出さなきゃいけないわけだ。でもアタシは欲しかった。だから作った」

 シャリゼは両の手のひらを上にして、いたずらっ子のように笑う。

「そのためにわざわざダンジョンまで行って設計図を手に入れてきたんだしな」

 そう。シャリゼの真骨頂は『オーパーツを複製できること』だ。

 複製に成功したのは設計図を入手することのできた二種、それも武器のみ。けれどオーパーツを複製したというだけで彼女の“凄腕”には千金以上の価値がある。ただ、そのことを知っている人も限りなく少ない。レント領では僕を除けば三人程度だ。

「すごいですっ! シャリゼさんは強いんですね!」

「へへっ、まあな!」

 ヒイロから羨望の眼差しを受けて得意げに鼻をすするシャリゼ。

 たしかに彼女は文字通りの凄腕だ。

 けど、訂正しなければならないことがある。

「シャリゼが強いのは事実だけど、ダンジョンから設計図を持ち帰ったのは僕だぞ」

「えっ」

 するとヒイロは途端に微妙な顔をした。「なーんだ」

「なーんだってなんだ!? そこは師匠を褒めるところだろ!」

「だってししょーならまぁ……って感じじゃないですか」

「まぁって感じ、じゃないんだが」

 さてはこいつ僕のことナメてるな?

 なんとかして見直させたいところだけど、それは別の機会にすることにして僕はシャリゼの方を向いた。シャリゼもそれだけで理解したらしい。

 斧を作業台に戻して、再び売り場に出る。

「ヒイロ嬢の装備だっけか。何が欲しい、ってかどこをやるつもりなんだ?」

「そうだな……僕と二人だから実際は中堅ミドル後守リアになるだろうけど、動きやすい方が良いだろうから前衛フロントの装備が欲しいかな」

「フロントね、おっけー。フワッフワでカッチカチのヤツ用意してやるよ。得物は? 短杖ワンドとか持ってるからいらない感じ?」

「そのことなんだけど……」


 僕らがここに来ることになった経緯をざっと話すと、シャリゼはハッと一笑した。

「外界に怯える《イデア》なんざ、ずいぶん難儀な星の元に生まれついたもんだな。適性がないどころの騒ぎじゃねえ」

「魔法の才能自体はあるはずなんだけど……」

「《イデア》含めて才能だろ。いくら立派な武器持ってそれを振る腕があっても戦場に立つ勇気がなくちゃ意味ねぇよ」

「……否定はできない」

 シャリゼは左腕を失くすまで王都で騎士として活躍していた。言葉の重みが違う。

「でも、だからこそシャリゼを頼ったんだ」

「へいへいまいど。で、結局何を用意すりゃいいんだ? 剣の一本くらいなら鍛えてやっけど」

「いや、剣ならもうシャリゼの元にある」

「は?」

 シャリゼが何言ってんだこいつとでも言いたげな顔で僕を見る。

「師匠の剣だよ。預けただろ、五年前に」

「いや……覚えちゃいるけどよ」

 シャリゼはガシガシと頭をかきながら下を向く。

「もしかしてヒイロ嬢に渡すのか?」

「それ以外に何がある」

「……てっきりアタシは思い出の品として後生大事に取っておくのかと思ってたぜ」

「あんなの思い出の品にするくらいなら売っ払って美味しいもの食べるよ」

「はは、さすがは冒険者さま。宵越しの金すら持たないってのは本当なんだねえ」

「いや、僕はきちんと貯金してある」

「……ヴィル公はそういうやつだよな」

 シャリゼがため息をついたと思ったら突然すねのあたりに痛みが走った。

「痛っ⁉︎」

 とっさにすねを押さえる。シャリゼが僕の膝に蹴りを入れてきたらしい。なんで?

