エピローグ 烏丸吉乃が完全無欠の美少女であり続ける理由

 卒業式も終わり、高校最初の春休みが近付いて来た。まだ少し肌寒い日もあるが、流石にマフラーを巻く訳にもいかず首元が少し寂しい。という事を伝えると、吉乃は「響樹君の誕生日には夏に使える物を贈ります」と優しく笑ってくれた。

 そんな三月半ば、学校帰りに響樹の部屋に吉乃を招き、二人で向かい合って座っている。


「いよいよですね」

「ああ。覚悟はいいか?」

「響樹君の方こそ」


 すまし顔でほんの少し口角を上げ自信を覗かせる吉乃に対し、響樹は自覚している心拍の上昇を無視してふっと笑ってみせた。


「じゃあいくぞ。三、二、一」


 カウントダウンとともに脇に置いてあった封筒から手のひらサイズの用紙を取り出し、互いに見せ合う。


「どうですか?」

「……なんだその数字は」


 二つの紙を見比べて項垂れた響樹の頭上から、吉乃が嬉しさを抑えきれないといった声を被せる。


『総合得点 554/600 総合順位 2/323』

『総合得点 580/600 総合順位 1/323』


 三学期の期末試験の個人票は二人一緒に確認しようという約束だった。手応えとしては響樹もそれなりに自信があったのだが、結果は完敗である。


「勝ちました」

「……負けました」


 満面の笑みを浮かべながら試験結果の個人票を顔の下で掲げる吉乃。響樹がしっかりと顔を上げて敗北を認めると、彼女はふふっと笑い、嬉しそうに頬を緩めた。その姿は可愛らしいのだが、叩き出した点数があまりに可愛くない。


「何だよ580点て。化け物か」

「可愛い彼女に対して酷い言いようですね。頑張ったんですよ」


 吉乃が少し頬を膨らませるので「悪い」と謝罪し、そっと彼女に両腕を伸ばした。吉乃は腕の間に体を滑らせ、ゆっくりと響樹に体を預けてくれる。ほのかに甘い香りと温かさとやわらかさを添えて。


「凄いな、本当に。いくら吉乃さんでも流石に楽じゃなかったろ?」

「そうですね。今回は、今も言いましたけど、本当に頑張りましたから」


 響樹の胸に顔を埋めた吉乃がゆっくりと背中に手を回したところで、片手を彼女の髪に伸ばしそっと撫で始めると、吉乃が少しくすぐったそうにかすかな甘い吐息を漏らす。


「出来れば勝って言いたかったけど。おめでとう、よく頑張ったな」

「ありがとうございます。響樹君にそう言ってもらえるのが楽しみでした。それから、響樹君もお疲れ様です。大変だったでしょう」

「ありがとう、吉乃さん。しかし580点か。最後の試験で大分差を付けられたな」


 二年生になれば文理で分かれるため、模試などを除けば同じ試験を受けるのは今回が最後。だからこそ尚の事勝ちたかったのだし、そのために頑張ったつもりなのだが、吉乃が更にその上を行った。

 しかしもちろん負けて悔しい気持ちは強いのだが、流石は吉乃だと誇らしく思えてしまうのはやはり彼女を尊敬しているから。


「負けたままでは終われませんからね」


 楽しそうに笑うそんな負けず嫌いが愛おしい。

「負けず嫌い」と口に出して頭を撫でると吉乃からふふっと笑みが漏れ、弾んだ声が聞こえる。


「響樹君に言われたくはありません」


 響樹の胸元から上目遣いの視線を向けて来ながらくすりと笑う吉乃。そんな彼女がゆっくりと響樹から離れていく。

 吉乃を抱きしめる事には慣れたつもりでいるが、こうやって彼女の甘い香りとやわらかさが離れていく瞬間はきっと何度経験しても慣れる事は無いのだろう。そしてそれは吉乃の方も同じで、響樹の腕から抜けた彼女はいつも少し眉尻を下げる。

