Basis32. 祝杯

 大型連休も終わりの日。燦々と輝く太陽が眩しい真っ昼間に、私たちは玲先輩の自宅の前に来ていた。前に言っていた海緒の出所祝いにケーキを食べようという話で、私の知り合いを一通り集めたのだ。


「ひょえ……大きい……」

「柚、驚きすぎ」


 私の右側では柚ちゃんと篝が玲先輩の家に鎮座する門の大きさに驚愕している。柚ちゃんは忍者の末裔のお友達というのだから、こういう和な感じの豪邸には慣れているものだと勘違いしていた。それこそ忍者がそんなところに住んでいたら全然忍んでいないし。


「今更なんだけどほんとにアタシ誘われて良かったのかな……?」

「好意は受け取るべきだ、みおーん」

「そうは言うけどさぁ……」


 左側ではこの状況を本当に呑んでいいのか困惑している海緒と、悪戯な笑みで海緒をからかう風花。この提案をして真っ先に乗ってきたのが風花というのは正直意外なところがあった。風花にしてみれば合法的にイチャつける機会といったところだろう。


「華凜さんは一度ここに来ているのですよね?」

「まぁ……あれは不可抗力だよ」


 玲先輩との魔闘デュエルの末に私は敗れて玲先輩の家で治療を受けたことがある。その際にここに来たので今更大きさでビビる気はない。だが、知り合いの家であるとは言ってもこのインターホンを押せというのは少々度胸がいるのではないだろうか?


「というかアイリスは連休中何してたの?」

「家の用事ですわ。ちょうどわたくしの従妹が学園に転入するというのでそれの兼ね合いです」

「従妹ねぇ……アイリスみたいに可愛いのかな」

「ふふっ、それは授業が始まってからのお楽しみですわね」


 アイリスが弾むような声で言い切った。従妹ということは同い年か年下ということになるだろう。そして共盟の話を鑑みれば同い年と考えるのが自然だ。まさか私たちのクラスに編入することになるのだろうか? アイリスみたいに真面目な人ならいいのだが……


「それよりも早く入りましょう? わたくしもかなり楽しみにしていましたのよ?」


 呼び鈴を鳴らす。確かに反応した音こそ鳴ったが、これだけの豪邸だとここまで来るだけでも大変ではないだろうか? そう思って数秒後、門が重厚な音を立てながら開いた。


「橘華凜様とご学友様ですね」


 侍女と思しき人が現れ、丁重にお辞儀をする。私たちもそれに倣うかのように一礼した。前に来たときは気絶していたことと中での顛末からそこまでの記憶が無かったが、この人もなかなかな美人だ。メイド服という訳ではなく普通の着物を羽織っているが、その風格はかなりのものだやはり上流階級には上流の付き人がいてこそみたいなものがあるのだろう。


「中へどうぞ。玲お嬢様がお待ちです」


 中へと案内されると、そこは丁寧に仕立てられたであろう庭園だった。その素晴らしさに思わず声が出てしまう。やんちゃな海緒でさえそれを荒らそうという気が起きないほどの芸術が存在していた。


「この庭は貴女が?」

「いえ。専属の庭師が毎日手入れを行っています。持統院の品格に関わるものですから」

「素晴らしいですわ。我がキネマゼンタ家ではローズガーデンになっていましたが……こういう、詫び寂び……でしたか? 日本式の庭園というものもいいですわね」

「アイリス様にお褒めいただけるとは光栄です」


 アイリスと侍女の人とで格の高い会話が成されている。庭どころかベランダくらいしか縁のない自分にしてみれば想像するのが難しい話だ。しばらく歩き、鯉の泳ぐ池を渡った先に母屋が鎮座していた。そこの軒先で、玲先輩がぶんぶん手を振っている。ここだけ見ればお嬢様とは到底言い難い。


「華凜ちゃーん!」

「お久しぶりです玲先輩」

「あの時はごめんねー、ちょっと立て込んでて」


 この集まりを行いたいと連絡したとき、玲先輩の様子がかなりおかしかった。今は普通の玲先輩に戻っているが、やはり何か感じ入るものがあったのだろうか?


「おーアイリーンおひさー! 元気してた?」

「元気してたも何も学園では毎日のように顔を合わせているではありませんか」

「それもそうだね!」


 ……やっぱり様子おかしくない?

 

「でこっちは篝ちゃんに柚ちゃん! 二人とも可愛いなぁ!」

「はわわっ」

「そのように撫でられるのは慣れてないです……!」


 篝と柚ちゃんを見つけるや否や、わしゃわしゃと頭を撫でる。二人とも恥ずかしそうな表情をしているものの、拒絶の意思を示しているわけではない。これも玲先輩の成せる技だ。でも玲先輩ってここまでテンション高かったっけ?


