第91話 貴族令嬢


 元々ソフィアは貴族の家に生まれていて、貴族の家の子として育っていて……貴族のなんたるかを弁えた子供であった。


 以前領地巡りをした時などは特にそれが顕著で……キャロラディッシュの名と家を継ぐ覚悟をした上での相応しい振る舞いを見せていた。


 キャロラディッシュとしてはそれで十分で、後は歳と共に成長していって、適当な時期を見て良き伴侶に恵まれればそれで良いと思っていたのだが……冬を乗り越え春を迎えた辺りからソフィアは、キャロラディッシュが想定していた以上の目まぐるしいまでの動きを見せ始める。


 まずは政務。

 普段はキャロラディッシュがビルに指示を出して処理していた公爵としての政務の一部を、ソフィアが後学のためにと……今後のためにと自ら行いたいと言い出し、試しにとほんの一部を任せてみた所、それを完璧なまでにこなしてみせた。


 難しい仕事は任せなかったし、数もほんの僅かで……確かにその程度であれば、ソフィアの年齢でも出来ないことも無いのだろうが、一切のミスなく淀みなく、完璧にこなすとなると話が違ってくる。


 初めて政務に挑むとなればミスがあって当然で、分からない所があって当然だというのに、それを一人で誰にも頼ることなく完璧にこなすというのは……長年公爵を務めてきたキャロラディッシュでさえ難しいことであった。


 そして交友。

 ソフィアの親戚筋や、キャロラディッシュの親戚筋、果ては王家にまで手紙を送り……相手を不快にすることなく、かといってキャロラディッシュの家格を下げることなく、見事なまでに対応し、手紙を通じて言葉を交わし合い……それらの中から有望株、話が通じる相手、利によって動くだろう相手を見極め、選出し……折を見ての顔合わせの約定まで交わしてしまった。


 本来であれば誰か親しい者に紹介してもらうだとか、某かの折のパーティなどのめでたい席で、明るくなった空気の中で少しずつ縁を繋いでいって、約定に至るものなのだが……それをまさか手紙だけでやってしまうとは。


 幼いこと、女であること……哀れな過去を持つ養子であること。


 それらを見事に武器とし、手紙上の文字だけで相手の感情をふるわせ……そうして確かな繋がりを得るというのは、交友というものを数十年やってこなかったキャロラディッシュでは到底できないことだろう。


 そして商売。

 キャロラディッシュ家は公爵であると同時に複数の会社や運河や、商船を所有する商家でもある。

 それを継ぐともなれば当然、商売にもある程度通じていなければならないのだが……キャロラディッシュはその辺りの全てをビルに任せているため……はっきり言ってしまうと商売に関しては常人以上に疎い状態にある。


 そんな状態のキャロラディッシュではソフィアに何かを教えることは出来ず……貧しい家の生まれのソフィアもまた同じくらいに商売に疎い……はずなのだが、どういう訳だか商売においてまで才を発揮し、キャロラディッシュから預かった小遣いでもって、いくらかの会社の株券の売り買いを行い……それによりちょっとした家が一つか二つ買える程度の財を築いてしまっていた。


 ビルという人脈と、首都リンディンまで素早く行き来してくれるコマドリのロビンという存在があってのことではあったが……こんな田舎に住まう、それもまだまだ幼い子供がこんなことをしでかすなど前代未聞のことだった。


 その上ソフィアはそれらのことをやりながら……キャロラディッシュならば机にかじりつきになるだろう、いくつもの作業をこなしながら、今まで通りに元気に遊び、学び……アルバートやマリィという友人とのひとときもしっかりと過ごしているという、とんでもないことをやってしまっていた。


「むぅ……」


 ある日の昼過ぎ、久しぶりのサンルームへと出て、いつもの椅子に腰をかけて……サンルームから見える屋敷の側の一帯で元気に駆け回るソフィア達を見やりながら、キャロラディッシュがそんな声を上げると……サンルームの掃除をしていた老猫グレースが、箒をゆっくりと、丁寧に動かしながら声をかけてくる。


