第34話 史上最強の魔王。敵地で風呂に入る。

 しばらく話していると、シレーヌは眠そうにし始めた。

 シレーヌは幼い上に長患いしているせいで体力がないのだろう。


「シレーヌ。眠たければ眠ったらいい」

「……でも、折角皆が遊びに来てくれたのに」

「遠慮するな。起きたときに、また話そう」

「……はい」


 そしてシレーヌは眠りについた。とても安らかな寝顔だ。

 リュミエルは嬉しそうに微笑みながらシレーヌの頭を優しく撫でる。


「シレーヌは本当に体調がよさそうです。こんなに安らかな寝顔を見たのは久しぶりかも知れません」

「それはよかった」

「これもお師さまやヨルム君のおかげだと思います。ありがとう」

「また遊んでやってもいい」

 ヨルムは少し照れているようだった。



 その後しばらくの間、俺たちはシレーヌの部屋で談笑をした。

 もちろん、シレーヌを起こさないように、声を落としてである。

 ヨルムは特にシレーヌが気に入ったようで、枕元に座ると優しく髪を撫でていた。


「可愛い娘だな」

「はい。可愛い妹です」

「……そうか」

「……思い出されますか?」

「フィルフィのことか? そうだな。このぐらいの子供をみるとどうしてもな」

「わかります。私もシレーヌと同じぐらいの子供をみるとどうしても」

「そうか」

「はい」



 和やかな時間はあっという間に過ぎ、いつの間にか日が沈む。

 日が沈んでしばらくすると、使用人がシレーヌの部屋へとやってきた。


 使用人は部屋には入らず、部屋の外から声をかけて来る。

「殿下。ご夕食の準備が整いましてございます」

「ありがとう。もう、そんな時間なのですね」


 シレーヌは眠っていたので、起こさないことにする。

 今、シレーヌに必要なのは睡眠なのだ。

 談笑の間ずっとシレーヌのベッドで丸まっていたヨルムが言う。


「……ヨルムも眠いから、ここで寝てるね」


 いつも食い意地が張っているヨルムの言葉に、リュミエルは驚いたようだ。


「夜ご飯を食べなくても大丈夫なのですか?」

「大丈夫だよ」

「では、料理をここに運ばせますね」

「それも大丈夫。竜は、ほとんどご飯食べなくても大丈夫だからね」


 そういって、ヨルムはシレーヌの枕元で丸くなる。

 そしてちらりと、俺を見た。


『ヨルム頼んだ』

『任せて。監視の視線も気になるし。部屋も怪しいからね。守っておく』


 何も言わなくても、ヨルムは俺の意図をくんでくれた。


「じゃあ、ヨルム。シレーヌが起きたら遊んでやってくれ。ここはヨルムに任せる。こっちは俺に全て任せるように」

「わかった」


 食堂に用意されていた料理は非常に豪勢なものだった。


「料理は全てこの屋敷の使用人が作っているのか?」

「はい。お師さま。専用の料理人がいるのです」

「さすがに王家の料理人だ。なかなかうまいではないか」

「それを聞いたら、料理人も喜ぶと思います」


 俺は使用人に聞こえないぐらい小さい声で言った。


「それでも、リュミエルの料理の方がうまい」

「あ、ありがとうございます」



 俺が夕食を完食するとリュミエルが言う。

「お師さま、今日はお風呂に入られますか?」

「そうだな。寝る前に旅の汚れを落とすのもいいな」


 そして俺は使用人によって浴室へと案内された。

 脱衣所の中にまで、使用人は付いてくる。


「ハイラム様。お手伝いいたしましょう」

「その必要は無い」

「さようでございますか」


 そういって、使用人は退室していった。


(……意外だな)


 退室する使用人の背中を見ながらそう思った。

 風呂では服を全て脱ぎ無防備になる。暗殺する絶好の機会なのだ。


 俺を王都に呼んだのは宰相で、その宰相にとってリュミエルが邪魔だ。

 リュミエルに近しい俺のことも殺そうとしてもおかしくない。


(わざわざ風呂に入ることで、敵が行動を起こすのを待っていたのだが……)


