白い日の贈り物

「バレンタインのお返し、受け取ってくれるか?」

「もちろんです。今か今かと待っていましたから」


 ソファーで隣に座る吉乃が冗談めかして笑う。今日は三月十四日、何の日なのかは言うまでもないだろうし、彼女の記憶力ならばど忘れしているという事もあり得ないだろう。

 やわらかな笑みとともに控えめに差し出された吉乃の両手の上に、響樹は丸い箱を乗せた。白を基調として鮮やかな花のイラストが描かれている赤いリボンの巻かれた箱を、吉乃は嬉しそうに見つめている。


「有名店のだし、味は確かだと思う」

「響樹君の選んでくれた物ですから、何も心配はしていませんよ」


 ほんの少し眉尻を下げた吉乃が箱に落としていた視線を上げ、目を細める。箱の時点で喜びを明確に示してくれた彼女に対する照れ隠しである事はバレる以前の問題であったらしい。


「開けてもいいでしょうか?」

「ああ、もちろん」


 吉乃は箱をテーブルの上に移し、白くしなやかな指が赤いリボンを軽く摘み、しゅるりとそれを解く。彼女は大切そうにそのリボンをたたみ、箱のふたを開けた。

 中身はフィナンシェ、マカロンなどの焼き菓子の詰め合わせ。響樹の感覚では吉乃はこういったアソートを好むような気がしている。


「どれから食べようか迷ってしまいますね」


 敷き詰められた菓子をしばらく見つめていた吉乃が少し頬を緩めながら、困ったような顔を作ってみせた。それが喜びの表現である事は疑いようがない。


「全部食べるんだからいいだろ?」

「今日一日ではもったいなくて食べ切れませんよ。日持ちもするでしょうし、数日かけていただきます」

「そうか。因みに俺の分は要らないからな」

「そうですね、響樹君の分は今度私が作りますので」

「楽しみにしてる」


 そう伝えると満面の笑みを見せ、吉乃はまた箱の中身へと視線を戻す。

 どれを食べようかと真剣に悩む吉乃の横顔は美しく、こちらとしても真剣に選んだ甲斐があったものだと思わざるを得ない。


 最初はクッキーを手作りして贈ろうかとも思ったのだが、生憎お菓子作りの経験が無かった。料理の基本ができている響樹であるので、レシピを見ながらそれなりの物を作れる自信はあったのだが、吉乃相手にそれなりでは自分が満足できない。

 練習をしようにもホワイトデーまでは試験終了後1週間も無かったためその余裕も無く、その結果の既製品であるのだが、吉乃が喜んでくれれば全て良しだ。


「決めました」


 しばらく見つめていた綺麗な横顔がはにかみながらこちらを向いた時、フィナンシェとクリームの挟まったビスケットが一つずつ、そしてマカロン二つが箱から出されていた。



「ごちそう様でした。とても美味しかったです」

「お粗末様でした」


 一つ一つを幸せそうな笑顔とともに食べてくれたので、本当は響樹の方がごちそう様と言いたいくらいである。多分意味が通じないので言わないが。


「じゃあもう一つ」

「え?」


 鞄の中から取り出した先ほどの物よりワンサイズ大きなもう一つの丸い箱に、吉乃は目を丸くした。


 ホワイトデーのお返しとして既製品に気持ちがこもらないとは思っていないが、吉乃が響樹のためにかけてくれた手間暇に応えるために、響樹としては彼女の事を考えたもう一品をと思っていた。

 海に相談したり、その海に女子にリサーチをかけてもらったり。もちろん彼も優月へのお返しの参考になるので喜んで調査をしてくれはしたが、響樹は一食分を奢る事になっている。


「何だか、いい香りがします」

「入浴剤が入ってる。どうかなと思ったけど、いい香りって言ってくれるなら大丈夫そうだな」


 箱を受け取ってくれた吉乃が少し顔を近付けて優しく笑う。一応彼女好みの香りを選んだつもりではいたが、一安心である。


「あ。優月さんが使っている製品の香りについて尋ねてきたのはそういう事だったんですね」

「バレたか」


 とは言え今気付いたばかりのようなので優月は上手くやってくれたらしく、心の中で感謝を告げる。因みに彼女に対しても同じく一食分を奢る約束になっている。


「こちらは今すぐには使えませんけど、早速今晩から使わせてもらいますね」

「ああ、そうしてくれると嬉しい」


 吉乃がふたをあけると、バラの花を模したピンクの入浴剤から、彼女の隣にいる響樹のところにまでほのかなバラの香りが届く。

 彼女の好みに寄せたつもりではあるが、吉乃本人がつけている物とも、彼女の部屋の物とも少し違う香り。入浴剤だからか、少し甘さを感じる前者と違い爽やかさが強い気がした。


「早速と言いましたけど、使ってしまうのがもったいないですね。可愛くて」


 箱の中から一つを摘まんで手のひらに乗せながら困ったように笑う吉乃だが、その頬は綻んでいて彼女の喜びが伝わる。それが嬉しくて吉乃の頭に手を伸ばして髪を撫でると、彼女はくすぐったそうに目を細めた。

 しばらくそうした後、吉乃は手のひらに乗せていたバラの花を箱の中に丁寧に戻し、響樹の肩に撫でられるままの頭を預ける。


「試験もあって大変な中で、これだけ素敵な物を用意してもらって。私は本当に幸せですね。ありがとうございます、響樹君」

「いいんだよ。俺の方が幸せだから」


 どちらも購入は通販だったので手間はそれほどではなかったし何より、吉乃の気に入る物だろうかと考える時間も響樹は幸せだったのだ。もちろん不安も多少ありはしたが、それでも。

 吉乃の事を考えるだけでも幸せであるし、それほどまでに彼女の事が好きな自分を再認識できることも幸せだった。しかし――


「私がどれだけ幸せか、響樹君はわかっていないようですね」


 響樹の肩から頭を離した吉乃が不満げに眉根を寄せ、口を尖らせている。


「たっぷり教えてあげないといけませんね」


 不満が霧散した後で浮かんだ笑みは妖しく、響樹は言葉を返せなかった。

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