第72話 顔を繋ぎ
「どうだ、最近は? 何か変わったことでもあったか?」
挨拶をし、返ってきたキャロラディッシュのその言葉を受けて、ジョセフは一瞬だけその表情を驚きの色で染め上げる。
普段はそんなことなど聞いてはこない、普段はそんなにも機嫌の良い声色をしていない。
長年の付き合いだったが、まさかこんなにも柔らかい態度で接してもらえるとはと、ほんの一瞬だけ表情を変えたジョセフは、どうにかにこりと笑い、朗らかな声を返す。
「えぇ、えぇ、おかげさまで景気の良い日々を過ごさせて頂いております。
最近は大陸の方が落ち着いてきたと言いますか、戦況の好転により生産活動が活発になっているようでして、それに関連する品が飛ぶように売れているようです。
他にも我らがこの島の特産、羊毛もよく売れております。
日常を取り戻せば良い服を着たくなるのは当然のこと……このまま戦況が好転し続ければ大陸の人口も増えていくのでしょうし、更に需要が高まるだろうと羊毛関連に投資が殺到している状況ですね」
この屋敷の外、世間では様々な事が起きているが、自分に尋ねてきた以上はこういったこと……商売や景気のことが聞きたいのだろうと、ジョセフは淀みなくすらすらと言葉を並べる。
「……そうか。
景気が良いのなら何よりだ。
……で、だ……ここにいるのが儂の養女となったソフィアで、ここにいるのが知人から預かっているマリィという子でな……ソフィアはもちろんマリィも、よろしくしてやってくれないか」
そんなジョセフに対してキャロラディッシュがそう返してきて……ジョセフは再度驚くことになる。
キャロラディッシュの立場ならば一言命令するだけで良いものの、まさか頼み込んでくるとは……。
これはつまりキャロラディッシュがいなくなった後の、ソフィアがこの家を継いだ後のことを頼んでいるのだろうと理解したジョセフは「はい、お任せください」とそう言って、利き手を胸に当て視線を下げての礼をする。
ジョセフは貴族ではないし、騎士でもない。
そういった儀礼ぶった態度を取らなくても良い立場の人間なのだが……それでもあえてそうすることでキャロラディッシュに対する精一杯の誠意を表す。
するとキャロラディッシュは満足気に頷いて……頷いてから「もう一つ頼みがある」とそう言って言葉を続けてくる。
「事前に注文しておけば良かったのだが……すっかりと失念してしまってな。
この子達が冬の間、暇をしないで済むよう、この子達の年相応の品を揃えて欲しいのだ。
玩具でも本でも、とにかくそれらしい物なら何でも良い。
それとこの子達に直接話を聞いて、何か欲しているものがあればそれも手配してくれんか。
そういう訳で冬の前にもう一度、面倒だろうがここに来てもらうことになるだろう」
その言葉を受けてジョセフは今度は驚くのではなく、その目をキラキラと輝かせて「はい!」と景気の良い返事をする。
ソフィアとマリィを見ればまだまだ若いが、それでもレディらしい風格を携えている。
細かな仕草や動作、その服の着こなしも含めて中々のもので……きっと目も肥えていることだろう。
女性とはとかく買い物好きなものだ。
特にこんな長閑な所で暮らしていれば都会の品を色々と欲するものだろう。
ドレスに貴金属、砂糖をはじめとした嗜好品に調度品。
本だって装丁にこだわった『お高い』ものを好むはず。
これはまたとない商機だと体を震わせ、息を呑んだジョセフは……これから長い付き合いとなるだろう、二人のレディに向かって精一杯の経緯を込めて挨拶をする。
するとソフィアは堂々とした礼を返し、マリィはおどおどとした礼を返し……それをもってジョセフは二人の人格をなんとなく察する。
……そうして始まった商談を少し離れた所で見守るキャロラディッシュ。
積極的に人脈作りをしてこなかったこともあり、キャロラディッシュが外の世界で信頼しているのは、ビルとグレーテとジョセフ、それと魔術協会の一部だけ。
自分が居なくなった時のことを考えてせめてその全員との顔を繋ぐことをしておかなければならないだろう。
マリィはそのうち大陸に帰るのかもしれない、ソフィアはそのうち良い伴侶を見つけるのかもしれない。
それでも自分に出来ることをしてやりたいと考えて……二人のことを静かに見守りながら物思いにふけるキャロラディッシュに……いつのまにか足元に来ていた灰猫のグレースが、ぺしんとその尻尾を当ててくる。
自分達もいるのですから、忘れないでくださいと言わんばかりのその一撃に……キャロラディッシュは視線を下げて、眉を下げて……なんとも申し訳なさそうな表情をする。
すると更にもう一度ぺしんと尻尾が叩きつけられる。
今度は一体何を言わんとしているのか、グレースは何を伝えようとしているのか。
そこが分からなくてキャロラディッシュが顔をしかめていると、グレースが小さな声を上げる。
(他人に任せるのではなく、長生きして貴方が最後まで見届けてあげれば良いじゃないですか。
あの二人が大人になって、立派なレディになって……余計な世話がいらなくなるその時まで)
もちろんそうしたいと思っている。
そうできれば何よりだと思っている。
だがそれでも何が起こるか分からないのがこの世の中なのだと、そんなことをキャロラディッシュが言おうとすると、表情からその言葉を読んだらしいグレースが、言わせまいともう一度ぺしんと尻尾を叩きつけてくる。
更にその手をくいと上げて、指の先から爪をちょいと出してくいくいと動かし、見せつけるグレース。
尻尾で叩いたのは温情で、引っかかれてもおかしくなかったのですよと、そう伝えてくるグレースに、キャロラディッシュはただただ苦笑を返すことしかできない。
そうしてこくりと頷き、グレースに「分かった分かった」と、そう伝えたキャロラディッシュは、静かにソフィア達の方へと向き直る。
これまで毎日安眠できればそれで良いと、長生きのことには気を使っていなかったが……これからは少し考えてみるかと小さく頷いたキャロラディッシュは、ソフィア達のことを見やりながら、図書室のどの辺りにそういった本があっただろうかと、思考を巡らせるのだった。
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