 そして玲先輩は海緒と風花のほうを一瞥すると、なんとも言えない表情でそれを無かったことにして私に話題を振ってきた。


「まぁ立ち話もアレだし上がってよ。私オススメのケーキを取り揃えておいたからさ!」


 家の中に入り、玲先輩の先導で部屋へと案内される。そこには既にいくつかのケーキが用意されており、それに目を輝かせている者も何人かいた。


「長岡さん、もう準備できてる?」

「つつがなく」


 あの侍女の人は長岡さんと言うらしい。いつの間にかメイド服に着替えているのはこのお茶会の雰囲気に合わせたからだろうか? 私たちが席につくと、長岡さんがカップひとつひとつに紅茶を注いでいく。ふわっと漂う香りからは気品の高さが感じ取られ、目の前のそれがどれだけ高級であるかを示していた。


「それじゃあ始めましょうか。浅茅さんが無事戻ってきたことを祝してのお茶会を」

「きょ、恐縮デス……」

「浅茅さん、そう畏まらないでいいですよ。気軽に気軽に」


 海緒はガチゴチに緊張しており、カップを持つ手がとんでもない震え方をしている。それを見てか、玲先輩が宥めるように笑っていた。


「こっ……これ、超有名なケーキ店のケーキですっ!」

「柚、ほんとに?」

「雑誌で読んだことがありますっ! 毎日すごい行列ができてるとか!」

「あはは、バレちゃった? うちの料理人の一人がそこのパティシエの師匠でね。ちょっと融通効かせて貰ったんだ」


 さらっと言ってみせるが凄いことじゃないか? その言葉を聞いてか柚ちゃんがさらにエキサイトしてケーキに口をつける。私もそれに次ぐようにケーキを口に入れた。


「……確かに美味しいですね。くどい感じの甘さじゃないけどしっかりと主張のある味というか……」

「……!! 私の人生に、悔い……なし!」

「柚! いくらなんでも人生が薄っぺらすぎる!」


 柚ちゃんは拳を掲げて気絶した。感受性が高いというか……ただのアホの子? 篝もその処理に追われてはいるものの、確かにケーキを食べていた。緩んだ頬からはそれが美味しいものであったとはっきり読み取れる。


「浅茅さん、私から話があるの」

「……その節は本当に申し訳ありませんでした」


 海緒が頭を下げる。モールでの一件は『焼失する黒ロスト・ヘル』による卑劣な行為によって操られていたものとして海緒への罪は不問になっている。海緒自身も好き好んで黒の魔術を使っていたわけではないのだ。


「そうね。やったことは否定できないけど、浅茅さんもまた被害者だったから」

「被害者……?」

「浅茅さんが住んでいた孤児院にもモールと同じ黒の魔術が仕掛けられていたわ。私が解除したからいいけど、気付いていなかったら孤児院が大変なことになっていたと思う」

「……それを仕掛けたのは裕貴ですか?」

「いいえ。裕貴のそれとは違うものだった。第三者が目的に失敗したときの人質にしたんだと思う」


 海緒が拳を固く握る音が聞こえた。海緒が護りたいもの、それはきっとこの孤児院だったのだ。自分が堕ちなければ子供たちの命が無い。故にそうするしかなかった、ということか。そうなると、一つの提案をしたくなる。


「……玲先輩、このあと時間はありますか?」

「もちろん空けてあるよ」

「海緒。帰りに海緒の生まれ育った孤児院に行こう」


 海緒は申し訳なさそうな顔でこちらを見ている。あのような大惨事一歩手前の事件を興して今更会わせる顔がないといったところか。私の提案を後押しするようにアイリスが続ける。


「海緒さん。こういう時だからこそちゃんと顔を見せるべきですわ。……人はいつ会えなくなってもおかしくないのですから」

「アイリスの言うとおりだ。海緒は……風花が味わった苦しみをまた味わわせるつもりか?」

「……そうだね。その提案乗った」

「決まりですわね。このケーキもいくつか手土産に持っていきましょう。奮発してかかなりの量を作ってもらっていますので」


 玲先輩はきっとこうなることを予測していたなと私は踏んでいる。海緒がトリガーになった事件は、今日にも完結する。


 私たちが談笑する中で、海緒も徐々にいつもの表情を取り戻してきた。それは海緒が願っていたもの。平穏な日常の中で美味しいケーキを食べるような、そういう世界。


 そんな世界をメチャクチャにしたいという気には私はどうしてもなれなかった。

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