第64話 サイクロプス

おがませてやるぜ……これが俺のアルトラ、サイクロプスだ……!」


 南柾樹みなみ まさきに体が、変形しながら巨大化する。


 にごった大理石だいりせきのような色合いと模様、指の数は三本、顔はといえば鼻も耳も口もない「のっぺらぼう」の中心に、大きなひとつだけの目がドロドロと真っ赤に光っている。


 まさにギリシャ神話のひとつ目巨人きょじん・サイクロプスを想起そうきさせる。


「どうだウツロ、みにくいだろ? これが俺の正体……生きるために何でもしてきた、そのおぞましい本性ほんしょうの投影なんだぜ?」


 ウツロは心を引き裂かれた。


 柾樹、違う……それは、その姿は……お前の心の醜さなんかじゃ、決してない……!


 お前が味わってきた……戦ってきた、苦しみそのものなんだ……!


「だけどな、俺はこんな自分と……このおぞましい本性と必死で戦ってきた……! 毒虫がなんだ……! こんな俺に比べりゃあ、かわいいもんだろ……!? だから戦え……お前も戦え、ウツロ……!」


 この少年は、南柾樹という男は……こうやって、自分の正体と呼ぶものをあえてさらすことによって、俺を……こんな俺を、助けようとしてくれている……毒虫と卑下ひげする自分を、自己否定にもてあそばれる俺を、わが身を犠牲ぎせいにして救おうとしてくれている……やめてくれ、柾樹……! 俺なんかのためにお前が苦しむなんて、あってはならない……!


 「怪物かいぶつ」の矜持きょうじとは裏腹うらはらに、ウツロの心境しんきょうはただごとではなかった。


 南柾樹の覚悟に答えなければと思う反面、逆効果もまたおよぼしていたのだ。


「ははっ! わしも醜いが貴様きさまをかけて醜いな、南柾樹! 生ゴミの山の中に捨てられていたそうだな? 同情するよ!」


 似嵐鏡月にがらし きょうげつは目に映る「滑稽こっけいな怪物」を嘲笑ちょうしょうした。


「うっせーの! 自分の子をいたぶる親に言われる筋合すじあいなんざねえぜ!」


「ふん、なんじにえ、おろものが! 貴様のやっていることは、アクタとウツロのためなどではだんじてない。ほかならぬ貴様自身……! その二人に自分を投影しての、いわば存在証明そんざいしょうめい図星ずぼしだろ!?」


「へっ、そうかもな……だから、だったらなんだよ……? 自分も救えて、そこの二人も救えりゃあ、最高にハッピーじゃねえか……!」


「ふん、何がハッピーだ。しょせん貴様も虫ケラよ。ほら、かかってこんのか? 腰抜けが!」


「上等だよ、このクソ親父・・・・……!」


 南柾樹はその巨体きょたいを揺らし、勢いをつけて黒い山犬やまいぬにタックルをしかけた。


「ぐ、ぬう……!」


 似嵐鏡月は巨人の攻撃を受け止めたが、その圧倒的なパワーにつぶされそうになった。


 山犬の大きな両足がジワジワと固い地面をえぐり、後ろに退しりぞいていく。


「柾樹がってる……!」


「いける、いけるわ……!」


 星川雅ほしかわ みやび真田龍子さなだ りょうこは、形勢けいせい優位ゆういさに歓声かんせいを上げた。


「へっ、このままペシャンコにしてやるぜ!」


「ぬう……なめる……なああああああ……!」


「うっ……!」


 似嵐鏡月は土壇場どたんばり、その反動で南柾樹を押し返そうとした。


「柾樹くん、今日は生ゴミの回収日だよ?」


「な……」


「ほらほら、後ろを見てごらん。ゴミ収集車しゅうしゅうしゃがそこまで来ているよ?」


「う……」


 このに及んで似嵐鏡月は、精神攻撃という狡猾こうかつな作戦に走った。


 その内容はとてつもなく陳腐ちんぷで、子どもじみたものだ。


 しかし彼には、南柾樹には思いがけないダメージとなった。


 ゴミ、生ゴミ――


 周囲からはいつも、そうののしられていた。


 彼は何も、何も持っていなかった。


 生きるためにケンカし、盗み、変質者の相手だってやった。


 自分はいったい、何のために生まれてきたのか?


