第37話 ビル


 ビルからの手紙が届いた翌日。


 朝食の際に、キャロラディッシュの口から漏れた、


『用事があって皆で海近くの街へ行くことになった、旅行だと思って支度をするように』


 との言葉を受けて、ソフィアとマリィは凄まじい勢いで朝食を済ませて、大喜びで荷造りを始めた。


 まだまだ寒い春の今、海に入ることは出来ないが、ソフィアにとっては初めての『家族旅行』であり、マリィにとっては初めての『海外旅行』である。


 たとえ行く先に珍しい光景が無くとも、観光できるような場所が無くとも、ただただ旅行に行けることが嬉しくて、二人の心は喜びに満ち溢れていた。


 逆にキャロラディッシュは不機嫌さに満ち溢れた心で荷造りに挑んでいた。


 ソフィアとマリィが喜ぶのであれば金も手間も惜しみはしないし、二人の健やかな成長のためにも旅行という行為は大切なことであると理解もしている。


 ただ一つ、何故自分が行かなければならないのだという、そんな思いでこれでもかと不機嫌になっており、そんな不機嫌さが邪魔をして荷造りが遅々として進まず……そんなキャロラディッシュの代わりだと言わんばかりテキパキと、老猫のグレースが荷造りを進めていた。


 着替えにパジャマに社交用の衣服に、身だしなみを整える道具一式に。

 そうした品々をグレースが丁寧かつ効率的に旅行かばんに詰めていって……その様子を半目で見やったキャロラディッシュが『魔具でもってぱっと飛んでいって、ぱっと帰ってくるからそこまでの準備は必要無い』とそんなことを言おうとしたその時だった。


 キャロラディッシュの自室のドアがノックされ、ヘンリーの声がドアの向こうから響いてくる。


『キャロット様~、ビルさんがいらっしゃいましたよ~。

 お通ししてもよろしいでしょうか~』


 その声を受けてキャロラディッシュが昨日の今日でやってきたのかと、小さな驚きを抱いていると、グレースが勝手に「お通ししなさい」との返事をしてしまう。


 すぐさまキャロラディッシュは抗議の視線をグレースへと送るが、グレースはそんな視線など何処吹く風で荷造りをテキパキと進めていく。


 それからややあって、先程よりも硬い音でドアがノックされて……長身痩躯の冴えない中年男、キャロラディッシュの代理人であるビルが姿を見せる。


「……一体何をしにきおった」


 そんなキャロラディッシュの一言を受けて一礼をしたビルは淡々とした態度で言葉を返す。


「馬車をご用意しました」


「……馬車だと?」


 怪訝そうな態度でそう返すキャロラディッシュに、ビルはやはり魔術で向かう気だったかと、そんなことを言いたげな表情をしてから言葉を続ける。


「敷地内ならばともかく、敷地の外でまで派手な魔術を使われては困ります。

 ほとんどの庶民は魔術とは縁遠い暮らしをしており、魔術でもって空を飛んで来られた日にはどんなパニックが起きるか予測もつきません。

 パニックが起きたことにより何らかの損害が出てしまえば、庶民からの印象も王宮からの印象も最悪で、要らぬ悪評へと繋がってしまうことでしょう。

 そういう訳ですので、今回の旅ではあくまで馬車をお使いになり、公爵らしいゆうゆうとした旅をなさってください。

 その旅程の中で、ご領地を通り領民達にお顔をお見せになるのも悪くないかと愚考いたします。

 そうすることでソフィアお嬢様の存在を喧伝なされば、領民達も喜ぶことでしょうし、お嬢様の未来に悪くない影響を及ぼすことでしょう」


「……貴様、まさか最初からそのつもりだったのではないだろうな?」


「いずれ何らかの折にそうする必要があるだろうとは考えていましたし、機会さえあればこじつけてでもやってやろうと考えてはいましたが、今回の件に関しては何よりフェリークスの窮状を救うことが目的です。

 あの港が使用できないままとなれば、国内経済への影響は勿論のこと、キャロラディッシュ様が所有する運河への影響も大きく、深刻な損害を被ることになります。

 もし最初からそのつもりであったのであれば、傭兵を雇うなどといった無駄なことはせずに、すぐさまキャロラディッシュ様の下へとご連絡をいたしました。

 フェリークスを救って頂くことが第一で……そのついでに、ようやくキャロラディッシュ様の重いお腰が上がったのだから、すべきことをして頂こうと、やって損のないことをやって頂こうと計画はしていますが、あくまでそちらは物のついで……どうしても、どうしてもお嫌なのであれば、白紙に戻すことも渋々ではありますが、いたしましょう」


 動揺せず、汗もかかず、声を震わせることもなくそう言い切るビルに、キャロラディッシュは「うぅむ」と唸る。


 以前ビルがソフィアを養子にと口にした時にはまだいくらかの動揺があった。

 それが一切無いということは……今回の件は本当に物のついでであり、キャロラディッシュとソフィアのことを思ってのビルなりの善意によるものなのだろう。


 女王からの命令という特異な経緯によりキャロラディッシュの養子となったソフィア。

 そのソフィアが……元気に、笑顔で日々を過ごしており、キャロラディッシュの後継者として相応しい成長をしていると周囲に知らしめるのは、ソフィアの未来のことを思えば確かに重要なことである。


 そうすることで無用な詮索や悪意のある噂をはねのける事が出来るだろうし、キャロラディッシュに対しいくらかの好意を抱いている者達は、ソフィアにも同様の好意を抱くようになり、積極的にソフィアとその名を守ってくれることだろう。

 

 そう考えてキャロラディッシュは渋々……苦い表情をしながらこくりと頷いて、前向きな意思をビルに伝える。


 するとビルはその口元をわずかに歪ませて……傍目には悪巧みをしているようにしか見えない、なんとも不器用な笑顔を浮かべるのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る