第42話 枕元にいたそれは


 静養区画はその全ての部屋が個室となっていて……キャロラディッシュが感じ取った何かはその最奥にある一室から漂ってきていた。

 

 静かに、靴音さえさせないようにその一室の前へと足を進めたキャロラディッシュは、ノックをせずドアを開けず……静かに魔力を漂わせて、ドアの隙間から滑り込ませて、中の様子がどうなっているのか探りを入れる。


 柔らかなベッド、ふんわりと膨らむ大きな枕、清潔なシーツと枕カバーに、しっかりと日光に当てているのだろう優しく香る掛け布団。


 壁には何本かのドライフラワーが掛けてあり……それらもまた睡眠の邪魔にならない程度の柔らかな香りを部屋の中に漂わせていた。


 枕元には取り替えたばかりと言った様子の水差しもあり、何かがあった際に人を呼べるようにと小さなベルも置かれていて、問題が見当たらないどころか上等過ぎる程上等なその部屋にキャロラディッシュが感心していると……ベッドの上のキャロラディッシュと同じ年くらいの老人が、なんとも苦しそうに呻きながら身悶えする。


 その老人の手は枯れ木のようであり、生気も水気も失せた顔色をしていて……素人のキャロラディッシュが見ても死の気配を感じ取れるといった有様で。


 だとして一体どうしてこれ程までに嫌な気配が漂っているのだろうかと、キャロラディッシュが首を傾げていると、老人の枕元に何か……小さく蠢く気配がある。


 どうやらキャロラディッシュの魔力は『それ』を認識出来ていないようで、魔力が感じ取れるのは何か踏み潰されるシーツと、必死にそれを振り払おうとする老人の手の動きのみ。


 それを受けてただごとではないと察したキャロラディッシュは、魔力を練り上げながらその一室のドアを開け放たって、すぐさま袖の中に潜ませていた短めの杖を振るい、その何かを捕らえようと魔力の網を放つ。


 それが何であるのか、一体何者なのか。


 その確認は後ですれば良い、まずは攻撃、次に相手の動きと術を封じ、そうして安全を確保するのが最優先だと、キャロラディッシュは網がどうなったかの結果を待たずに、次々と魔力の縄を、魔力の手かせ足かせを、魔力の牢獄を放ち、それを封じようとする。


 そしてキャロラディッシュの網と縄と手かせ足かせと牢獄は、見事にそれを捕らえて、それの動きを、術の全てを封じる。


 それを受けてキャロラディッシュは、すぐさまにその部屋を出てドアを閉めて静養区画を離れて……その姿を明らかにしようと、病院の玄関へと足を進める。


 こういった邪悪なる存在の正体を暴こうとする時、魔力もまた有効な手ではあったが、太陽の光や月の光、薬草の放つ香りやその葉に乗るつゆなどは比べ物にならない程に有効な手段であった。


 それらが揃う玄関ならばとキャロラディッシュは、尚も挨拶を続けていたソフィア達の横を通り抜けて、夕暮れの太陽の光に当てながら、薬草が放つ香りに当てながら、手にしていた牢獄を……青色に輝く鳥かごのようなそれを力いっぱいに振るう。


 するとその鳥かごの中には……手のひらほどの真っ黒な身体、コウモリのような翼に、鉤のある長い尻尾を持った小人のような何かがいて……それを目にした瞬間キャロラディッシュは、


「インプか!」


 と、声を上げる。


「……キャロット様、インプとは一体何者なのですか?」


 その声を受けてすかさず駆け寄ってきて、問いを投げかけるソフィア。

 周囲の人々が懐く不安をなんとかしようとしてのその一言に、キャロラディッシュは魔力を練り上げながら答えを返す。


「……哀れな妖精……精霊の一種の成れの果て。

 呪術により魔物と化した……呪いそのものといっても良い存在だ。

 元々はりんごやぶどうを実らせる心優しい妖精だったのだが……その優しい心を邪教の連中につけこまれてしまってな、こんな哀れな姿になってしまったのだ。

 そのせいで元いた世界に帰ることも出来ず、好きだったはずのりんごやぶどうにも触れられなくなってしまって……元に戻りたかったら言うことを聞けと、そんな嘘で邪教徒共に良いように使われる使い魔となってしまったのだ……」


 説明していて心が傷んだのだろう、声を細らせるキャロラディッシュの目を見て、ソフィアとマリィはキャロラディッシュがその魔力で何をしようとしているのかを察する。


 強い魔力をぶつけてその呪いごと……もう何をしても元に戻ることが出来ないらしいインプの全てを吹き飛ばすことで、せめてその魂を救ってやろうとしているのだろう。


 救える手があるならば救っているはず。沈痛な表情をしながら魔力を練るキャロラディッシュを見て、ソフィアとマリィは前へと進み出て、その鳥かごにそっとその手を触れる。


「キャロット様! 私に少しだけ時間をください!」

「あたしも手伝いますから! ソフィアちゃんとずっと練習してたんです!」


 そう言ってソフィアとマリィは瞑目し、魔力を練って……それに呼応するようにソフィアの大樹が枝を伸ばし、一体いつの間に大樹を育てていたのか、細いくうねる、弦のようなマリィの大樹からも枝が伸びてきて……その二本の枝が鳥かごの中でじたばたと暴れ続けるインプへとそっと触れる。


 それらの枝が放つ魔力は、以前ソフィアがアルバートを癒やす時に見せたあの魔力に良く似ていて……挙句の果てにインプを吹き飛ばす為に練っていたキャロラディッシュの魔力と、鳥かごやら縄やらの魔力さえも奪い取って、ソフィア達の望む光景を具現化する。


 魂が元の形になるように。

 生まれたときの姿となるように。

 こちらの世界にやってきた時の、精霊らしい妖精らしい姿になるように。


 それらの想いを受けてぶわりと白い光がインプから放たれて……放たれた光が散り消えると、そこには先程までのインプの姿ではなく、さらりとした茶髪に緑色のシャツにスカートにハット、爪先がくるりと曲がった不思議な靴を履いた男とも女とも取れない、不思議な顔立ちをした小人の姿があった。


 そうしてインプだった妖精は、自分の手を見て周囲の光景を見て……涙を流しながら破顔して、宙を舞い、薬草の中を通り抜け、ソフィアとマリィの頭上を漂いながら、歓喜の声を上げるのだった。

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