2020.5.
なをさすは
夢を見た。
毎回同じ夢だった。
灰と紫の粉が混ぜられた中に、水をたっぷり注いだような、薄い色の着物を着た人だった。
大きな紫陽花の葉で、顔を覆い隠している人だった。
私はその人に名を告げる。
名を訊く。
夢の中に入れば、以前も同じやり取りをしていると思い出すのに、どうしてか律義に繰り返す。
その人は、紫陽花の葉に、人差し指、中指、薬指の三本の指を揃えては添えて、言う。
これがわたしの名です。
ここで、夢から覚める。
いつもならば、夢の中身は忘れる。
けれど今は覚えていた。
昨晩から今朝方までに、大きく、小さく、鳴り響いていた雷の所為だろうか、
名前は紫陽花なの?
尋ねれば、いいのかと、返される。
私は困惑した。
名を言っていいのか、と、返されて、いいですと即答できないなにかがあった。
「呼ばれたくないの?」
「いや、どっちでも、」
「はあ、」
「まあ、あなたが、呼びたいなら、呼ばせてやってもいい、」
「はあ、じゃあ、紫陽花」
「違います」
「じゃあ、今回はこの辺で」
「覚えていたら、続きをしましょうか」
忘れる。
私は思った。
その人もそう思っていただろう。
この刻だけの奇跡で、
雷がもたらした悪戯だった、
「…だったはずなんだけどねえ」
「うるさいですよ、さっさと手を動かしなさい。まだまだまだまーだ、抜くべき草があるんですからね。あ、こら、それは抜いてはいけません」
なぜか、私は現実で、非現実的な場所で、草むしりをしていた。
忘れているはずの夢は覚えていて、
当たるはずがないだろうと思って言った名が見事的中して、
その名前が封じていた記憶を解く鍵になっていたらしく、
記憶を取り戻した私は、記憶を消す前の私が持っていたこの土地の整備をしなければいけなかったらしく、
こうして今、草むしりに勤しんでいるというわけだ。
いや、雨が降ってくれたおかげで面白いくらい簡単に草むしりできるんだけど。
「こんなさ、仙人が住んでそうな世界ならさ、紫外線とかどうにかできない?」
「無理ですね。こら、それはだめだって言ったでしょう」
「あー、まだ完全に記憶が戻ったわけじゃないんだって」
「はあー。せっかく解放されたと思ったのに。仮面もまだ解けやしないなんて」
「はいはい。仮面だけ解いてもらおうと思ってたんですよね。残念でしたー」
「夢の中ならどうにかこうにかできると思ったんですけど」
「はいはい。私も夢のままならよかったですよ。せっかく、封印してたのに、」
「あなたがわたしの仮面を解かないで自分の記憶を封じたのが悪い」
「あーあーあ。生き生きしてる草を見習って、くさくさすんじゃない」
「なら風にも雨にも太陽にもめげない草を見習いなさい。すぐに木陰で休もうとするんじゃありませんよ」
「こまめな休憩は必要なんですよー」
「こまめすぎます」
「あーうるさい。今日は終わり。私は寝る」
「あ、こら……まったく、」
夢を見る。
仮面を破って、この人を見返す夢を。
夢を見る。
この人に仮面を外してもらって、微笑んでもらう夢を。
「わたしは、どっちを望んでいるんでしょうねえ」
この期に及んで、答えを絞れず、
すやすや眠りに就くこの人の隣に寝転び、目を閉じた。
疲れた、暑い、きつい。
ぼやきながらせっせと草むしりをするこの人の夢を見た。
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