 そんな互いの反応が恥ずかしくて、響樹も吉乃も照れ笑いを向け合うところまでが一連の流れになっていた。


「でも、勝ちたかった理由はそれだけではありませんよ?」


 頬をほんのりと染めながら、はにかみからやわらかな笑みへと表情を変えた吉乃が僅かに首を傾ける。


「聞かせてくれるか?」

「ええ」


 目を細めてこくりと頷き、吉乃は形の良い唇を開く。


「響樹君が私を尊敬してくれると、そう言ってくれますから。だから私は今までの自分を認める事ができました。私を好きになれました」


 吉乃はやわらかな微笑みを浮かべたまま響樹の両手を取り、まっすぐに響樹を見つめて「ありがとうございます」と濡羽色の綺麗な髪を少し揺らした。


「私はいつまでも響樹君に尊敬される私でいます。だから、響樹君には負けられません。響樹君に、今よりもっと素敵な私を見てほしいですから」

「別に、俺が勝ったからって吉乃さんへの尊敬が薄れる訳じゃないんだけどな」


 響樹が吉乃を尊敬しているのはただ能力が高いだけではない。吉乃が積み重ねて来たものを知っているから、今なお研鑽を怠らない事を知っているから。だから彼女に敬意を抱くし、何よりも素敵だと、愛おしいと思う。

 そんなふうにふっと息を吐いて苦笑を浮かべた響樹の前で、吉乃は変わらぬ微笑みを浮かべながらまっすぐに響樹を見つめていた。


「知っています。でも、私の意地のようなものですから」

「いじっぱりだな、やっぱ」

「ええ」

「そういうとこも好きだからいいんだけどさ」

「もう」


 呆れたようにほんの少し眉尻を下げた吉乃が僅かに頬を染め、少しだけ口角を上げた。現れたのは可愛らしい小悪魔の顔。


「ところで響樹君。試験で勝ったのは私ですけど、約束は覚えていますよね?」

「そりゃもちろん。何でも言ってくれ。できる範囲で、だけどな」


 二学期同様、今回も試験勝負では敗者は勝者の言う事を聞くという賞品が用意されている。望むのは吉乃で、叶えるのは響樹だ。

「では」と姿勢を正した吉乃に響樹も「ああ」と姿勢を正すと、彼女は頬を引き締めながらも目を優しく細め、よく通る透明感のある声で言葉を紡ぐ。


「烏丸吉乃は、天羽響樹君を生涯愛し続けます。それを、覚えておいてください」


 まっすぐに響樹を見つめる吉乃の顔には徐々に熱が集まっていき、整った顔には既にはにかみが浮かべられている。

 対して響樹の方も、一瞬で顔の沸騰を理解した。


 響樹たちの高校の定期試験で580点というのは異常も異常な数字だ。元々九割以上を取っていた吉乃がそこから30点近く上げるなど、一体どれだけの苦労をしたのか想像もつかない。

 つまり、これが吉乃の本気なのだ。まだ明確には言えなかったが、響樹は吉乃と生涯を共にするつもりでいるし、彼女の方もそのつもりでいてくれる事は知っていた。その上で、吉乃はこの当たり前の言葉を響樹に伝えるために全力を尽くしてくれたのだ。


「……ああ。絶対に忘れない」


 吉乃が好きだと言ってくれる目に力を込め、響樹はまっすぐに彼女を見つめ返して頷く。


「次は俺が勝って同じ事を言う」

「そんな事を言っても負けてあげませんよ?」


 朱に染まった顔を可愛らしく傾けた吉乃に、響樹は不敵に笑ってみせる。


「俺が負けず嫌いなの知ってるだろ?」


 吉乃がそう言ってくれたように、響樹も彼女に尊敬される自分であり続けたい。


「はい。響樹君の事でしたら、何だって」

「ありがとう、吉乃さん」


 言葉を交わし、二人同時に互いの頬に手を伸ばし、そうして瞳を閉じ、唇と想いを重ねた。

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