「どうしたのですか? 気もそぞろといった様子で大好きな研究を疎かにするなんて……。

 らしくないですよ」


 その声を受けてキャロラディッシュは、髭を撫でながら言葉を返す。


「う……む。

 ソフィアがな、まさかあそこまで出来る子だとは思わなかったというか……いや、優秀で真面目な才媛であるのはよく理解していたのだが、まさかここまでとはと驚いておるのだ。

 その上、優しく誠実で……あの子であれば良い跡取りになると思っていたのだが……こうなると良い跡取りどころか、キャロラディッシュの名が始まって以来の傑物として世に名を馳せるかもしれんと思ってな……。

 戦争が終わり、これから様々なことが変化していくことになるのだろうが……もしかしたらソフィアはその荒波さえも軽々と乗りこなしてしまうかもしれん……」


「あら、良いことじゃないですか。

 そういうことなら、そんなおかしな顔でおかしな声を上げる必要なんてないですよ。

 ……というか、戦争が終わったくらいのことでそんなに色々なことが変わるものなのですか?」


「うむ……。

 まぁ、あくまで予想の一つでしかないのだが、戦争が終わり、平和な世となれば……王制、貴族制の廃止、なんてこともあり得るかもしれんな」


「……え!? えぇ!?

 そ、そんなの大事じゃないですか!? 女王様が女王様じゃなくなっちゃうなんてそんなこと……とっても大変な……大変な……。

 え? あれ? 大変なこと、なんですよ……ね?

 正直女王様が何をしているかって、よく知らないので分からないのですけれど……」


「お前達、猫ですらそう思うくらいなのだから、リンディンに住まう者達はより強い、確かな実感としてそう思っているかもしれんな。

 昔は人も社会も未熟で、惑う民達を守り導く王という存在が必要とされたが……邪教との戦いが続く中で、人々は学び成長し、様々な制度を作り出してきた。

 商人達が金を集めてより多くの金を稼ぐ株式会社、市民の声を王宮に届ける議会、魔術と同等の学問として発展しつつある科学……。

 そうした制度が出来上がり、発展しつつある中で、平和な世となったなら……果たして今の人々は王に守られ、導かれることを良しとするだろうか?

 ……自らで自らを守り、自ら歩み道を選ぶ、そういう時が来るかもしれん。

 すぐにそうなるという話ではないが……ソフィアが大人となった頃にはあるいはそういう動きが起こり、激化し、主流となっているかもしれんな」


「……そしてソフィアちゃんなら、世界がそうなっても問題ないと、そういうことですか……?」


「うむ。

 むしろ儂よりも何倍も賢く、上手く変化する世を渡っていくことだろう。

 そんな必要のないようにと、様々な形で財産などを残してやろうとビルとあれこれと計画しておったのだが……ソフィアにとってはそれすらも余計なお世話なのかもしれん」


 そう言ってキャロラディッシュは、外を元気に駆け回るソフィア達ではなく、何処か遠くを見やり思いを馳せる。


 そんなキャロラディッシュの横顔を見やったグレースは……持っていた箒でキャロラディッシュの脛をべしんと叩く。


「な、何をする!?」


 それに対しキャロラディッシュがそう声を上げると……グレースは半目で言葉を返す。


「親が子に余計なお世話をするのは当たり前のことですよ。

 この先何か起こるか分からないというのなら尚の事、あらゆる手を打ってあげてください。

 ソフィアちゃんが優秀だろうが優秀でなかろうが幸せに生きていけるように……そのついでに私達猫が生きていけるように、お願いいたします」


 そう言って掃除を再開させたグレースを見やりながらキャロラディッシュは……それもそうかと頷いて、机の中から取り出した便箋に、ペンを走らせ始めるのだった。

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