2019.6.

梅と飲み水




 両の手でへりを掴んで覗き込んでいたら、ぷかぷかと、いつの間にかガラス瓶が浮かんでいた。

 いつものように、


 口の端を上げて、片手でへりを掴んだまま、片手で垂直に浮かぶガラス瓶を持ち上げて、素早く胸に抱きこむ。

 前のめりになってしまうのは、容器と、容器の中に所狭しと詰め込まれた食べ物が要因。

 形は、小さくて、丸くて、しわしわ。

 色は、汁が透明度の高い紅で、実が年季の入った紅。

 味は、酸っぱくて、仄かに甘さが残る。

 保存食、病人食として重宝されている食べ物の名前を、私たちはまだ知らないし、どうしてか、名付ける気にもなれない。



 

「また一人サボったってよ」

「また?」

 

 音なく隣りに立つ声の主は、顔を確認せずともわかる。

 毎日毎日飽きもせずに会っているから。


「風習とは言え、どこから出現してきてんのかわかんねえもんの為に地道に積み上げんのは面倒。もう上に行く、だそうだ」

「この風景を守りたいとは思わないのかな?」

「記録したもんで十分だそうだ」

「風情がないね」


 ガラス瓶を床に置いて、またへりに両の手を置いて、中を覗き込む。




 一か月は白の花びら。

 一か月は白と紅が混ざり合った花びら。

 一か月は紅の花びら。


 この三か月は花びらが覆っていて、中が見えない。

 さらに八か月は木の根っこが覆っていて、中が見えない。 

 中が見えるのは、一か月だけ。

 この一か月間に、この贈り物が届けられる。


 


「ここがどこかに繋がっていると考えて飛び込んだら、消滅したんだっけ?」

「飛び込んだやつごと、この井戸もな。冒険心が強いから、じゃあないだろうな…なんだ?飛び込みたいのか?どうしてもと言うなら止めはしないぞ」

「しないし。それより、今日の予報は?」

「変化なし」


 毎度おなじみの会話をさっさと切り上げて、次の動作に向かう。


「じゃあ、ここは積み上げなくてもいい、かな。ほかの点検に行こうっと」


 掴んだ櫂を水中に下ろして、一度だけ井戸の方向へ押せば、易々と木の板は動き出す。

 これでもう櫂の出番は終了。

 あとは勝手に木の板が次の井戸まで連れて行ってくれる。


 

 

 海に呑み込まれたこの星は一つだけ風習が残っている。

 海水に触れさせないように井戸を積み上げ続ける事。

 海水は増える事こそあれど、減る事はない。

 故に、海水が井戸の中に入らないように、へりを積み上げ続ける。

 宇宙へ行かず、この星に留まる者の役目であった。



 透明度の高い水の中に鎮座する植物。

 背は低いながらも重厚感のある幹と枝。

 夜色のそれらに決して交わらず、けれど、うるさく主張する事もない深緑の葉。

 天気のよい昼間のお日様のような実の端っこには時折、新緑の葉の色が流れ、中央には、嬉しさに染まる頬のような色が広がっている。


 見るだけで、決して触れられないそれらを守る事が、留まる私たちの役目。

 名もなき食べ物の贈り物は、ご褒美だと受け止めている。

 この井戸の奥底に繋がっている世界からの。


「さあって、と。ここは積み上げたほうがいいね」








 


 この島の梅の木が枯れることあらば、

 この星の飲み水は枯れ果てる。

 

 そんな伝説が残るこの島に存在する三十九の湖。

 今では二つ枯れてしまい、残り三十七。

 大小形は様々なれど、共通しているものが一つ。

 すべての湖に、一本の梅の木が沈んでいたのであった。




 ある一つの湖の前。

 代々この島を守る巫女は膝を地に付けて、梅干を程よく詰め込んだガラス瓶を滑らせるように水中へと入れた。

 音なく沈みゆくガラス瓶を眺めながら、両の手を合わせて感謝を述べた。

 



 枯れていたり、

 蕾を付かせていたり、

 花を咲かせていたり、

 葉が茂っていたり、

 異なる様態の梅の木がある中で、実を成らせている湖の中に、梅干を捧げよ。

 さすれば、この星の水は安泰になる。

 かもしれない。




 安全を狙う伝説だなと呆れはするものの、途切れさせた事は一度もなかった。

 信じているから、というよりも。

 感謝を忘れない為、という理由のほうが大きいからかもしれない。




「さて、と。あと五か所だったわね」


 ガラス瓶の姿が追えなくなるまで見届けてから立ち上がり、脇に置いていたガラス瓶が入っている袋を背に負って、注意しながらも、ガラス瓶同士がぶつかり合う音に合わせながら、鼻歌交じりに次の湖へと向かった。







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