 使用人は王宮に仕える者たちだとリュミエルは言っていた。

 そして王宮は宰相一派が牛耳っている。


(使用人たちの俺とリュミエルに向ける敵意は激しかったのにな)


 だが、風呂では襲ってこないようだ。

 当てが外れたので、大人しく風呂に入ることにする。


 元々風呂は好きなのだ。

 敵が襲ってこないつもりなら、単に風呂を楽しめばよい。


「ほう」


 風呂場に入って、思わず感嘆の声を上げる。

 王家の別邸だけあって、白い大理石を基調とした綺麗で豪勢なお風呂だ。

 リュミエルの屋敷にある風呂よりもずっと広かった。

 身体を洗う場所も広い。湯船も広く、たっぷりのお湯が掛け流しになっている。


「よきかなよきかな」


 嬉しくなって湯船に跳び込みたくなったが、まず身体を洗うことにした。

 王都までの二泊三日の旅で、身体は汚れているのだ。


「ヨルムにもこのお風呂を堪能させてやりたいところだな」


 ヨルムも風呂が好きなのだ。

 明日、謁見が終わり、この屋敷に戻ってきたら、ヨルムも一緒に入れてあげよう。


 そんなことを考えながら、身体を洗っていると、何者かの気配を感じた。


(お、来たか。殺気は感じない。中々有能な暗殺者のようだな)


 暗殺者が仕掛けやすいように敢えて、入り口に背を向けて身体を洗う。

 だが、予想外のことが起こった。


 風呂場の扉がバンッと開かれると、

「お師さま、背中流しに来ました」

「え? リュミエル?」

 風呂場に入ってきたのはリュミエルだった。


 驚いて振り返ると、全裸に大きめのタオルを巻き付けているだけのリュミエルが目に入った。

 リュミエルの豊かな胸の谷間は、タオルでは隠しきれていない。


「せ、……背中を流させていただきますねね。お師さま」

 リュミエルは顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに手で胸の辺りを抑えていた。

 勢いよく入って来たくせに、急に恥ずかしくなったらしい。


 恥ずかしいなら、最初からしなければよいのに。

 一体、リュミエルは何がしたいのだろうか。


「い、いや、そんなことはしなくていいぞ」

「いえ、お師さまの背中を流すのは弟子の務めですから」

「そんな務めはないが……」


だが折角の申し出を、何度も断るのも角が立つ。


「……そ、そうか。それならば、折角だし頼もうかな」


 俺の心臓の鼓動は早くなる。

 これまでリュミエルのことを異性として全く意識していなかった。

 だが、リュミエルの姿は意識させるには充分だ。


(こんなはずでは……。俺は魔王ハイラムだぞ? まさか十代の身体だからか?)


 精神が肉体に引きずられる。それは当然起こることだ。

 頭が痛ければ、憂鬱な気分になる。それと同じだ。


 そんなことを考えていると、リュミエルがおずおずと声をかけてきた。


「じゃあ、背中を流させていただきます」


 リュミエルは後ろに回ると、ぎこちない手つきで俺の背中を洗い始めた。


「どうですか? お師さま」

「う、うむ。気持ちがよい。……うむ」

「力加減はどうでしょうか?」

「お、おお。気持ちがいいが、もう少し強めでもいいかもしれない」

「わかりました」


 リュミエルが使っているのは少し硬めのスポンジだ。

 それでごしごしと背中を洗ってくれる。


 リュミエルは、しばらく背中を洗った後、

「前の方も洗わせていただきますね……」


 そう言いながら、背中側から、腋の下を通して前側へと両手を伸ばした。

 流石にそれは困る。そんなことをされたら緊張してしまう。


「大丈夫だ。前は自分で洗えるからな」

「遠慮……なさらなくてもよいのです」


 リュミエルの手には、もはやスポンジも握られていなかった。

 後ろから素手で、俺の胸を撫でるように洗う。

 背中にはリュミエルの柔らかな豊かな胸が押し付けられている。


「ど、どうしたんだ。急に。リュミエル。何かあったのか?」


 尋ねても、リュミエルは手を止めない。

 俺の胸板を優しく撫でるようにリュミエルの手が滑っていく。


(このままではまずいかも)