 チンピラのらしのためか?


 変態の肉便器としてか?


 呪われている……


 自分の存在は、間違っている……


 ずっとそう、思ってきた。 


 次々とよみがえってくるトラウマ。


 苦しい、苦しい……


 こうなってはもう、似嵐鏡月のおもつぼだ。


 彼の体から徐々じょじょに力が抜けていく。


「う……う……」


「ふん、勝負あったな、南柾樹……!」


 ここぞとばかりに山犬は、巨人の体を逆に押し返していく。


 この光景を目撃していちばん耐えられなかったのは、誰あろう、ウツロだ。


 自分の苦しみを吐露とろしたときの南柾樹の悲痛な顔が、その涙がフラッシュバックする。


 いったいどれほどの苦しみだったというのか?


 やめてくれ、もう、やめてくれ……

 

「柾樹っ、もういい! もうやめてくれ! お師匠様も、どうかおやめください! 彼を、柾樹を……傷つけるのは、おやめください……!」


 同情かもしれない、偽善なのかもしれない。


 でも、そんなことはどうでもいい。


 過去の壮絶そうぜつな体験を引き合いに罵倒ばとうされ、心をえぐられている者がいる。


 ウツロにはそれを傍観ぼうかんするなどということは、どうしてもできなかった。


「ふん、ウツロ、こんなやつにたすぶねか? 虫ケラどうし傷口きずぐちをなめ合ってお似合いだな! お前もこいつと同じよ、自分を相手に投影し、自分の存在を肯定こうていしたい……弱者じゃくしゃの思考回路なのだ!」


 山犬・鏡月は忌々いまいましいという表情でウツロを見下みくだした。


「弱者でけっこうだよ……! だけどな、弱者で何が悪い!? 似嵐鏡月……てめえみてえに、自分が弱者だってことにすら気づかねえ……そんな救えねえバカに比べりゃ、ずっとマシだよ!」


「何をまあ、えらそうに……屁理屈へりくつを言っているのは、南柾樹……貴様のほうだろ……!?」


「てめえにゃ、ぜってえ……永遠にわかんねえよ……!」


「ぬ、ぐう……!」


 ウツロの気持ちは確かに届いた――


 南柾樹は心を傷つけられながらも、負けてなるものかと山犬に力をかけた。


 それはウツロとアクタのためであり、それにも増して自分のためだった。


 似嵐鏡月の言うとおり、それはわかっている。


 だからなんだ?


 存在証明だって?


 何が悪い?


 もう考えるのは面倒めんどうだ。


 俺は俺のやりたいようにやる。


 こうしたいと、これでいいと思ったことをやる……!


 彼の気持ちはもうるぐことはなかった。


「柾樹っ、加勢かせいするわ!」


 星川雅はアルトラ「ゴーゴン・ヘッド」の髪の毛をしゅるしゅると伸ばして、山犬の首を、どうを、四肢ししからった。


「ぬっ、雅……!? 貴様あああああっ!」


 柾樹と雅の連携れんけいプレーに、さすがの似嵐鏡月も、ほとんど身動みうごきが取れなくなった。


「おらっ! アクタとウツロにわびを入れな! てめえの子の人生をもてあそんだ、その重さをわびるんだよっ!」


「あ、ぐ……誰、がああああああっ!」


 そのとき似嵐鏡月は、その血走ちばしったひとみに何かをとらえた。


 桜の森の入り口、鳥居とりいの下だ。


 突然動きを止めた山犬に、南柾樹もそちらに顔を向ける。


 それにつられて、ほかの面々めんめんも。


 そこには人影ひとかげがひとつ。


 浅黒あさぐろはだ赤白あかしろチェックのネルシャツに、カーキのチノパン。


 鼻穴は開き、口は一文字いちもんじに結び、ただでさえ大きな目はさらに丸く見開いている。


 降ろした両手のこぶしを強くにぎりしめ、ふるわせている「彼」は――


虎太郎こたろう……!」


 「姉」はむせ返るように、言葉をした――


(『第65話 まねかれざるきゃく』へ続く)

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