第64話 ミツバチ
それからまた何日かが過ぎたある日のこと。
夏の日差しが降り注ぐ屋敷側の庭園では、猫達による庭園を囲うりんごの木の手入れが盛んに行われていた。
ハシゴを立て掛けて摘果を行い、土の状態を確かめて足りなければ水を撒いて、剪定を行い、これから大きく実が膨らむだろう枝を支柱で支えて。
もう少し、もう一月か二月もすれば美味しいりんごが食べられる。
アップルパイやアップルジャムやアップルティーを楽しむことが出来る。
りんごのソースでステーキを焼いても良いし、シードルを作るのも良いかもしれない。
そんな風にわくわくとそわそわとしながら、りんごの甘酸っぱい味を思い浮かべながら懸命に働く猫達。
そんな猫達の声がニャーニャーニャーニャーと響き渡る庭園を散歩していたキャロラディッシュは、庭園の隅にあるものを見つけてはたと足を止める。
「……ふむ、ここまで来るとは珍しい」
そう言ってキャロラディッシュがその一点をじっと見つめていると……キャロラディッシュと一緒に散歩をしていたソフィアとマリィが、一体そこにあるのかと覗き込んでくる。
そこにあったのは茶色の塊だった。
小さな何かが……茶色の何かがウゴウゴと蠢きながら一つの塊となっていて、そんな光景を見て少しだけ怯んだソフィアとマリィは……キャロラディッシュがそれを穏やかな視線で見守っていることに気付き……改めてそれを見やり、それがとても身近なある虫であることに気付く。
「あっ、ミツバチですね!」
そんなソフィアの声にこくりと頷くキャロラディッシュ。
それは何処かの巣から巣立って来たらしい新たな女王を擁する小さき騎士の一団で……ハチミツやミツロウなどが手に入るのは勿論のこと、それこそりんごの木の受粉などに役に立ってくれる、とてもありがたい存在だと言えた。
「……この庭園は猫達の好みの草しか揃えておらんから、定着にもミツの味も期待はできないが……ま、それでも一応作っておくとするか」
その姿をじぃっと見やり、そんなことを呟いたキャロラディッシュは、ミツバチ達を驚かさないようにとそっとしゃがみ……庭園に落ちていた木の枝を拾い上げ、臨時の杖として振るい、その魔術を発動させる。
すると庭園の隅に置かれていた……猫達が何かを作ろうとして用意したものの断念し、そのまま放置していた数枚の木材がぷかりと浮かび……切られ削られ変形し、組み上がって脚付きの小さな巣箱へと姿を変える。
それを三つ作ったなら、木の陰になりそうな、風の通りが良さそうな位置にそっと置き……後はそれをミツバチが気に入ってくれることを願って、キャロラディッシュは踵を返す。
このままここに自分達が……巨人がいつまでも居座ってしまってはミツバチ達も落ち着かないだろう。
ミツバチ達が落ち着いて新たな王城を建設出来るようにとそのままキャロラディッシュは静かに立ち去って……りんごの木の世話をしていた猫達の方へと足を進める。
そうしてミツバチ達のことを説明し、無闇に驚かしたり邪魔をしたりしないようにと言いつけてから、キャロラディッシュは屋敷の方へと足を進める。
「春ならばりんごの花が咲いていたのだがな……後は猫達が好んでいる草と、農園の作物と……グレースが手入れをしている花壇くらいか。
あれらの巣箱に落ち着いてくれるかは……微妙な所だろうな」
足を進めながらキャロラディッシュがそう呟くと……ソフィアが首を傾げながら言葉を返す。
「キャロット様はミツバチのことがお好きなのですか? 随分と気にかけているようですが……」
「うん? まぁ、そうだな……好きなのだろうな。
あの甘いハチミツを口にしたなら誰でも好きになるものだと思うが……あの花から花へと飛んでいく様が……懸命に働く様が好きだというのもあるかもしれん。
……古の学者達も、ハチミツの味に魅了され、ミツバチの在り方に魅了され、様々な研究をしていたようでな、様々な文献を残しておって……それがまた興味深く、面白かったというのも影響しておるのかもしれんな」
「興味深い、とはどのような?」
「働き蜂がメスだけだ、というのはソフィア達も知っておることだと思うが……古の時代の学者達にはそれがとても不思議に思えたようだ。
このミツバチという生き物にはオスメスの差異がない、一体全体どう繁殖しているのか? どう増えているのか……?
その果てに一体何処からミツバチはやってくるのか? ……と、そんな研究をすることになり、結果としてかなりの数の文献が残されておる。
水から産まれる、土から産まれる、動物の死体から産まれる、空気から産まれる。
……古の次代の学者達はそんな論まで唱えていいたのだが、それでも結論には至れず、最終的に古代の大賢者とされた人物は『どうやってハチが生まれて、どうやってハチミツを作るのかは知らないがとにかくハチミツは良いものだ』との言葉を残して研究の継続を断念しておる。
……まぁ、考え事をするには甘いものが良いとされているからな、そんな風に研究がなされる程に、古よりハチミツとミツバチは学者達に……探求者達に愛されておったのだろうな」
そう言葉を続けながらキャロラディッシュは、玄関へと向かい、靴についた汚れをほうきで払い……そのまま図書室の方へと足を向ける。
今の時期の散歩の後は、涼しい食堂へ向かってそこで水を飲みながら休憩するのが常だったのだが、何故図書室へ? とソフィアとマリィが顔を見合わせて首を傾げていると、その気配に気付いたキャロラディッシュが振り返り、声をかける。
「先程の古の学者達の文献……ただ話に聞くだけでなく自分の目で確かめてみるのも良いだろうと思ってな……。
それとハチミツは古よりの嗜好品ということもあって、様々な宗教文化とも繋がりが深いのでな、そこら辺の話をもう少しばかりしてやるとしよう。
ハチミツ酒やミツロウソク、化粧に薬と様々な面でも活躍しておる虫というのもあって……ミツバチに関しての話は中々尽きんぞ」
ようするにまだまだ話し足りない、図書室で資料片手に授業をやらないと気がすまないと、そう言いたいらしいキャロラディッシュの言葉を受けて、その顔を見て、ソフィアとマリィは口元を手で覆い隠しながら小さく笑う。
更にはソフィア達のことを追いかけていたアルバートやロミィやシーまでが似たような仕草で笑う中……話に夢中でそのことに気付いていないキャロラディッシュは、再度踵を返して振り返り……足早に図書室へと向かうのだった。
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