 魔王として、本能に負けるなど、あってはならないことだ。


「まあ、リュミエル。落ち着け」


 俺は気合いを入れると振り返る。するとリュミエルは顔を真っ赤にしていた。


 そのとき、リュミエルが身体に巻き付けていた大きなタオルがはらりと落ちる。

「ひゃっ」

 リュミエルは一瞬悲鳴を上げた。


「ひぅ」


 ハイラムもびっくりして声を上げかけた。こんなはずではないのに。

 生まれたままの姿になったリュミエルは一瞬手で隠そうとしたがやめる。


「……私は、何をされても……かまいません。お師さまの好きになさって……」

「な、なにが、かまいません、だ。愚か者」


 深呼吸して、冷静さを取り戻すと、リュミエルの身体にタオルを巻きなおす。


「生娘が無理をするな。何が狙いかわからないが、そのようなことはしなくともいい」

「私は、恥ずかしがってなんか……」

「そのようなことをしなくても、俺はリュミエルの味方だ。頼りたいときに好きなだけ頼ればいい」

「……はい」

「まあいい。リュミエル。背中を向けて座ってくれ」

「……わかりました」


 もじもじとしながら、リュミエルは背を向けて座った。

 俺は再び深呼吸をする。

 そして理性で本能を押さえつけ、リュミエルの背中を優しく洗っていく。


「痛かったら言ってくれ」

「はい」

「かゆいところはないか?」

「……はい」

「…………よし、背中は綺麗になった。前は自分で洗うといい」


 そう言って、俺は湯船に向かう。

 平静さを装うことが出来た。そう考えて安堵した。


「……お師さま」

 リュミエルが背中を向けたままつぶやくように言う。


「ど、どうした?」

「お師さまは、本当に私が困っていたら助けてくれますか?」

「もちろんだ」

「……ありがとうございます」

 そして、リュミエルは言う。


「あの、お師さま」

「どうした? 頼み事か? なんでもいっていいぞ」

「シレーヌのことお願いいたしします」

「もちろん任せろ。だが、敢えて頼むと言うことは、何か良くないことが起こりそうな気配があるのか?」


 風呂場に入って来てまで、お願いするぐらいなのだ。

 なにかシレーヌに良くないことが起こるとリュミエルは考えているのかも知れない。


「これから、何が起こるかわかりません。……私に何かがあったとき、シレーヌは頼れぬ人がいなくなってしまいます。だからお願いします」


 リュミエルは王宮にも騎士団にも味方がいない。父王にも頼れない。

 だから、俺を頼りたいのだろう。


「わかった。任せてくれ」

「いいのですか? 本当ですか?」


 リュミエルが俺の方へと振り返り、一気に近づいてくる。

 どうしても、視線がタオルで隠している胸の谷間に引き寄せられてしまう。


「お、おお。任せてくれていい」

 任せろと言ったのは三度目だ。まだリュミエルは不安そうだ。


「私がどうなってもシレーヌのこと守ってくれますか?」


 リュミエルはまるで自分の死を予見しているかのようだ。

 それほど泣きそうなほど悲壮な表情を浮かべている。


 リュミエルが、シレーヌに会ってくれと言ったのも、シレーヌのことを頼みたかったからだろう。

 真剣な表情のリュミエルに手を取られた。

 はらりと、リュミエルの身体を覆うタオルがとれた。それでもリュミエルは動じない。


「た、タオル、いや安心しろ。以前、王のあり方について話し合ったことがあったな」

「はい」

「俺の考える王のあり方の一つに、王の言葉、綸言は取り消すことは出来ないというのがある。そして俺は魔王ハイラムなんだ」


 リュミエルからじっと見つめられる。


「リュミエルに何があっても、仮に何もなくとも、シレーヌのことは保護しよう」

「……よかったです。ありがとう。ありがとう」


 そう言うと、リュミエルはようやく安心したようで、涙をボロボロとこぼした。

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