第87話 ウィクルの願い


 キャロラディッシュが手紙を書いている間……客人であるウィクルは牧場でそのほとんどの時間を過ごしていた。

 

 それは乗騎である巨大な雄牛の世話をするためだったのだが……そんな雄牛のことをキャロラディッシュの猫達や牧夫達はまるで自分達の家畜かのように丁寧に世話をしてくれていた。


「こんなにおっきい体だとご飯だけでも大変だろうねぇ」

「ほれ、こっちの岩塩も舐めな」

「秋ならリンゴがあったんだけどなー、まぁ、干し草ならたくさんあるから、遠慮なく食べなよ」


 そんなことを言いながら甲斐甲斐しく、丁寧に。


 そしてそんな光景を見やったウィクルは……いつしかある想いを抱くようになる。


 決して許されないことだろうと思いながら、無礼なことだと思いながら……それでもその想いは次第に、日が過ぎる程に強くなっていって……そうして五日をかけて手紙を書き終えたキャロラディッシュがそれらを大きな鳥であるロビンに預けたのを見て……ウィクルは決意することになる。



 翌日、早朝。


 食堂での食事を終えて、身支度を終えて……今日はよく晴れて暖かいからと、キャロラディッシュ達が散歩の準備をしていると、そこにウィクルがやってきて自分も散歩に付き合うとそう言ってきて……そうして散歩の途中、意を決したウィクルがキャロラディッシュに声をかける。


「老師……お願いがあります。

 アナタが極めし魔術を、どうかこの私に授けて欲しいのです。

 授けるのが無理なのであればせめて……せめてあの雄牛に老師の魔術を使ってやって欲しいのです」


 それを受けてキャロラディッシュは足を止める。


 足を止めてウィクルの方へと視線を向けて……しっかりとウィクルと向き合い、真摯な態度でウィクルに応じる。


「……儂が知る限り、お主達にはお主達の生活と文化に根ざした魔術があるはず。

 儂の魔術を使ってやることは構わないが……儂の魔術をなんらかの形で持ち帰ってしまったならお主は異質の者として故郷で迫害を受けるのではないか?」


 ウィクルを案じてのその言葉に、ウィクルは真っ直ぐにキャロラディッシュの目を見やりながら言葉を返す。


「あるいは、そういうこともあるかもしれません。

 ですが……ですが、その可能性よりも私は、あの雄牛……長く私の乗騎を務めてくれたガーリアの心の声を聞いてみたいのです」


 その言葉はかつてソフィアが口にした言葉であった。

 長年の親友アルバートの声を聞いてみたい。

 そう強く願い、キャロラディッシュの魔術に触れ、魔術師として覚醒することになった、ソフィアのきっかけの言葉。


 それを受けてキャロラディッシュは目を伏せて……あの時の言葉をもう一度繰り返す。


「……仮にかの雄牛が猫達のように喋れるようになったとして、お主の望む言葉を口にしてくれるとは限らんのだぞ。

 あるいは心の中でお主のことを憎んでいるかもしれん、嫌っているかもしれん。

 呪詛や暴言の類を投げかけられるかもしれないと知って、それでもお主は雄牛の声を聞いてみたいのか?」


「はい……それがガーリアの言葉であるならば、私は聞いてみたいと思います。

 たとえそれがどんな言葉であっても……私を憎んでのものであっても、それがガーリアの言葉であるならば……」


 ウィクルの言葉を受けて……キャロラディッシュは目を伏せたまま悩む。


 悩みに悩んで……どうしたものかと答えを出せずにいると、すぐ側でソフィアとマリィと、アルバートとロミィと、そして何よりも言葉を手に入れた猫達が、どうか願いをかなえてやってくれと、そんな視線をキャロラディッシュに送ってくる。


 それを受けてこくりと頷いたキャロラディッシュは……もう一度ウィクルへと視線をやって、言葉を返す。


「……分かった。

 儂が扱う魔術を教えることは……様々な危険性もあり出来かねるが、あの雄牛に言葉を授けることは請け負うとしよう」


 その言葉を受けてウィクルは、その目を大きく見開き、きらきらと輝かせる。


 真面目な性格からなのか、その表情を大きく崩すことはしないが、微笑むこともしないが、それでも目は輝き、喜色に満ちていて……そんなウィクルの真っ直ぐ過ぎる視線から目をそらしたキャロラディッシュは、牧場の雄牛の方へと足を向ける。


 牧場でゆったりと体を休めていた雄牛は、とても大きく、見るからに力強く、その背中のコブは小山のようであり……それでいてその眼差しはとても優しく、ソフィア達を見る目はまるで子を思う父のようでもある。


 そんな雄牛ならば悪いことにならないだろうと考えてキャロラディッシュは……まずウィクルに雄牛に触れるように促す。


「儂はこの雄牛のことを詳しくは知らぬ。

 この雄牛のことをよく知るお前が正しい方へと導いてやるのだ。

 ……それと、仮に儂の魔術がその心の目で見えたとしても、使用することも探求することも固く禁ずる。

 ……分かったな?」


 その言葉にウィクルは静かに近づいて……そっと雄牛の鼻筋に手を触れる。


 すると雄牛は目を細めて「グォウ」と嬉しそうに野太い声を上げて……そんな様子を見やったキャロラディッシュは、雄牛の脇腹にそっとその手を触れる。


 そうしたなら心の大樹を具現化させ、大樹から枝を伸ばし……この雄牛の心がそのままであるように、その意志が歪められることのないように念じながら、雄牛に知恵を、言葉を与えていく。


 そんなことをされて雄牛は一瞬の戸惑いを見せたが……キャロラディッシュに悪意が無いことを感じ取ったのか、暴れることなく抵抗することなく、大人しくされるがままにされて……鼻筋に触れるウィクルの想いに導かれながら変化をしていく。


 そうして魔術が効果を発揮し……しっかりと発揮し終えて、小さな疲労感を覚えながらキャロラディッシュはそっと雄牛から手を離し、その側を離れる。


「……ガーリア、ガーリア、私の言葉が分かるか?」


 それを受けてウィクルは、鼻筋をそっと撫でながら声をかける。


 優しく静かに響くその声の意味を理解したのだろう、雄牛はくわりと目を見開いて……その顔をぐいと上げながら大きな声を張り上げる。


「おおおおお! おおおおおお! 兄弟!

 兄弟の声がよく聞き取れる! その意味がよく分かる!!

 兄弟! ようやく我らの言葉を覚えてくれたのか!!!」


 それは完全なる勘違いだった。

 ウィクルが変化したのではなく、雄牛のガーリアが変化してのことなのだが……ガーリアはまだ知恵と言葉がある状態に慣れていないのか、勘違いしていることに気付かないまま、自分の状況をよく理解しないまま、なんとも雄々しく野太く響く声を上げ続ける。


 そこには一切の悪意はなく、ただただウィクルを思う好意だけが込められていて……それを受けてウィクルは、なんとも不器用な笑顔を浮かべて……「はははっ」と笑い声を上げるのだった。

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