第99話 決着


 春が終わり、夏らしい温かさとなり、晴れ渡る日が多くなり……曇り空の多いこの島で雲を見かけることがめっきりと無くなった頃。


 ロビンを通じて首都リンディンのビルから手紙が届く。


 それは厳重に封がしてあるものの、暗号などは使用されておらず、キャロラディッシュに重要な情報を報せようとしてはいるが、その情報が秘匿するような情報では無いことを……世間に漏れても問題無い情報であることを示していて……モヤが霞む早朝に庭に降り立ったロビンから手紙を受け取ったヘンリーは、何事だろうかと首を傾げながらその手紙をキャロラディッシュの寝室へと持っていく。


 そうしてすやすやと眠るキャロラディッシュを起こしてその手紙を渡すと、眠気の残る目で封を解き、眠気で痛む頭を懸命に働かせながらそれを読み……そうして目を丸くしたキャロラディッシュは、


「なんとまぁ」


 と、そんな声を上げる。


「何が書いてあったんですか? キャロット様」


 ヘンリーがそう尋ねるとキャロラディッシュは……ベッドから起き上がり着替えをしながら言葉を返す。


「邪教との戦いが決着したそうだ。

 世界各国から集まった傭兵達のおかげで戦況が一気にこちらへと傾き、そのまま連中を押しつぶし、連中にとっての聖地を制圧したとのことだ。

 連中は壊滅となり……幹部のほとんどを捕縛。

 一人だけ逃してしまったようだが、その追跡も順調で捕縛は時間の問題……長らく続いた戦争がいよいよ終わろうとしているようだ」


「はー、それはそれはおめでたいですねー」


 と、そんな返事をしてみたものの、ヘンリーにとって邪教との戦争は他人事だった。

 

 ソフィアの件やマリィの件など間接的には関わっている問題かもしれないが、直接的に戦争がここでの生活に関わることはなく、ここでの日々は平和そのもの、戦争の気配を感じさせたことはない。


 そんな状態で戦争が終わったと言われても、今ひとつピンとこないというか、現実感がないというか……ヘンリーにとってそれは結局のところ、他人事でしか無かったのだ。


 キャロラディッシュにしてもそれは同様だった。

 戦争に関わっているし、戦争が早く終わってほしいとも願っていたし、そのために資金を使いはしていたが……戦場に出たことはなく、戦争に直接的に関わったことはなく、終わって良かったと思うし、終わって世界はこれからどうなるのだろうという思いもあったが……やはり他人事、キャロラディッシュの毎日に影響があることではなかった。


 そうして朝食の時間となって、ソフィアとマリィと、他の猫達やウィクルにそのことが伝わっても……屋敷とその周辺の毎日は変わることはなかった。


 ウィクルは少し驚き、戦場に出られなかったことを残念がっていたようだが……平和になったことは喜ばしく、娘のことで悩む必要もなくなることから終戦を素直に喜んだようだ。


 ソフィアとマリィもまた終戦に驚き、平和を喜んだようだが……まだまだ幼い子供である彼女たちにとって戦争は、キャロラディッシュ達以上に他人事で……その生活が特に変化することはなかった。


 食事を終えたらキャロラディッシュと共に散歩をして、それが終わったらキャロラディッシュの授業。

 

 それが終わったら昼食をとって休憩をして……自由時間。


 魔術の練習をするもよし、礼儀作法を学ぶもよし、学問にあてるもよし、そんな自由時間をソフィアとマリィは、今日は心地よい晴天だからと皆で遊んだり散歩したりして過ごすことに決めて……ヘンリーとアルバート、それとロミィを連れて、屋敷を出て敷地内を宛もなく歩いていく。


