交響曲 第2番 「復活」 マーラー

<タイトル>


交響曲 第2番 ハ短調 「復活」


<作曲者>


グスタフ・マーラー


<おすすめ盤>


マリス・ヤンソンス(指揮)


ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団


<解説>


 グスタフ・マーラーの2番目になる交響曲で、「復活」のサブタイトルで知られています。


 英語で言うと「レザレクション」ですから、すなわちイエス・キリストの「復活」を指します。


 キリストをみずからに投影させて書いたと言われ、この世のあらゆる存在を描写しようとした、意欲に満ちあふれた大曲になります。


 見かたによってはキリストを「ダシ」に使って、みずからの偉大さを世間に問おうとしたとも取られるようです。


 とにかく長大な楽曲であり、しかもガチガチにかたい内容もあって、かなりのファンでも「復活は苦手」という人もいます。


 評論家の中には「偉大なる駄曲」と断ずる向きもある始末です。


 これにはやはりというか、楽聖ベートーヴェンの存在が大きいようです。


 第1楽章は「英雄を埋葬する」ための葬送行進曲になっていますが、この「英雄」とは誰あろう、作曲者であるマーラー本人を指しているとされます。


 また、先輩であるワーグナーなどのパロディがふんだんに使用されます。


 先達の影におびえているようでもあり、いっぽうで「てめぇらの時代は終わったんだよ」と宣言でもしているかのようです。


 リスペクトすると同時に、彼らを越えたいという気持ちが見え隠れするかのようですね。


 このあたりが個人的に、いかにもマーラー先生っぽいなあと思う次第です。


 第2楽章は地上の生活を描写し、第3楽章では自作の歌曲「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」からのフレーズが引用されます。


 その歌詞は世俗的な詩集「少年の魔法の角笛」から取られており、第2楽章で世界の「正の側面」を取りあつかったとすると、この第3楽章は「負の側面」とも受け取れます。


 この二元論的というか、あらゆる存在は表裏一体であるとでも主張するかのような表現は、非常に興味深いものがあります。


 第4楽章はやはり「角笛」から「原光」という一曲が間奏曲、そして終楽章への前振りのごとく歌われます。


 そして怒涛の第5楽章ですが、出だしの再現にあたる部分から合唱が加わります。


 これもやはり、ベートーヴェンの「第九」がなければありえなかった音楽と言えます。


 「復活するために死ぬのだ」と、マーラーによる歌詞が歌われますが、直接的なキリストのエピソードをメタファーとして、自身の思想を吐露しているようにも感じます。


 彼はどうも、「天国の存在を信じていた」と思われる節があるのです。


 「生は死への前奏曲」とは、リストも取り上げた哲学のテーマですが、ここにマーラーの思索世界、救済願望的なものがあるように、個人的には考えてしまいます。


 実際にというか、先生はいなくなっても、のちの時代の人々を救済しつづけているのは、感動的ないっぽうで、ある意味最高の皮肉にも取れます。


 自分としてはこういう表現者にあこがれるのですが……


 今回はずいぶん、かたい内容になってしまいました。


 おすすめしたヤンソンス盤は、過不足のない名演になっております。


 コンセルトヘボウ特有の温かみのある音で、ぜひ。

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