 けれど、シャリゼは僕の困惑など華麗にスルーして工房に戻っていってしまった。

「今のはししょーが悪いです」

「納得がいかなさすぎる……」

 さめざめと痛むすねを撫ですさっていると、工房からズゴゴゴという地鳴りのような音が聞こえてくる。

 ヒイロはとっさに僕のマントをギュッと握ってきた。

「なっなに何の音⁉︎」

「シャリゼが隠し扉っていう名のただバカ重い棚を動かしてる音だよ。奥にあっただろ」

 音の正体を教えてやりつつ、ヒイロの手を羽織から剥がそうと試みる。

「ありましたけど……え、あれ動くんですか?」

「動く、というよりシャリゼなら動かせる。っていうかそんなに強く握りしめるな取り返しのつかないことになる!」

 そんな会話をしていると再びズゴゴゴと音がして、工房からシャリゼが出てきた。

 右手には抜き身の真っ白な剣が握られている。……〈不毀ノデュランダル〉だ。

「ほら、持ってきてやったぜ」

「ああ、長い間ありがとう」

 そうして僕は差し出された剣を何の気なしに受け取ろうとして、

「おう。けどその前に――一発我慢しろ」

「は?」

 視界の右側に、迫りくる鋼鉄の拳を見た。


 ◇


 鈍い音がして、真隣に立っていたはずのヴィルが視界から消えた。

 ヒイロは何が起こったかわからず立ち尽くす。が、後方から激しい金属音が連鎖的に轟いて弾かれるようにそちらを見た。

「いっ……てぇ」

 ヴィルは武具諸共に店の反対側まで吹っ飛ばされており、壁際で武具の山に埋もれて呻いていた。

「なっ、なにするんですか⁉︎」

 ヒイロは反射的に、ほとんど悲鳴に近い声でシャリゼを非難するが、ヴィルを殴り飛ばした当の本人は赤い光と白煙を漏らす拳を下ろさず、静かにヒイロを見据える。

「ひっ……」

 シャリゼの強烈な圧に、ヒイロは思わず声を漏らした。

 先ほどまであったはずの快活な笑みは欠片もなく、一切の表情を排してそこに立つ。

 シャリゼは瞳に瞋恚の炎を灯して口を開いた。

「ヴィル公の憤懣ふんまんかたない行動にけんをひとつ入れたまでです。あの程度、彼にとっては柔風と同等以下ですのでご心配なく」

「……………………え?」

 先ほどまでざっくばらんにヴィルとやりとりを交わしていたはずのシャリゼの口から出ていたとは思えない、慇懃な口調だった。立ち姿もどことなく気だるげだったのが、真鍮製の背筋にでもなったかのようにまっすぐ隙のないものになっていた。

 総じて、魂が入れ替わってしまったような豹変ぶりである。

「…………だ、誰?」

「シャリゼですよ。これが私の《イデア》です。ヴィル公の《イデア》を英雄性とするなら、私のは誠実性といったところでしょうか」

「な、なるほど」

 その言葉を聞いてシャリゼの振る舞いに合点がいった。

(……それにしても、ここまで変わるなんて)

《イデア》というものは本当に別人格となるらしい。

「騎士として国に仕えていた頃は〈規範たる騎士ノゥムナイト〉と揶揄やゆされていました。もっとも、左腕を失くしてからはあまり出さないよう控えていましたが……私もまだまだ未熟ですね」

 極めて沈着に話していたシャリゼだが、そこで初めて自虐的な笑みを浮かべた。

 だが、ヴィルの方を見ると姿勢がみるみる弛緩していき、

「ま、ヴィル公だからいいか」

 ため息混じりの発言に、ヒイロはシャリゼが戻ったことを察した。

「なんでししょーを殴ったんですか」

「さっき言ったろーが。あっちでノビてるアホンダラにムカついたからだよ。……ったく、弟子とっても強がりは変わりゃしねえ」

 吐き捨てるように言ったシャリゼはふと何かを思いついたように目を眇めると、手に持つ〈不毀ノデュランダル〉を弄びながらヒイロを見た。

「……なあヒイロ嬢、お前らはを取りに来たんだよな」

「そうですけど」

 ヒイロが頷くとシャリゼは意地悪そうに片頬をつり上げて笑い、

「ひとつ提案がある」

「イヤです」

「即答⁉︎ まだ何の提案かも言ってねーだろ!」

 予想だにしなかったその返答にクワッと吼えた。

 だが、ヒイロは一切臆さない。

「どうせ『〈不毀ノデュランダル〉が欲しければ〇〇しろ』みたいな要求を吹っかけてくるんです! 知ってます! そんな要求呑むくらいなら要りません!」

 本心だった。いきなり師匠を殴り飛ばす人間の指図など、どんなものであろうと聞き入れるつもりはない。

「そうだけども! まずアタシの提案を聞いてくれよ」

「イヤです! 聞きません!」

「いいから聞けって! 何なら〈不毀ノ器〉もやるから!」

「イヤで……え?」

 断固として聞かないつもりだったが、耳を疑うような発言にシャリゼを二度見する。

 シャリゼは足元に転がっていた鞘を手に取って〈不毀ノ器〉を収めた。

「アタシは別に〈不毀ノ器〉を手放したくないわけじゃねえし、ヒイロ嬢を困らせたいわけでもねえ」

 淡々とした口振りはそれが本心であることを告げている。そして、本心であるなら訊ねなければならないことがある。

「ししょーが何かしたんですか」

 ヒイロは奇を衒うことも誤魔化すこともなく、まっすぐ訊ねた。

 その問いかけに、シャリゼはおかしくてたまらないといった様子で口元を歪める。

「いいや、

「……? それならどうして、」

 疑問を口にする途中で気づく。

 言葉を止め、呑む。

 息を深く吐き、大きく吸って、見据える。

「……わたしはですか」

「はは、いいな。そうこなくっちゃ!」

 シャリゼはその場にどっかりと腰を下ろし、ヒイロを手招く。

 ヒイロはおずおずと近寄っていき、シャリゼの提案を聞いた。

「――え、、ですか?」

「あたぼうよ。簡単だろ?」

「それだけでも簡単でもないと思うんですけど……」

「細けぇこたぁいいんだよ! 勢いでなんとかなる!」

 シャリゼは膝を打って立ち上がり、鞘に収めた〈不毀ノ器〉を差し出す。

「それじゃあ楽しいお食事会といこうぜ」

「……やってやります」


 ヒイロは決意して、鞘を取った。

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