 牧場の側を通れば動物達の匂いがして、そこを過ぎれば夏の青葉の匂いが漂ってきて、爽やかな風が吹いてきて、時には爽やかな花の香りまでが漂ってくる。


 そんな中を気心の知れた皆と歩くのはとても楽しく、ただ歩いているだけのことが何よりの娯楽で……皆で笑顔になって他愛のないことを話して。


 そうやって平和としか言いようのない時間が流れていって……それなりの時間が流れた頃に、ソフィア達の頭の上、上空と呼ぶべき場所を一つの魔力が突き進んでいく。


 それは人であるようだ、キャロラディッシュの張った結界を避けるためにかなりの上空を飛んでいるようだ。


 それは男で老人のようで、その顔は明確な悪意に染まっていて……その黒いローブに刺繍された白い二本の線は彼が邪教徒であることを示していた。


 敵だ。逃げたという邪教徒幹部の最後の一人に違いない。

 そうでなくてもあれは敷地内に不法に侵入した犯罪者だ。


 そうとなったらソフィアとマリィ、二人の行動は早かった。


 相手が何をしに来たか? そんなことは関係ない。

 恐らくはキャロラディッシュを逆恨みして、一矢報いてやろうとやってきたのだろうが、そんなことは今はどうでも良い。


 それが邪教徒であろうとなかろうと、そこにいるのは敵なのだから、犯罪者なのだから、ただただ冷静に対処するだけだと、しっかりと持っていた杖を手に取り、目をつむり心の樹に……すっかりと大樹となったそれ念じて魔術を発動させる。


 瞬間、大樹の枝が具現化する。

 地面から……二人の足元からそれぞれ一本ずつの枝が生えて、上空にいる邪教徒へと……邪教徒以上の速さで、数倍の速さで迫っていく。


 邪教徒はすぐにそれに気付いて回避をしようとするが、素早く伸びてくる枝は木の枝とは思えない程に柔軟に曲がり、そこまでやってしまったらねじ切れてしまうのではないかという程に捻られ、それでいて邪教徒の行く手を塞ぐように……キャロラディッシュの下には絶対行かせないとの意思を持って動き続けて、執拗なまでに邪教徒のことを追い回す。


 邪教徒もただ追われているだけでなく、彼らの魔術……呪術と呼ばれるもので、反撃を試みるが、その手から放たれた黒い炎は全てキャロラディッシュの結界に阻まれてしまい、ソフィア達へと届くことはない。


 雷も石礫も雹も、何を放っても結界が全てを阻んでしまう。


 だというのに結界の内側からは容赦なく枝が伸びてきて……邪教徒のことを追い回し続ける。


 そうやって上空で抵抗を続けた邪教徒は……キャロラディッシュの命を狙ってきた老齢の男は、深い絶望を抱くことになる。


 名高いキャロラディッシュにやられてしまうのならまだ分かるし、納得もいくのだが、自分が今相手にしているのは年端も行かぬ少女だ。


 明らかに幼く、未熟で、取るに足りない存在であるはずなのに……それを相手に今自分は苦戦してしまっている。


 夢も故郷も聖地も何もかも失って、せめて一矢報いるはずだったのに。

 その機会すら今失われようとしている……それもあんな子供達に。


 そうして邪教徒が深い絶望の中に沈みかけたその時だった……誰のものとも分からない、重く響くしわがれた声が響いてくる。


『愚か者め、どうあれ魔術は心で扱うもの。

 そんな風に心を乱してあの子達に敵う訳がないだろうに。

 その程度では儂が相手をする必要すらないわ』


 その声に邪教徒が驚き、心を乱し、その動きを止めてしまったその時だった。

 凄まじい轟音を上げながら、驚く程の速さで毛深い雄牛がこちらへと駆けてきて……その背に乗るウィクルから、常識外の長さの長槍が投擲される。


 それは凄まじい速度でもって……二人が操る枝以上の速さで邪教徒に迫り、邪教徒の胴へとぶち当たり、邪教徒はその衝撃と痛みと深い絶望で全ての魔力を手放してしまう。


 そこに二本の枝が迫ってきて……そうして邪教徒はその身を、枝に絡め取られてしまうのだった。

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